燈蓮寺伽藍堂 -RISING FALCON-

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稲荷山その06:奥社奉拝所参拝後、横にある命婦谷のお塚を見る

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<2022年3月 記事内容改訂>

はじめに

今回はは奥社奉拝所とその横にある命婦谷というエリアについて。
今までの記事ではお塚(稲荷山にある神名碑)は東丸神社の裏手の路地にあるものや大八嶋社の横のものなど単発のものを紹介してきたが、今回からは複数基が固まって祀られているものがついに登場する。
 
今までの稲荷山の記事はこちら
 
マップは以下の通り。
(※画像が粗い場合は、クリックした先で「オリジナルサイズを表示」を選ぶと大きいサイズが表示される。)

 

奥社奉拝所周辺

奥社奉拝所


千本鳥居を進んで行くと奥社奉拝所に突き当たる。
奥社奉拝所は稲荷山に祀られる神々を遥拝する場所で、かなり立派な社殿と拝殿が備えられている。
奥社について最初に記録に見えるのは、明応の頃(1492~1501年)の記録に「奥院」と書いてあるようなので、500年以上の歴史があることになる*1
かつては「命婦社」とも称されたようで、『京都官幣大社伏見稲荷神社御山明細図絵』には「命婦社」と記載がなされている*2
また、『伏見稲荷神社御山独案内』には「命婦神社」との記載がある*3
 

遥拝所


奥社奉拝所の裏にも、本殿裏にあったような遥拝所が存在している。
奥社奉拝所もお山の遥拝所のはずなので、役割が被っている気もするがよく分からない。
なお、かつての遥拝所の鳥居の写真を見る限り現在の位置よりも少し低い位置に立てられていたようだ*4
 

おもかる石



奥社奉拝所で一番人気があるスポットはここかもしれない。
本来の観光シーズンならこの石を持ち上げるのに長蛇の列が出来ているところだが、今回行った時は時節が時節だけにかなり空いていた。
 
おもかる石は、願掛けをしてから石を持ち上げた時に想定していたより石が軽いと感じたら願いが叶うとされている。
自分も持ち上げてみたが、思っていたよりは軽かったので、願いは成就するかもしれない。
ただしその辺の石よりは確実に重いので、肩や腰の調子が悪い人はやめておいた方が無難だろう。
 

後醍醐天皇御製碑



この石碑は、後醍醐天皇が詠んだ「ぬば玉のくらきやみ路にまよふなりわれにかさなむ三つのともし火」という御製と、それにまつわる由来が刻まれている。
曰く、後醍醐天皇が延元元年(1336年)に吉野に脱出する途中で暗闇に迷い、何とか稲荷社に到達。
御製と共に稲荷大神に祈願したところ、赤雲が現れて大和に至る道を示したのだという。
かつてこの御製は「ぬばた舞」という神楽として舞われていたらしいが、今でも演じられているのかは不明*5
 

現状不明のお塚

伏見稲荷大社が昭和40年(1965年)に出版した調査記録の『お山のお塚』では、場所の欄に「奥社奉拝所裏」と書かれたお塚が荒木大明神*6・石宮大明神*7・金光大明神*8・国永大明神*9・春姫大明神*10の 5柱が掲載されている。
これらは『お山のお塚』を最初から最後まで眺めて目に入ったものをピックアップしただけなので、見落としがあるかもしれない。
そして今回現地を見た限り、この5柱の名前が刻まれたお塚を見つけることは出来なかった。
どこか見えない位置にあったのか、別の場所に遷されたのかは定かではない。
 
完全に余談だが、『お山のお塚』に掲載されているが現在では場所がよく分からないお塚というのは他にもある。
例えば、水火大明神の鎮座地は「御膳谷勤番所裏」とあるし*11、八周明神の鎮座地は「御窯所」とある*12
御膳谷勤番所はもしかすると現在の御膳谷奉拝所にある社務所のことかもしれない。
御窯所についてはどこのことなのか全く分からない。
 

【奥社奉拝所】
 

 

命婦


奥社奉拝所の周辺は命婦谷と呼ばれている。
鬱蒼と茂った木々や竹に囲まれた場所だ。
風が吹けば高く伸びた竹の先端がこすれ合う音だけが響く。
 
奥社奉拝所そばの大薮茶亭という茶店の横に、下へ降りる階段がある。
この階段を使うの人は、大抵はその先のトイレに用がある人だけだろう。
実はすぐ近くにお塚があることを知っている人が余り居るとは思えない。
 

『お山のお塚』では「命婦谷」と書かれているのがこの場所に当たる。
一番真ん中のお塚には、右から虚空藏大神、福髙大神、金𠮷大神と刻まれている(「藏」の字はくずし字)。
お塚は稲荷大神に好きな神名を付けて祀ると言われるが勿論稲荷大神以外の神を祀る場合もあって、この虚空藏大神なんかはまさにその良い例だろう。
それにしても普通は虚空蔵菩薩として仏様として祀られるのに、ここでは神様として祀られているのは中々面白い。
お塚信仰は元々民間信仰ベースなだけに、神仏習合何でもありな気風がそのまま残ってるものと思われる。
 


この命婦谷には、他にも日の出大神とか照𠮷大明神といった、よく知らないけどめでたそうな名前の神様が沢山祀られている。
 

また、一番スタンダードな稲荷大神を祀るお塚もあった。
 

お塚の手前には、狛犬や狛狐ならぬ狛狸とでも言うべき像が鎮座している。
狛狸の奥に置かれた狸の置物も可愛い。
 

命婦谷】
御祭神:虚空藏大神、福髙大神、金𠮷大神など
 

 

きよめの滝



命婦谷のお塚の直ぐ横の道から下の方に降りていくと「きよめの滝」という滝場があって、そこにもお塚が多数鎮座しているらしい。
「らしい」というのは、私自身は見に行っていないからだ。
稲荷山はここ数年イノシシが出るようになっていて、正直言うと流石に人気のない(それこそ面白半分で探索する外国人観光客でも居ない限り本当に誰も居ない)場所に踏み込む勇気がなかったのだ。
 

【きよめの滝】
 

 
今回は以上。次回はについて。
 

脚注

*1:伏見稲荷大社御鎮座千三百年史調査執筆委員会・編『伏見稲荷大社御鎮座千三百年史』(2011年)494頁

*2:神谷楢次郎・編『京都官幣大社伏見稲荷神社御山明細図絵』(カミヤ印刷所、1922年)6頁

*3:松岡貞治郎『伏見稲荷神社御山独案内』(1913年)表面

*4:南日義妙『稲荷をたずねて』(文進堂、1974年)75頁

*5:南日、前掲書、75頁

*6:伏見稲荷大社社務所『お山のお塚』(1965年)6頁

*7:同書、13頁

*8:同書、36頁

*9:同書、49頁

*10:同書、167頁

*11:同書、96頁

*12:同書、162頁