はじめに
今回は将門塚の参拝記。
改修工事前、改修工事中、改修工事後のそれぞれについて撮ることができた。
将門塚
平将門公といえば平安時代の桓武平氏*1の武将で、承平天慶の乱を起こした東国の覇者だ。
伝説によれば、乱に敗れ京都で晒し首にされるも、首は遥か東方へと飛び帰りこの地に落ちたとされる。
そして首が落ちてからは天地が鳴動したため土地の人が首を弔う塚を建立した、というのがこの将門塚の始まりらしい*2。
徳治2年(1307年)には真教上人*3が将門公に「蓮阿弥陀佛」の名を贈り、その後日輪寺*4での供養と神田明神での奉祀が行われるようになった*5。
現在では、将門塚は皇居の近くで高層ビルに囲まれながらもその長い歴史と伝説を今に伝えている。
2019年10月19日参拝
最初にこの場所に参拝したのは2019年のことだ。
「南無阿弥陀佛」が刻まれた石碑の後ろの石塔は、(ガラスか強化プラスチックかは不明だけど)透明なケースに覆われていた。
また、塚の周囲には将門公の首が東に「帰る」ことに掛けて「カエル」の置物が多数置かれていた。
そして由緒書の掲示も上記のような感じだった。