燈蓮寺伽藍堂 -RISING FALCON-

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稲荷山その01:伏見稲荷大社の大鳥居から表参道の末社へ

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<2022年10月 記事内容改訂>

はじめに

外国人に人気の観光地、というものがある。
京都でいえば清水寺祇園、嵐山などがそうだ。
中でも人気なのは伏見稲荷大社*1
詳しくは分からないが、日本を象徴する神社の鳥居、それも朱色の鳥居が山頂へ向かって幾千と並ぶ光景が心を打つのかもしれない。

そんな伏見稲荷だが、今年の9月末辺りはちょっと様子が異なっていた。
今までは人波が延々と続く有様だったのに、この時は圧倒的に人が少なく悠々と写真が撮れる上に、外国人観光客についてはほぼ居ない。
このコロナの御時世なので当然といえば当然なのだが、なんだか新鮮な感じがした。

という訳で、今回以降は伏見稲荷が鎮座する稲荷山について書いていく。
先日撮った写真だけでなく、前に撮った写真も織り交ぜながら紹介していけたらと思う。
特に但し書きがない場合、今年(2020年)撮ったものだ。
全体量としては、記事を分けてもかなり長くなりそうな気がするが、全部書き切るまで何日かかるかは不明だ。

今回のマップは以下の通り。
(※画像が粗い場合は、クリックした先で「オリジナルサイズを表示」を選ぶと大きいサイズが表示される。)

JR京都駅から


伏見稲荷に鉄道で向かうには、JRと京阪電車の2つの選択肢があるが、この時は京都駅からJR奈良線稲荷駅へ向かうことにした。
改札を出ると、目の前に朱色の第一鳥居が聳えていて、ここから本殿まで表参道が一直線に伸びている。
なお自転車を押して鳥居をくぐっている人が居るが、実は参道の途中の右手側の駐車場の一部が駐輪場になっている。


なお年代不明(大正頃か?)の古写真を見ると、周囲の風景は多少異なっているが本殿へ向かう真っ直ぐな石畳の参道は同じ雰囲気だ。

熊野社



駐輪場向かい側に末社が三社並んで建っている。
左から熊野社、藤尾社、霊魂社だ。

熊野社は伊邪那美大神を祀る。
この社殿は元禄7年(1694年)建立だが、熊野社自体は平安時代から存在している。
熊野行幸の折に上皇が立ち寄るのだから随分と由緒のある社だ。
かつては「熊野権現」の名で祀られていたらしい*2
社殿は現在地に昭和34年(1959年)に鎮座されたもので、重要文化財に指定されている。

藤尾社



藤尾社は崇道尽敬皇帝*3の名を追尊された舎人親王*4を祀る。
元々ここ稲荷山の麓には藤尾社が鎮座していたが、室町時代後花園天皇の勅命により稲荷山山頂の稲荷社が麓に遷座
これにより玉突き的に藤尾社は藤森に遷座した。
この時の藤尾社は、現在は藤森神社の本殿東殿として祀られている。
その後藤尾社は天正17年(1589年)以前のどこかの段階で藤尾天皇の名で再興され、延宝8年(1680年)に社殿が建立された。
こちらも社殿は重要文化財に指定されている。

なお由緒書には延宝8年の社殿建立について、「天皇塚の崩れた跡に小社を新築」と書かれている。
舎人親王*5は現在では埋葬地不明となってしまっているが、もしやこの崩れた天皇塚こそが舎人親王陵だった可能性もあるのだろうか。

霊魂社



霊魂社は瑞穂講社*6・講務本庁の特別崇敬者等、伏見稲荷に関わりのある物故者を祀る。
因みにこの社殿は平成に修復を行った際に「多峯御社」の名が入った銘札が発見されており、元々他の社殿だったものが転用された可能性が示されているようだ*7

【熊野社】
御祭神:伊邪那美大神
【藤尾社】
御祭神:舎人親王
【霊魂社】
御祭神:瑞穂講社並びに講務本庁の特別崇敬者等の物故者

今回は以上。
次回は楼門と本殿周辺について。
 

脚注

*1:2019年にはトリップアドバイザーの「外国人に人気の日本の観光スポットランキング」で6年連続首位。

*2:伏見稲荷大社御鎮座千三百年史』(伏見稲荷大社御鎮座千三百年史調査執筆委員会・編)496頁

*3:読みは「すどうじんきょうこうてい」。

*4:天武天皇皇子にして淳仁天皇の父であり、清原氏の祖でもある。日本書紀編者も務めた。

*5:追尊天皇なので墓ではなく陵だろう。

*6:講務本庁の前身。

*7:伏見稲荷大社御鎮座千三百年史調査執筆委員会、前掲書、495頁