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東京旅行記
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その2:鳩森八幡神社に富士山を見た
その3:東郷神社は原宿のど真ん中に
その4:八代龍王社と八代龍王社元宮
その5:早大の向かいの穴八幡宮
その6:神楽坂寺社巡り~神保町へ
その7:花房稲荷神社と講武稲荷神社、秋葉原神社跡地
その8:神田明神と湯島聖堂
その9:狸像が可愛い柳森神社
その10:沖田総司も参拝した六本木ヒルズ近くの櫻田神社
その11:出雲大社は六本木駅徒歩1分の場所に
柳森神社に向かう
今回は柳森神社へと向かいます。
まず神田川を渡る必要があるのですが、気を抜いていると見落としてしまいそうな場所に橋があります。
その橋とは、ブックオフ秋葉原駅前店の向かい側の和民の横、細い路地の先に架かる「神田ふれあい橋」です。
この橋は新幹線工事の際に設置され、その後地元の要望により撤去せずに使用され続けているとのことです。
橋からは「柳森神社」という看板が見えます。
柳森神社
社殿
橋を渡り切って左折して直進すると、柳森神社の鳥居が見えて来ます。
境内は道路よりも低い位置にあるので、鳥居の辺りからだと神社の全景を見渡すことが出来ます。
本殿や様々な末社、富士塚跡などが有るのが分かります。
こちらが柳森神社の社殿です。
御祭神については少々不明点があります。
まず『東京都神社名鑑』(編・東京都神社庁、1986年)によれば、御祭神は倉稲魂命と保倉命*1。
次に東京都神社庁のHPによると、御祭神は倉稲魂大神と他7柱となっていますが、7柱の詳細については不明です。
また由来記には伏見稲荷大明神を祀ったことしか書かれていません。
由来記全文は以下の通り(適宜改行、句読点を打っています)。
柳森神社由來
今を去る五百余年の昔この東京が武藏野の原と稱し足利時代の頃、長禄二年太田道灌公江戸築城の時、その東北方即ち此所に城郭鎮䕶鬼門除けとして京都伏見稲荷大明神を勸請して御祀り申し上げ、神田川土堤一帶に柳の木を多數植え繁茂したるに依り、柳原の名と共に柳森神社の起源となった。
其の後江戸城を中心に年を追って江戸八百八町は繁榮し、この柳森神社も商賣繁昌の神として非常に殷賑を極めたものである。
元禄と文政の頃には、德川家より社殿造營の寄進があり、其の造營物は大正十二年九月一日の関東大震災にて惜くも烏有に帰した。
尚其頃迠この周邊には柳町、小柳町、元柳原町、向柳原町、柳原河岸などと柳に因んだ町名の有ったことも、此の柳の森より起因したものである。
昭和三十年が當神社創建鎮座五百年祭に相當するので、崇敬者の發願に依って記念事業として此の神樂殿を建立し、同年五月十五日落慶大祭を執行した次第である。
例大祭は毎年五月十四日・十五日
昭和三十六年五月吉日
献額神田須田町二丁目一七会有志
(以下、献額者名のため省略)
※「御由緒」中に「長禄二年」とあるのは「康正三年」の誤りか
【2019年03月29日 追記】
国会図書館で『柳森神社略誌』(柳原義雄・著)を確認しました。
この本は1955年当時の柳森神社の宮司さんが著したものです。
3~4頁によると、御祭神は倉稲魂命、合殿は富士浅間大神(御祭神:木花咲耶姫命)と稲荷大神(御祭神:保食命)となっています。
富士浅間大神は浅間神社との記述もあるので、現在富士塚跡地に祀られている浅間神社のことでしょうか。
稲荷大神の方は御祭神が保食命なので、こちらは『東京都神社名鑑』の記述と一致します。
この保食命はもとは金亀山稲荷神社といい、大田道灌が江戸城に居た頃に戌亥の方角の鼠穴(そけつ)という地に祀られていた稲荷社とのことです。
幸神社
本殿のすぐ目の前にある社です。
御祭神は伊弉冉命、稚産霊命*2、倉稲魂命、誉田別命の4柱です。
近くに幸神社の由緒書がありますが、所々風化して文字が判読不能になっています。
【2019年03月29日 追記】
