燈蓮寺伽藍堂 -RISING FALCON-

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稲荷山その12:三ツ辻から四ツ辻の御幸辺を行く

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<2022年10月 記事内容改訂>

はじめに

今回は熊鷹社の先にある三ツ辻から四ツ辻へと向かう、御幸辺(下)というエリアについて。

今までの稲荷山の記事はこちら

マップは以下の通り。
(※画像が粗い場合は、クリックした先で「オリジナルサイズを表示」を選ぶと大きいサイズが表示される。)

御幸辺(下)

熊鷹社から三ツ辻へ



熊鷹社横の階段を上がって行くと、三ツ辻と呼ばれるT字路に出る。
ここを左へ行くと玉姫社方面、右へ行くと四ツ辻方面に道が続いている。
この三ツ辻〜四ツ辻の道は、『お山のお塚』によれば御幸辺(下)というエリアになる*1
御幸辺(下)というからには御幸辺(上)も存在し、そちらは御幸奉拝所となっている。
この御幸辺(下)は意外と距離があり、その途中に点々とお塚が鎮座する様子は熊鷹社周辺とはまた違った味わいがあって良い。

因みにかつて昭和の頃は三ツ辻〜四ツ辻の間には茶店が7軒も建っていたらしい。
北尾鐐之助という人の『京都散歩』という本には、「三ッ辻から四ッ辻にかけては、可なり多くの茶店が並んでいる。三玉亭、京塚、瓢亭、三徳亭、勝利亭、三清支店、西村亭などみな立派で(後略)」とある*2
なお上記の記述で「三清支店」とありなぜ「支店」なのかと思ったら、清滝にあった「三清亭」が運営していた茶店の支店ということのようだ*3

三浦大神・青木大明神・金秋大神、東亰淺草朝丸大明神


京屋という茶店の向かいにあるのは、三浦大神・青木大明神・金秋大神の3柱を祀るお塚だ。
三浦大神と金秋大神は詳細不明だが、青木大明神は二ノ峰の中社神蹟に祀られる青木大神のことだろう。


このお塚の左後方をよく見ると、もう一つお塚があるのが分かる。
上側は「東亰淺草」、下側は草で隠れて見えないが『お山のお塚』によれば「朝丸大明神」と刻まれているとのこと*4
東亰淺草朝丸大明神の「亰」「淺」はそれぞれ「京」「浅」の異体字なので、つまりは東京は浅草の朝丸大明神という神様を祀っているということらしい。
ただ、この朝丸大明神という名前について調べてみたが情報は全く見当たらなかった。

大松大神、小松原大神、西髙大神・松岩大神


稲荷山でも屈指のインパクトを誇るこのお塚は、大松大神を祀っている。
なんと言っても瓢箪型というのが強烈だし、その瓢箪に巻いてある紐まできちんと再現されているのも素晴らしいと思う。
大松大神の御神徳は良運であり、また酒の神でもあるとのこと*5

大正14年(1925年)に出版された『伏見稲荷全境内名所図絵』にも名前こそ書かれてはいないが、三ツ辻から三徳社の途中の道に瓢箪型のお塚が描かれている*6ので、当時から一風変わったお塚として有名だったものと思われる。
ただし2009年以降の発行と思われる『稲荷山名所図会・霊峰稲荷山を巡る』に再録された『伏見稲荷全境内名所図絵』には大松大神の記載があるので、どこかで図絵の内容が改訂されたのかもしれない*7

なお大松大神の右側は小松原大神、左側は西髙大神と松岩大神のお塚となっている。

一ッ星大神・三ッ星大神、黒田比古神、玉丸大神


こちらは三徳社より少し手前にあるお塚で、真ん中のお塚には一ッ星大神・三ッ星大神、右のお塚には黒田比古神、左のお塚には玉丸大神が祀られている。
どの神も由緒は不明だが、一ッ星大神・三ッ星大神はとても縁起が良さそうな神名なのが印象的だ。

