嚴島神社
京都御苑の一番南、宗像神社の南東の辺りに嚴島神社が鎮座している。
境内に入るとすぐ池になっていて、池の中島に社殿があるのが分かる。
嚴島神社の御祭神は市杵島姫命・田心姫命・湍津姫命・祇園女御の4柱だ。
元々は平清盛が三女神を安芸国の嚴島神社から摂津国に勧請したことに始まる(神社はその後、摂津国から京に遷座し、藤原北家嫡流で五摂家の一つである九条家の邸内社として祀られていた)。
祇園女御は平清盛の母親とされる人物で、『平家物語』によれば白河院の寵妃として懐妊中に平忠盛に下賜され、御落胤の清盛を産んだことになっている(実際は祇園女御の妹が清盛の母であるらしい)。
また『京都神社誌』の記述によれば、相殿に倉稲魂神・大宮媛命・北野大神・度会春彦・田口達音・島田左衛門の6柱を祀るとしている*1。
北野大神は北野天満宮に祀られる菅原道真公だろうし、度会春彦は菅公の後見人、田口達音は菅公の教育係で岳父の島田忠臣(号・田達音)だろう。
となると島田左衛門というのも島田忠臣の親族だろうか。
但しこれらの神々が今でも相殿なのかはよく分からない。
社殿の目の前の鳥居は平清盛が建立した唐破風鳥居で、京都三珍鳥居の1つとされている*2。
由緒書の掲示によれば、この鳥居は紆余曲折を経て現在地に置かれているようだ。
元々は摂津国の嚴島神社にあったものを室町幕府管領・細川高国が自身の邸宅に移設(室町幕府滅亡の後に細川邸は徳川家康が後藤氏*3に与え、その邸宅となる)。
家康自身がこの唐破風鳥居を好んだことに因んで京都所司代の交代時には必ず巡見する鳥居となっていたが、1771年になって後藤玄乗が元々の由緒のある嚴島神社に戻した、という経緯らしい。
【嚴島神社】
住 所:京都府京都市上京区京都御苑
御祭神:市杵島姫命、田心姫命、湍津姫命、祇園女御、相殿神6柱?
社祠等:無し
創 建:平安時代末期
H P:菅原院天満宮神社「京都御苑厳島神社」