燈蓮寺伽藍堂 -RISING FALCON-

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橿原神宮と長山稲荷社、そして戦没者慰霊碑

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<2022年8月 記事内容改訂>

はじめに


先日2月11日に奈良県橿原市に行った。
「京はれてよき日昔の紀元節」という俳人・増田手古奈の句があるが、それをふと思い出すくらい良い天気だっだ。

途中、橿原神宮の横を通り過ぎると、建国記念の日だけあって上の写真の通りの盛況ぶりだった。
橿原神宮的にはこの御時世だけに参拝に来て欲しくはなかったようなので、自分は外から遥拝しただけで中には入らなかった*1
そのため、境内の写真は令和元年(2019年)に行った当時のものだ。
あれだけ人が集まっているのだから、境内に入らなくて正解だったとは思う。

今回は、そんな橿原神宮について書いていきたい。


なお境内の配置については、掲示されていた地図が分かりやすかった。
画像が荒くて文字が見づらい場合、画像をクリックして「オリジナルサイズを表示」を選ぶと多少見やすくなる。

橿原神宮

橿原神宮社殿




橿原神宮畝傍山の麓に広大な敷地を持つ、旧官幣大社にして勅祭社だ。
御祭神は神武天皇と皇后の媛蹈韛五十鈴媛命を祀っている。
御利益は開運や延寿などであるらしい*2

鎮座地としては、神武天皇が紀元前660年に初代天皇として即位した際に皇居とした畝傍橿原宮の跡地に建っている(という事になっている)。
創建は明治23年(1890年)4月2日なので、まだ130年ほどしか経っていない比較的新しい神社だ。

創建に際しては京都御所より賢所が本殿として、神嘉殿が拝殿(後に神楽殿に変更)として移築され、重要文化財に指定されていた。
ただ神楽殿の方は、平成5年(1993年)に境内で枯れ枝を燃やしていたところ引火・炎上し、焼失の憂き目に遭っている*3


なお明治44年(1911年)~大正15年(1926年)と神武天皇即位2600年に当たるとされる昭和15年(1940年)頃に、大規模な境内の拡張・整備等が行われた*4
自分が入手した上掲の絵葉書は、現在では見ることができないかつての橿原神宮の貴重な姿だ(戦前なのは分かるが、昭和15年頃の造営前なのか、それよりさらに前なのかは不明だ)。

長山稲荷社


境内には、奈良時代から存在すると伝わる深田池という大池がある。




その畔に長山稲荷社が鎮座している。
この社は宇迦能御魂神・豊宇気神・大宮能売神の3柱を御祭神としており、橿原神宮が創建される以前からこの地に地主神として祀られていた。
御利益は開運厄除・五穀豊穣・商売繁盛・家内安全などとされている。

若桜友苑



本殿北東の辺りに若桜友苑という公園がある。
若桜友苑は先の大戦での戦没者を慰霊するための公園であり、敷地内には慰霊碑が3つ並んでいる。

殉國之碑



一番右の慰霊碑は殉國之碑で、第十三期海軍甲種予科練の1005柱の御霊を祀っている。
予科練は当初は航空兵を育成する制度だったが、選局悪化に伴い特攻兵器搭乗員を多数輩出。
結局は戦死者・戦病死者1005名を数えるに至った。

瑞鶴之碑



真ん中の慰霊碑は瑞鶴之碑で、空母瑞鶴の戦没者の御霊が祀られている。
瑞鶴は昭和19年(1944年)10月25日にレイテ沖海戦のエンガノ岬沖で沈没。

鎮魂之碑


一番左は鎮魂之碑で、駆逐艦若月・駆逐艦初月・駆逐艦秋月・第六〇一海軍航空隊といった瑞鶴と縁のある駆逐艦や部隊の戦没者の御霊を祀っている。
若月は昭和19年11月11日、初月・秋月は同年10月25日に沈没。
第六〇一海軍航空隊は数多の海戦・陸戦に参戦し、終戦まで戦い続けたらしい。

橿原神宮
住 所:奈良県橿原市久米町934
御祭神:神武天皇、媛蹈韛五十鈴媛命
社祠等:長山稲荷社(御祭神:宇迦能御魂神、豊宇気神、大宮能売神
    殉國之碑
    瑞鶴之碑
    鎮魂之碑
創 建:1890年4月2日
H P:橿原神宮

脚注