清姬大明神・清丸大明神・大𠮷大明神・黒長大明神・天龍大



先程の一ッ星大神のお塚の左側の灯籠の横辺りをよく見ると、埋もれかけてはいるが上へと続く道があることが分かる。
ここを上っていくと、三徳社の後方の高い所にあるお塚を拝むことができる。


この場所には幾つかお塚が鎮座しているが、自分の目当てだったのがこのお塚だ。
ここには清姬大明神・清丸大明神・大𠮷大明神・黒長大明神・天龍大神の5柱が祀られている。

清姬大神については、「清姫」を冠するお塚は『お山のお塚』と『続お山のお塚』を見る限り稲荷山に21ヶ所*8も存在しているようだ*9*10
清丸大明神は詳細不明だが、「丸」は異体字なのが興味深い。
大𠮷大明神・黒長大明神も詳細不明。
龍大神については、傘杉エリアの天龍社に祀られる天龍大神と何か関係がある可能性はある。

三徳社



この御幸辺(下)エリアで一番メインの社はこの三徳社だと思われる。
三徳社の御祭神は三徳大神と大漁大神が祀られている。
三徳大神の「三徳」とは衣食住の徳のことで、願いを3つに分けて祈願すると良いらしい*11
また、共に祀られる大漁大神は稲荷山でもここにしか祀られておらず、魚河岸関係者や食品関係者の崇敬が篤いとのこと*12


なお時代不明(大正頃か?)の絵葉書を見る限りだと、かつては社殿が無かったのだろう。
写真左下に写る蝋燭立ての右側にある石柱は、現在でも鳥居の下の右脇に移され残っているようだ。

藥一大神、奥村大神・鞍馬大僧正、杉原大神・松永大神・小女郎大神



このエリアで最後に紹介するのはこのお塚だ。
真ん中のお塚には藥一大神、左のお塚は杉原大神・松永大神・小女郎大神の3柱、そして右のお塚には奥村大神と鞍馬大僧正を祀っている。

藥一大神は名前からすると薬の神様だろうか。
奥村大神は御膳谷の奥村社に祀られる奥村大神と関わりがあるかもしれない。
鞍馬大僧正は後の源義経である牛若丸に兵法を授けたと伝説に語られる鞍馬天狗の事だろう*13
この何でもありな感じが、稲荷山のお塚の醍醐味と言えるのかもしれない。
その他の神々は詳細不明。

四ツ辻


藥一大神から階段を上って行けば、四ツ辻へと出る。
ここからの眺めは遠くまで見渡せるので最高だ。

【御幸辺(下)】
御祭神:三徳大神、大漁大神、東亰淺草朝丸大明神、清姬大明神、鞍馬大僧正など

次回は御幸奉拝所について。
今回は以上。

脚注

*1:伏見稲荷大社社務所『お山のお塚別冊 塚台配置図』(1965年)新池堤

*2:北尾鐐之助『近畿景観 第三編 京都散歩』(蘭書房、1954年)358頁

*3:稲荷山青年団・編『伏見いなり大社参拝の栞』(ヨシミインサツショ、1929〜1939年頃)表面

*4:伏見稲荷大社社務所『お山のお塚』(1965年)5頁

*5:稲荷山共栄会『稲荷山名所図会・霊峰稲荷山を巡る』(発行年不明 ※2009年以降)裏面

*6:吉田初三郎・愛信会宣伝部『伏見稲荷全境内名所図絵』(バーザイビュー社、1925年)表面

*7:稲荷山共栄会、前掲書、表面

*8:内訳は、御幸辺(下)×1、荒神峰×3、白滝×1、清滝×2、一ノ峰×1、劔石×1、薬力×1、御産場東×1、八島滝×2、青木滝×3、七面滝×1、鳴滝×1、末広滝×3となっている。これは1965〜1966年の数字なので、現在では増減があるかもしれない。

*9:伏見稲荷大社社務所『お山のお塚』(1966年)45頁

*10:伏見稲荷大社社務所『続お山のお塚』(1966年)60頁

*11:稲荷山共栄会、前掲書、裏面

*12:同書、裏面

*13:コトバンク僧正坊」を参照。