燈蓮寺伽藍堂 -RISING FALCON-

神社やら、旅行やら、過去の事やら。

境港・米子の旅 その4:神話と地続きの地・粟嶋神社

山陰山陽記事記事一覧
社寺祠堂巡り記事一覧
 
 
境港・米子の旅
その1:水木先生ゆかりの地を巡る
その2:水木しげる記念館近くの大港神社
その3:蟬丸終焉の地・蝉丸神社
その4:神話と地続きの地・粟嶋神社

  

粟嶋神社を巡る

社殿

鳥居
粟嶋は少彦名命*1の伝承が伝わっている地です。
この地は少彦名命が上陸した場所というだけではなく、少彦名命常世へ渡る前に滞在した現世最後の地と言われています。
風土記によれば、少彦名命がこの地で粟を蒔いて育てた実が弾ける際に、それに乗って常世の国へ渡ったのでこの地は粟嶋というのだ、という話が伝えられています。
 
長い階段
社殿に行くにはこの長い石段をひたすら上る必要があり、かなりキツいです。
上がり切り、随神門を抜ければその先に社殿があります。
 
御祭神は少彦名命大己貴命神功皇后など8柱です。
創建年は不詳ながら、神功皇后後醍醐天皇が御祈願をしたという伝承が残っていたり、尼子氏や米子城歴代城主の崇敬を受けたことなどからも分かる通り、歴史のある神社です。
 
ところで、肝心の粟嶋神社の社殿は撮り忘れました。
 

随神門

随神門
随神像
随神門には左右に随神様が祀られていますが、片方の随神像は首が取れた状態だったので一瞬ドキっとしました。
 

祠(社殿横手)

白い祠
社殿の横手には、謎の白い祠があります。
誰が祀られているのかは不明です。
 

祠(社殿裏手)

社殿裏手の道
中海
社殿の裏手にはちょっとした小さな道があり、そこを辿って行くと木々が開けて、遠くに中海の静かな水面を臨むことが出来ます。
 
木製の祠らしきもの
眺めの良い辺りに、木製の祠らしきものを発見。
しかし全く詳細は不明です。
 

出雲大社遥拝所・伊勢神宮遥拝所

出雲大社遥拝所
社殿の裏手には出雲大社遥拝所もあります。
 
伊勢神宮遥拝所
随神門の近くには伊勢神宮遥拝所も。

荒神宮蝮蛇神祠

荒神宮蝮蛇神祠の木柱
先述の長い石段の途中に、「荒神宮蝮蛇神祠」と書かれた木柱があります。
その傍から山の斜面に沿って細い道があり、その先に祠があるようです。
私はこの日体調が最悪だった上に階段を上がって体力の限界だったので、石段の辺りから拝むだけにしておきましたので写真はないです。
荒神宮蝮蛇神祠という名前だけ見ると、蛇神様を祀っているのでしょうか?
 

荒神

荒神
こちらも石段の途中から行ける社ですが、蝮蛇神祠とは違ってきちんとした道が整備されているので行きやすいです。
なお詳細は不明。
 

豊受宮

豊受宮
こちらは石段を上らずに境内を右手に進むとあります。
豊受宮というと豊受大御神を祀っているのかもしれませんが、詳しくは不明です。
 

歳徳神

歳徳神の社
こちらは先程の豊受宮の横にある社です。
扁額には「講中 歳徳神」と書かれています。
 

忠魂碑

忠魂碑
歳徳神の社の右手には、立派な忠魂碑があります。
真っ赤な塔に、鈴木荘六陸軍大将の揮毫した金色の文字が映えます。
この忠魂碑は粟嶋神社のある彦名地区の戦没者を祀っているようです。
 

大岩宮

分かれ道
歳徳神の社と忠魂碑の間の道を進むと、分かれ道に出ます。
右へ行けば大岩宮、左に行けば八百姫宮です。
 
鳥居
お岩さん
少彦名命がこの地に舟で辿り着いた際に最初に上陸したと伝えられるのがこの岩。
この岩は「お岩さん」と呼ばれ、風邪や咳に効果があり、また難病や苦難から救う神様であるとして崇敬されてきました。
因みに咳に効くというのは「岩=石」であり、「石」の字は「セキ」とも読めるということに由来するようです。
 

八百姫宮(静の岩屋)

