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稲荷山その10:伝法池の北にある福徳社

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<2022年3月 記事分割に伴い当記事新設>

はじめに

今回は伝法池の北にある福徳社について。
 
今までの稲荷山の記事はこちら
 
マップは以下の通り。
(※画像が粗い場合は、クリックした先で「オリジナルサイズを表示」を選ぶと大きいサイズが表示される。)

 

福徳社

伝法池から


伝法池の神塚と月日之宮本宮の前の道をそのまま進んで行くと、草むらの中を通り抜けることができる。
 

この先には福徳社という場所があり、お塚が祀られている。
伏見稲荷大社のお塚調査記録である『続お山のお塚』において、「伝法池の北」と書かれているエリアがここに当たる。
 
他の資料には以下のように書かれている。
まず『伏見稲荷大社 大祓御神徳記』*1(以下、『大祓御神徳記』)では、「伝法池福徳社」というエリア名で書かれている*2
次に『京都官幣大社伏見稲荷神社 御山明細図絵』(以下、『御山明細図絵』)では、エリア名こそ書かれていないがお塚と茶店があったことが記されている*3
更に『伏見稲荷神社御山独案内』では、「三嶽教会*4」の横に「福徳明神」の名が見える*5
そして『伏見いなり大社参拝の栞』には、「伝法ヶ池」にある「武村家」の北に「杉ノ屋」なる茶店らしき建物が描かれている*6
 
また昭和31年(1956年)に出版された『京都案内記』という本には、「この稲荷山のあちらの峯こちらの山かげに命婦社、福徳、熊鷹、田中、眼力、薬力其の他大きな明神の祠があり(後略)」という記述で稲荷山各所の名だたる社と並んで挙げられているので、もしかするとかつては崇敬者が沢山訪れていたのかもしれない*7
 

金龍大神、福徳大神、戸光津大神?




福徳社の鳥居をくぐった先には、この場所の一番メインであると思われる塚台が置かれており、その上にお塚が鎮座している。
一番右は金龍大神、真ん中は福徳大神だ。
一番左は資料により記載が異なる(これはお塚に刻まれた文字が崩し字のため、著者によってこの字だと判断した文字が異なるためと思われる)。
 
詳細は次の通り(『大祓御神徳記』『稲荷詮索誌』『御山明細図絵』では神名末尾の「大神」の文字は最初から省略されている)。
まず『続お山のお塚』によれば「戸光津大神」と記されている*8
次に『大祓御神徳記』では「戸光滿」と記されている*9
更に『稲荷詮索誌』では「戸光浦」と記されているのがこのお塚だと思われるが、残念ながら国会図書館デジタルコレクションでは対応するマップを見つけることは出来なかった(欠頁に載っていたのかもしれない)*10
そして『御山明細図絵』には「石光洲」という神名が書かれているが、これもこのお塚のことを示しているものと思われる*11
 
台座に刻まれた名前から、上野組というグループの人々がお塚を建立したことが分かる。
また、同じく台座に刻まれている瑞穂講社とは伏見稲荷大社の講務本庁の前身だ。
 

先程の写真を見ても分かる通り、お塚はどんどん傾いている。
伝法池の神塚と同様に、塚台が陥没してしまったのかもしれない。
2022年現在では、福徳社を清掃している人から上野組や建立関係者に対する修復願いの貼紙も出されていた。
自分としても、関係者は早急に連絡して欲しいと願っている。
 

金力大神


金龍大神の右側に祀られているのは金力大神だ。
由緒はよく分からないけど、なんだか金運を司ってくれそうな神名だ。
 

鬼光大神・鬼吉大神、鬼鷹大神、福壽大神




福徳大神に向かって左手側には3つのお塚がある。
右から鬼光大神と鬼吉大神、鬼鷹大神、福壽大神となっていて、鬼がつく神名が多いのが印象的だ。
 

順貞大神・權太夫大神・順光大神、繁栄大神・春秀大神・末峯大神


2020年に参拝した際には、拝殿の柱に「奥も参拝して下さい」と書かれたホワイトボードがかけられていた。
 

どうやら、この空き缶などが吊るされた物置小屋を抜けた先にもまだお塚があるらしい。
意を決して先へ進む。
 


小屋を抜けたすぐ先に順貞大神・權太夫大神・順光大神を祀るお塚と、繁栄大神・春秀大神・末峯大神を祀るお塚が並んで建っている。
太夫大神は荒神峰の田中社神蹟に祀られる神だ。
そのほかの神名は由来不明。
なお順貞大神・權太夫大神・順光大神の方は台座を見る限り、岐阜市の浅野屋という所が建立したらしい。
 

