はじめに
前回の記事で書いた松江杵築往還を進んでいくと丁字路に突き当たるので、右に曲がる。
そこから進んで行くと、右側に仮之宮公会堂という集会所の建物が見えてくる。
そして公会堂の向かい側には小さな駐車場が存在している。
水神碑
その駐車場の一角の塀の陰の気付きにくい場所に、水神碑が祀られている。
石碑の周りに由緒書等は無く、詳しいことは分からない。
目の前に覆い屋根の付いた構造物があるが、もしかするとこれは井戸で、その井戸を守る水神様なのかもしれない。
脚注
無し
前々回の記事で書いた十王堂から道路を渡った向かい側に、墓地(市営の安養寺墓地というらしい)の横を通る小道がある。
実はこの小道は因佐神社の記事や大歳社の記事でも触れた、松江杵築往還という道の一部であるらしい(大歳社からこの小道までは国道431号と重なっているようだ)。
そんな松江杵築往還に沿って幾つかの帝国陸軍の兵隊さんの立派な墓石が並んでおり、その間に石仏が祀られている。
祀られている石仏は墓石に比べるとかなり小さく、よく見ていないと見落としてしまいそうだ。
見たところ地蔵尊のようだが、由緒書等は無いため詳細は分からない。
ただ全体的に風化していながらも顔の部分だけが後から補修されているような気がするので、大事にお祀りされているのだろう。
【地蔵尊?】
住 所:出雲市大社町杵築北2589 安養寺墓地
御本尊:地蔵尊?
社祠等:無し
創 建:不明
H P:無し
無し
八大荒神社の社殿はかなり立派で、出雲らしく太い注連縄も取り付けられている。
これだけ立派な神社ということは、この周辺の地区を氏子としているのかもしれない。
今回行った時には由緒書の掲示も無く、全く詳細が分からなかった。
しかしGoogleマップでストリートビューを見ると、少なくとも令和元年(2019年)までは入口の鳥居の横に由緒書の掲示が立てられていたらしいことが分かる。
また、Googleマップに他の人が上げていた由緒書の写真によれば御祭神は玉依姫命であり、地誌『雲陽誌』に「荒神」として記載があるため少なくともこの本が纏められた享保2年(1717年)には既に存在していたとのこと。
実際、島根大学附属図書館が公開しているデジタルアーカイブで『雲陽誌』を見てみたところ、神門郡の3巻目の假宮の項目に伊那佐社(因佐神社)と大歳明神(大歳社)の間に確かに「荒神」と記されていた*1。
ところで、八大荒神社というからには八大荒神という名の荒神様を祀るものかと思っていたが、玉依姫命が御祭神というのはどういう訳だろうか。
もしかすると明治の頃辺りに、御祭神の切り替えがあったのかもしれない。
なお八大荒神について調べてみると、日文研HPのデータベース検索にて八大荒神は岡山県の遍照寺の鎮守であるとの情報が出てきたが、詳しく該当の論文を読んでいないので詳細は分からない*2。
*1:黒沢長顕・斎藤豊仙・黒沢長尚編『雲陽誌 神門郡 3』(1717年)(島根大学附属図書館デジタルアーカイブでは67コマ)
*2:国際日本文化研究センターHP「データベース検索ページ」参照。