八百姫宮に行く途中の道
先程の分かれ道を左へ行き、ひたすら道を進んで行かなければ八百姫宮には辿り着けません。
 
八百姫宮
この八百姫宮は八百姫(=八百比丘尼)を祀る珍しい社です。
 

その他

御造榮紀念碑
境内には様々な石碑があります。
例えばこれは「昭和拾一年十二月吉日 御造榮紀念碑」とあります。
境内にあった年表によれば、1936年12月23日に正遷宮が行われたとあるので、その紀念碑でしょう。
また左側にあるのは「紀念」の文字と金額が書かれた石碑です。
もしかすると正遷宮か何かの費用を出してくれた方々を紀念する碑でしょうか。
 
遷宮紀念碑
こちらも遷宮に関する碑です。
碑には「昭和三七.一一.二三 遷宮紀念 宮司 佐々木」とあります。
こちらも先述の年表を見るに、1962年の本殿の銅板屋根替え遷宮の紀念碑のようです。
 
歌碑
こちらは静の岩屋の由来となった万葉集の和歌の歌碑です。
 

【粟嶋神社】
住 所:鳥取県米子市彦名町1404
御祭神:少彦名命大己貴命神功皇后 ほか
末社等:八百姫宮(御祭神:八百姫)
    大岩宮(御祭神:お岩さん)
    歳徳神(御祭神:歳徳神
    ほか
創 建:不詳
H P:http://www.yonago-navi.jp/yonago/yumigahama/experience-culture/awashima-shrine/
 

今回で境港・米子の旅については終了です。
 

脚注

*1:高皇産霊尊の子、大国主と共に国造りをした神

境港・米子の旅 その3:蟬丸終焉の地・蟬丸神社

山陰山陽記事記事一覧
社寺祠堂巡り記事一覧
 

境港・米子の旅
その1:水木先生ゆかりの地を巡る
その2:水木しげる記念館近くの大港神社
その3:蟬丸終焉の地・蟬丸神社
その4:神話と地続きの地・粟嶋神社

 

蟬丸神社参拝

鳥居
社殿
蟬丸といえば百人一首の「これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬも逢坂の関」が有名な琵琶の名手ですが、その蟬丸を祀った神社がここです。
この蟬丸という人物については、54代仁明天皇の皇子・人康親王と同一人物であるとか、59代宇多天皇の皇子・敦実親王の雑色であるとか、或いは60代醍醐天皇の皇子であるなどと伝わる、生没年も明らかではない人物のようです。
 
そんな蟬丸の終焉の地であるという伝承がこの地には伝わっています。
伝承は以下の通り。
 

蟬丸が旅の果てにこの地にて病により力尽き、近くの村人に対し、自分を祀る祠を建ててくれるならば村の者を病気から護ると言い残し亡くなった。
米子の辺りでコレラが流行した際には、蟬丸神社のあたりでは罹患者が1人も出ずに済んだ。

 
米子市のHPにその辺の話は詳しく載っています(「コレラ菌が英語を」云々の下りは正直何言ってんだ感のある文章なのがアレですが)。
まあこの伝承に従えば、創建は平安時代ということになるのでしょう。
 

御賽銭箱
蟬丸神社の御賽銭箱には菊の紋が刻まれていますが、これはやはり天皇の皇子であるという伝承を受けてのことなんでしょうかね。
 

【蟬丸神社】
住 所:鳥取県米子市博労町3
御祭神:蟬丸
末社等:無し
創 建:平安時代
H P:無し
 

 
今回は以上。
境港・米子の旅は次回で終了です。
 
 


境港・米子の旅 その2:水木しげる記念館近くの大港神社

山陰山陽記事記事一覧
社寺祠堂巡り記事一覧
 
 
境港・米子の旅
その1:水木先生ゆかりの地を巡る
その2:水木しげる記念館近くの大港神社
その3:蟬丸終焉の地・蟬丸神社
その4:神話と地続きの地・粟嶋神社

 

大港神社参拝

社殿



水木しげる記念館から100メートルも離れていない場所に、この大港神社があります。
鳥取縣神社誌』によれば、創立年代は不詳ながら社宝に1431年のものがあるようなので、その頃には存在していたようです。
御祭神は品田和気尊など10柱とのこと。
 

随神門

j:image

鳥居と社殿の間には随神門があり、左右に随神様が置かれています。
 

天満宮


境内社天満宮です(扁額に「天満宮」とあります)。
御祭神は天満宮なので菅原道真公ではないかと思います。
 

恵比須社


天満宮の向かい側にある境内社です。
扁額を見ると「恵比須社」とあるので、恵比須
神が御祭神でしょうか。
 

【大港神社】
住 所:鳥取県境港市栄町133
御祭神:品田和気尊など10柱
末社等:天満宮(御祭神:菅原道真公)
    恵比須社(御祭神:恵比須神
創 建:不詳
H P:無し
 

 
 
今回は以上です。
 

脚注