『柳森神社略誌』の7頁によると、御祭神は伊邪那伎命、豊宇迦之女命、誉田別命、倉稲魂命、息長足姫命*3、稚産靈命、武内宿禰*4の7柱となっています。
また、この神社は後小松天皇の御代に創建で、増上寺の大門の辺りにあったようです。
福寿神祠
こちらは幸神社の隣りにある福寿神祠。
その名の通り福寿神が御祭神です。
由来が掲示されており、内容は以下の通りです。
おたぬきさん 福寿神御由来
江戸開府以来、年と共に諸制度も完備して、漸く泰平の世を迎えた五代将軍綱吉公の御代、将軍のご生母桂昌院様によって江戸城内に福寿いなりと称して創建された。
桂昌院様は、京都堀川の生まれ、八百屋の娘が春日局に見込まれて、三代将軍家光公の側室となり、五代将軍綱吉公のご生母となる。
大奥の御女中衆は、他を抜いて(たぬき)玉の輿に乗った院の幸運にあやかりたいとこぞってお狸さまを崇拝したという。
後世、元倉前甚内橋際 向柳原の御旗本、瓦林邸内に祠を移し祭祀される様になり、明治二年現在の柳森神社に合祠されました
開運、諸願成就の福寿神として、殊に近年は他を抜いて受験、勝運、出世運、金運向上などにご利益があると信奉されております。
なお当社において頒与する、”おたぬきさん”と呼ばれる土製の親子狸のお守りは、素朴で、たいへん愛されております。
水神・厳島大明神、江島大明神
金刀比羅神社の横、境内の水辺に架かる小さな橋の先にある社です。
厳島大明神と江島大明神ということは、宗像三女神(田心姫神、湍津姫神、市杵島姫神)を祀っているのでしょうか。
明徳稲荷神社
こちらは明徳稲荷神社です。
由来等は不明ですが、稲荷神社なので御祭神は倉稲魂命かと思われます。
富士塚跡
全景
境内には富士塚の跡地もあります。
かつてはちゃんと富士塚があったようなのですが、戦後に富士講が廃れてしまい、1960年に富士塚は破却。
残った石を積み上げたものがこの跡地だそうです。
様々な石碑が置かれています。
三柱乃大神碑
頂上部分には「三柱乃大神」と刻まれた石碑が。
この「三柱乃大神」がどの神様のことを表しているのかは分かりませんでした。
その他末社について
最初に言及した『東京都神社名鑑』には、末社として猿田彦神社と熊埜皇大神社が挙げられています。
名前からすると、前者は猿田彦命、後者は伊邪那美命が御祭神でしょう。
境内には社が見当たらず、特に由緒書等も無いので詳細は不明です。
【2019年03月29日 追記】
『柳森神社略誌』の4~5頁によれば、末社として八辻稲荷(御祭神の記述は無いですが倉稲魂命でしょうか)、猿田彦神社(御祭神:猿田比古命)、熊野皇太神(御祭神:伊邪那美命)、稲荷神社(御祭神:保食命)、末広いなり(御祭神:倉稲魂命)、信太三社(御祭神:不詳)とあります。
信太三社については調べてもよく分かりませんでした。
いずれも現在はどうなっているのか不明です。
また15~16頁には、摂社として神田須田町1-1にある出世稲荷神社が摂社として掲載されています。
狸、狸、狸
記事のタイトルにも書きましたが、この神社は狸の像が多くあります。
そのどれもが個性的で愛嬌があって可愛いです。
上の写真の中だと、真ん中の像がお気に入りです。
【柳森神社】
住 所:東京都千代田区神田須田町2-25-1
御祭神:倉稲魂命、保倉命
または
倉稲魂大神、他7柱
末社等:幸神社(御祭神:伊弉冉命、稚産霊命、倉稲魂命、誉田別命 または 伊邪那伎命、豊宇迦之女命、誉田別命、倉稲魂命、息長足姫命、稚産靈命、武内宿禰)
福寿神祠(御祭神:福寿神)
金刀比羅神社(御祭神:大物主命)
境内社(御祭神:厳島大明神、江島大明神)
境内社(御祭神:秋葉大神)
明徳稲荷神社(御祭神:倉稲魂命?)
富士塚跡
∟浅間神社(御祭神:木之花咲耶姫命)
∟三柱乃大神碑
∟小御嶽大神碑
八辻稲荷(御祭神:倉稲魂命?)
猿田彦神社(御祭神:猿田比古命)
熊埜皇大神社(御祭神:伊邪那美命)
稲荷神社(御祭神:保食命)
末広いなり(御祭神:倉稲魂命)
信太三社(御祭神:不詳)
創 建:1457年?
H P:東京都神社庁「柳森神社」
さて、永らく書いてきた東京旅行記も後2回で終了です。
今回は以上です。