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<2022年3月 記事内容改訂>
はじめに
今回は上末社から千本鳥居まで。
今までの稲荷山の記事はこちら。
今回のマップは以下の通り。
(※画像が粗い場合は、クリックした先で「オリジナルサイズを表示」を選ぶと大きいサイズが表示される。)
上末社
伏見稲荷大社権殿の横から続く石段を上ると、左側に末社が並んでいる。
これらを総称して上末社と言うらしい。
左から順に長者社、荷田社、五社相殿、両宮社となっている。
なお、どの社殿も重要文化財の附指定となっている。
長者社
長者社は伏見稲荷旧社家の秦氏の祖神を祀る。
秦氏の祖神というと、伏見稲荷を創建した秦伊呂具だろうか。
境内社としては明応8年(1499年)には存在していたらしい。
現在の社殿は江戸時代前期の建立とのこと。
荷田社
荷田社は伏見稲荷旧社家の荷田氏の祖神を祀る。
由緒書の掲示によれば、荷田氏の祖である荷大夫の没後に、その霊魂を祀ったということらしい。
荷大夫というのは龍頭太夫とも呼ばれた荷田龍のことだろう。
ところで今回行ったら、前まであった由緒書の掲示が無かったので修理中なのかもしれない。
玉山稲荷社
両宮社のすぐ近くに玉山稲荷社が鎮座している。
元々は東山天皇*2が宮中で祀っていた稲荷で、崩御後に月読神社*3の社家である松室氏が洛中の旧宅で奉斎。
のち火災の難を避けて高野に遷座、その後明治7年(1874年)になって伏見稲荷境内に仮遷宮したという、色々と紆余曲折のあった社であるらしい*4。
供物所
玉山稲荷の左隣は供物所となっている。
ここは稲荷山の神に供物を納める建物で、格子の下の穴から入れる形式となっている。
稲荷山参拝に際しての祈祷所として、安政6年(1859年)に建てられた*5。
【玉山稲荷社】
御祭神:玉山稲荷大神
大八嶋社
玉山稲荷の前の道を北へ進むと、摂社で大八嶋大神を祀る大八嶋社が建っている。
由緒書の掲示によれば古くから社殿は存在せず、磐境により神地とする形態の社だ。
秦氏・荷田氏両社家に伝承が残ってっているらしく、秦氏によれば祀られるのはかつて荒神峰に鎮座していた地主神とされ、荷田氏によれば荷田氏遠祖の龍頭太(=荷田龍)関連の地であるとされる。
なお、大八島社の御祭神を本殿 に祀られている四大神であるとする見方も存在するようだ*6。
大八嶋大神
大八嶋社の向かって左隣に「大八嶋大神」と刻まれた石碑が建っている。
伏見稲荷大社が行ったお塚調査の記録である『お山のお塚』という本にも「大八嶋大神 大八嶋社北」と書かれているので、この碑もお塚だと考えて良いらしい*7。
啼鳥菴
納札所の横には啼鳥菴という休憩所が建っている。
建物は北山杉を使用した数寄屋造である*8らしく、中には稲荷茶寮が店を構えている。
テラス席からは八嶋ヶ池の景色を一望できる。
なおテラス席に座っていたら、八嶋ヶ池でスッポンらしき生物が泳いでいるのが見えた。
稲荷茶寮では稲荷パフェと宇治玉露を注文した。
稲荷パフェは米を材料としたトッピングが多数乗っている。
左側に飛び出しているのは揚げた稲穂だし、一番後ろにどんと鎮座している狐の絵の煎餅も米粉製。
鳥居も雲平という米粉の和菓子だ。
どれもこれも美味しかった。
玉露の方も「天慶」という種類で、とにかく旨みが凄く濃くて良い。
【啼鳥菴】
神馬舎
玉山稲荷横の鳥居から上へ向かうと、階段の手前に神馬舎が建っている。
玉山稲荷横の神馬舎は1体しか神馬像が祀られていなかったが、ここには神馬像と仔馬像の2体が祀られている。
なお先程の神馬舎にもこちらの神馬舎にも言えることだが、扉の隙間から数多の名刺が投げ込まれている。
どのような願いで投入しているのかは知らないけれど、多くの人から崇敬されているのが分かる。
奥宮
神馬舎前の階段の上ると、目の前に奥宮が現れる。
ここは摂社でも末社でもなく、別格社として境内社では一段上の存在となっている。
御祭神は本殿と同じく稲荷大神で、社殿も本殿同様の流造で建てられている。
天正年間(1573~1592年)に豊臣秀吉により修理が行われた。
この奥宮の社殿が、中世の本殿再建以前の旧本殿であった可能性も指摘されている*9。
千本鳥居
奥宮の右手側からは、かの有名な千本鳥居が伸びている。
何処までも続く朱の鳥居。
この幻想的な風景は外国人だけでなく、日本人のハートを捉えて放さないだろう。
例年ならただでさえ混んでいる所に観光客が鳥居の途中で自撮りなどをしているために大行列が発生するのだが、今年は疫病のせいで人は少なく、この写真のように人の写っていない千本鳥居も撮り放題だった。
【千本鳥居】
さて、今回は以上。
次回は奥社奉拝所について。