燈蓮寺伽藍堂 -RISING FALCON-

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稲荷山②:楼門を抜け伏見稲荷の本殿に参拝、周辺も見る

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はじめに

前回 の続きで、今回は伏見稲荷大社の楼門と本殿などについて。
 
本殿周辺マップは以下の通り。(※画像が粗い場合は、クリックした先で「オリジナルサイズを表示」を選ぶと大きいサイズが表示される。)

 

楼門


表参道を進んでいくと、階段の上に巨大な楼門が建っている。この楼門は、豊臣秀吉が母である大政所が病気から回復するように祈願し、その後回復の御礼として境内整備を行った際に建てられたと伝えられている。なおこの建物は国の重要文化財だ。
伏見稲荷大社」と書かれた巨大な扁額は装飾がとても立派。また、門の両側には随神像が安置されている。
 

外拝殿、内拝殿、本殿


楼門の後ろには外拝殿が建っており、こちらも重要文化財に指定されている。
外拝殿に吊るされている灯籠をよく見ると、全て図柄が星座のモチーフとなっているのが面白い。
 
外拝殿の背後には、内拝殿と本殿が建っている。(内拝殿及び本殿は撮影禁止のため写真はない。)
伏見稲荷和銅4年(711年)創建と伝えられる古社だ。かつて秦伊侶具*1が餅を弓矢で射たところ、餅が白鳥に変化し当地に飛来、その場所に稲が成ったために社を建てたことに由来するとされている。
戦前の社格官幣大社で名称も単に「稻荷神社」だったが、戦後は現在の名称に改称した。
 
本殿は五座が並んでおり、御祭神は宇迦之御魂大神(中央)、佐田彦大神*2(左から2番目)、大宮能売大神(右から2番目)、田中大神(左から1番目)、四大神(右から1番目)という五柱を祀っている。これら五柱の総称が「稲荷大神」とされる。
元々本殿は宇迦之御魂大神佐田彦大神大宮能売大神の三柱を祀る社だったが、『梁塵秘抄*3の頃には五柱を祀るように変化していたらしい*4
なお、四大神は不明な点が多い神で、『古事記』に名前が見える若年神、夏高津日神、秋比売神、久久年神の四柱のことを指しているとも言われる*5
因みに本殿も当然ながら重要文化財となっている。
 

伏見稲荷大社
御祭神:宇迦之御魂大神佐田彦大神大宮能売大神田中大神、四大神
 

 

権殿


本殿の左後ろには権殿が建っている。権殿とは、本殿を修理する際に、祀られている神を一時的に遷座する社殿だ。かつては「若宮社」という名前でも呼ばれ、本殿以外の摂末社の修理の際も利用されていたとのこと*6
現在のものは寛永12年(1635年)の再興だが、元々は少なくとも明応8年(1499年)には権殿が存在していたらしい。
 

遥拝所


けっこう気付かずにスルーする人が多いけど、本殿真後ろには遥拝所が設置されている。これは稲荷山に祀られる稲荷大神を遥拝するための場所だ。
足を痛めている人は山頂まで行けなくても、ここから拝むと良いかもしれない。
 

エレベーター


最近、遥拝所の横の辺りに千本鳥居の辺りに上れるエレベーターが新設された。
車椅子や足が不自由な人専用のため、一般客は利用不可のようだ。
 

脚注

*1:秦氏は通常は始皇帝後裔とされるが、『伏見稲荷大社年表』(伏見稲荷大社御鎮座一千二百五十年大祭奉祝記念奉賛会・編)収録の秦氏系図によれば、伊侶具は賀茂建角身命下鴨神社御祭神)の24世の後裔にあたる賀茂久治良の末子と記されている。

*2:猿田彦命の別名とされる。

*3:後白河法皇が編纂した今様集。

*4:伏見稲荷大社御鎮座千三百年史』(伏見稲荷大社御鎮座千三百年史調査執筆委員会・編)14~15頁

*5:同上16頁

*6:同上478頁