燈蓮寺伽藍堂 -RISING FALCON-

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東郷神社は原宿のど真ん中に

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社寺祠堂巡り記事一覧
 
 
東京旅行記
その1:日本橋、情け有馬の水天宮
その2:鳩森八幡神社に富士山を見た
その3:東郷神社は原宿のど真ん中に
その4:八大龍王社と八大龍王社元宮
その5:早大の向かいの穴八幡宮
その6:神楽坂寺社巡り~神保町へ
その7:花房稲荷神社と講武稲荷神社、秋葉原神社跡地
その8:神田明神と湯島聖堂
その9:狸像が可愛い柳森神社
その10:沖田総司も参拝した六本木ヒルズ近くの櫻田神社
その11:出雲大社は六本木駅徒歩1分の場所に

 

東郷神社に向かって

今回も東京編。
前回、鳩森八幡神社を参拝した我々は、その足で原宿にある東郷神社へ向かうことにしました。
鳩森八幡神社から東郷神社は歩いて15分もあれば着きます。
 

東郷神社

鳥居
さて、東郷神社の入口です。
なんとこの場所は明治通り沿いにあり、あの竹下通りの目と鼻の先です。
明治神宮を除けばですが)原宿のど真ん中にこんなに広い神社があるなんて、知らなければ中々想像が付かないと思います。
 
ところで僕が東郷神社に行くのは人生2度目。
前回の参拝はもう5年くらい前になるでしょうか。
 
東郷記念館
入口から社殿までの間には大きな庭園もあり、それに面して東郷記念館という結婚式場もあります。
また庭園の池には立派な鯉が居ます。
 

社殿

社殿
こちらが社殿です。
当然ながら、御祭神は東郷平八郎命です。
東郷平八郎日露戦争日本海海戦バルチック艦隊を撃破したことは、「皇国ノ興廃此ノ一戦ニ在リ」の文言と共に、誰しもが御存知の通りです。
境内の至る所にZ旗*1があり、この社殿にも当然ながら掲げられています。
 

海の宮

海の宮
境内には「海の宮」という御社があります。
こちらは海軍・海事・水産関係者と崇敬者の諸霊を祀っている祖霊社です。
 

潜水艦殉国碑

潜水艦殉国碑
こちらは「潜水艦殉国碑」という、潜水艦に搭乗して亡くなられた方々の慰霊碑です。
碑の左右に座る狛犬が特徴的です。
碑には、大きく「殉國」と彫られた石板が嵌め込まれています。
またその横には「潜水艦勇士に捧ぐ」と題した碑文があります。
碑文の内容以下の通り(適宜改行しています)。

潜水艦勇士に捧ぐ
 

 太平洋戰爭中百二十餘隻の潜水艦と共に戰殁された一万餘人の乗員諸君
特殊潜航艇及び回天決死隊諸君
また諸公試演練に殉難された諸君
諸君の遺骨は海底深く沈んで之を囬收する途がない
しかしそれは国難に赴いた諸君の忠誠がそのまま其戰場に在ることを意味する
民族の急を救うべく戰つた犠牲の精神は永えに其処に活きている
 残された潜水艦関係の吾等は個人と法人と併せて幾千
常に諸君の英靈の坐する海底を見つめている
願わくは日本国民の全部もありし日の諸君の勇姿を奮戰激闘の光景と護国の屍となった戰場とを緬想して敬弔の誠を伸ぶると共に祖国再興の心の糧とすることを祈願して已まない
 茲に曽て戰友潜水艦建造関係者外有志一同相計り小碑を東郷神社の靈域に建立して諸君不滅の忠魂に捧ぐ

昭和三十三年五月二十五日

 

海軍特年兵之碑

海軍特年兵之碑
海軍特別年少兵」(通称:海軍特年兵)という兵士達が居た、ということを知る日本人は恐らくそれほど多くはないでしょう。
彼等は14歳〜という海軍でも最年少の兵士達であり、本来は海軍の将来を担う幹部となるはずでしたが、戦争の中で5,000名を超える特年兵が戦死。
その後の戦後の歴史の中で、彼等の存在はだんどんと忘却されていきました。
ですが、益荒男達は間違いなく、戦火の中でその命を捧げて、御霊となっていった訳です。
この碑を拝んだ人々がその事実を忘れず、また彼等のような犠牲を二度と繰り返さぬことを心に刻むことこそが、死んでいった特年兵への一番の慰霊となるような気がします。
 
碑の表面、「海軍特年兵之碑」とある下には、香淳皇后*2の以下の御歌が刻まれています。

やすらかに
ねむれとぞ思ふ
君のため
いのちささげ志
ますらをのとも

 
また、碑の裏面には特年兵について書かれた解説があるので、是非とも拝んだ際には見ていくと良いと思います。
 

その他

水交神社の鳥居

水交神社鳥居
記事冒頭でも書いた庭園の中に、かつて水交神社*3の鳥居だったものだそうです。
鳥居横に立っていた看板の内容は以下の通りです。

‪水交神社鳥居の由来‬
 
この鳥居は、もと築地・海軍用地(現在の東京中央卸売市場)の水交社敷地内にあった水交神社の二代目の鳥居です。水交神社は、日清戦争に際し、海軍の戦勝を祈願し全国から寄せられた神符・護符を奉安し、また同戦役以後の戦没社員の霊を合祀するため創建された神社で、その初代の鳥居は戦利品の魚雷で作った異形のものであったため、明治四十四年に神明鳥居に建替えられました。
水交神社とその鳥居は、関東大震災の災禍をまぬがれ、昭和三年に水交社が芝区栄町(現在の東京タワー北西隣)に移転した際、同地に遷座されました。その后社殿は昭和二十年三月の東京大空襲で焼失しましたが、この鳥居だけは毀損をまぬかれました。しかし戦後、東京水交社の建物と共に進駐軍に接収され、その後曲折を経て昭和五十六年、同地に新しくビルが建てられる事になったので、鳥居は(財)水交会に返還され、同年六月十五日、由縁深い東郷神社に奉納されたものであります。 この鳥居は、半世紀もの間、変転する日本海軍を見つめつづけ、二度の大災禍にも堪えてきたものであります。
そして皇族方や海軍大臣以下多くの武官文官、また水交神社で結婚式を挙げた方など、この鳥居をくぐった人々は数えきれません。
 
以上

 

東郷神社
住 所:東京都渋谷区神宮前1-5-3
御祭神:東郷平八郎
末社等:海の宮(御祭神:海軍・海事・水産関係者および崇敬者の御霊)
    潜水艦殉国碑
    海軍特年兵之碑
創 建:1940年5月27日*4
H P:https://harajukutogo.wixsite.com/togojinja
 

 
この参拝の後我々は明治神宮へ向かいましたが、閉園にギリギリ間に合わず。
諦めてルノアールで時間を潰し、飲み会へと向かったのでした。
 
今回の更新はここまで。
次回はホテル近くで見つけた謎の御社について書きます。
 

脚注

*1:本来は国際信号旗だが、日本海海戦で旗艦に掲げられたため、必勝祈願の旗となった。

*2:昭和天皇の皇后。

*3:築地の水交社敷地内にあった神社。日清戦争以降の水交社社員戦没者の御霊を祀っていた。

*4:この日は戦前は海軍記念日であった。