一本杉大神


先述のホワイトボードには一本杉大神の名前も記載されていたが、2020年に参拝した際にはその方向を見渡しても草木が生い茂り蜘蛛の巣があちこちに張られているばかりで、何も発見できていなかった。
そのため2022年の参拝では何とか手掛かりだけでも掴めないかと思い、周囲を探索することにした。
 

誰も住んでいなさそうな住居を横目に、取り敢えず前方の木まで進んで行く。
 

すると前方の木の足元に石祠らしきものがあるのに気付いた。
 



木の方に回り込んでみると、なんとそこに一本杉大神が鎮座していた。
木の陰にあるので、福徳社の方からは見えなかったのだ。
もし一本杉大神に参拝したい人が居たら、行くなら冬の雪がない時期が良いと思われる。
何故なら一度暖かい季節になるとこの辺りは蜘蛛の巣張り放題、羽虫飛び放題の虫天国になってしまうからだ。
 

余談

見当たらないお塚

先述の『続お山のお塚』や『大祓御神徳記』、『御山明細図絵』には多数の神名が記されているが、そこには福徳社の辺りにあるとされながらも今日では見当たらないものもあるので紹介していく(無論、自分が見つけられなかっただけの可能性もあるので御容赦願いたい)。
 
『続お山のお塚』収録のもので見当たらないのは光𠮷大明神だけだと思われる*12
『大祓御神徳記』収録のもので見当たらないのは光吉だけで、これは上記の光𠮷大明神と同じお塚を指していると思われる*13
『御山明細図絵』収録のもので見当たらないのは籔谷・鬼高・福春の3つだが、後ろ2つについては鬼鷹・福壽の誤記(又は誤認)かもしれない*14
 

廃墟




福徳社に隣接する建物は、多数が倒壊していて廃墟と化している。
廃墟が連なる様は中々にインパクトのある光景だ。
これらは恐らく、2018年に近畿一帯に甚大な被害を与えた台風21号によるものではないかと思う。
 

【福徳社】
御祭神:福徳大神、金力大神、一本杉大神など
 

 
今回は以上。
次回は熊鷹社とその周辺のお塚について。
 

脚注

*1:各種祝詞伏見稲荷大社の由緒、稲荷山の地図、お塚の神名一覧が書かれている資料。発行年は平成30年(2018年)となっているが、掲載されている地図や神名一覧などは旧字体で書かれているところから見て大正か昭和の頃のものがそのまま使われているのではないかと思われる。

*2:村田卓夫『伏見稲荷大社 大祓御神徳記』(中村風祥堂、2018年)裏面

*3:神谷楢次郎・編『京都官幣大社伏見稲荷神社 御山明細図絵』(カミヤ印刷所、1922年)表面

*4:今の神道御徳社の辺りか。

*5:松岡貞治郎『伏見稲荷神社御山独案内』(1913年)表面

*6:稲荷山青年団・編『伏見いなり大社参拝の栞』(ヨシミインサツショ、1929〜1939年頃)表面

*7:井手成三『京都案内記』(角川新書、1956年)102頁

*8:伏見稲荷大社社務所『続お山のお塚』(1966年)200頁

*9:村田、前掲書、裏面

*10:日向伝吉『稲荷詮索誌』(1914年)32頁(国会図書館デジタルコレクションでは24コマ目)

*11:神谷、前掲書、裏面

*12:伏見稲荷大社社務所、前掲書、282頁

*13:村田、前掲書、裏面

*14:神谷、前掲書、裏面