境港・米子の旅
その1:水木先生ゆかりの地を巡る
その2:水木しげる記念館近くの大港神社
その3:蟬丸終焉の地・蟬丸神社
その4:神話と地続きの地・粟嶋神社
蟬丸神社参拝
蟬丸といえば百人一首の「これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬも逢坂の関」が有名な琵琶の名手ですが、その蟬丸を祀った神社がここです。
この蟬丸という人物については、54代仁明天皇の皇子・人康親王と同一人物であるとか、59代宇多天皇の皇子・敦実親王の雑色であるとか、或いは60代醍醐天皇の皇子であるなどと伝わる、生没年も明らかではない人物のようです。
そんな蟬丸の終焉の地であるという伝承がこの地には伝わっています。
伝承は以下の通り。
蟬丸が旅の果てにこの地にて病により力尽き、近くの村人に対し、自分を祀る祠を建ててくれるならば村の者を病気から護ると言い残し亡くなった。
米子の辺りでコレラが流行した際には、蟬丸神社のあたりでは罹患者が1人も出ずに済んだ。
米子市のHPにその辺の話は詳しく載っています(「コレラ菌が英語を」云々の下りは正直何言ってんだ感のある文章なのがアレですが)。
まあこの伝承に従えば、創建は平安時代ということになるのでしょう。
蟬丸神社の御賽銭箱には菊の紋が刻まれていますが、これはやはり天皇の皇子であるという伝承を受けてのことなんでしょうかね。
今回は以上。
境港・米子の旅は次回で終了です。