燈蓮寺伽藍堂 -RISING FALCON-

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歩みくれば御社 桜花吹雪よ

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<2022年10月 記事内容改訂>

はじめに


桜が良い具合に咲いていると聞き、靖国神社へ花見に行ってきた。
なお、今回の靖国神社の境内図については、靖国神社HPのものが見やすい。



曇りだったのが少々残念だが、桜の名所とされるだけあって相変わらず見事な美しさだった。
大学生の頃は春休みだったので余り見る機会が無かったのが悔やまれる。
近くだったので、もう少し頻繁に花見に来れば良かった。


法政大学の学生歌に『歩みくれば御社』(あゆみくればみやしろ)という曲がある。
この曲の1番は「歩みくれば御社 桜花吹雪よ 鐘響くは学舎 ああ吾等が法政」という歌詞なのだが、靖国神社の桜が咲き誇る景色はこの歌詞に相応しいものだと実感した。


法政大学公式がYouTubeに上げている音源の映像(0:10〜)では大学内のどこか(多摩キャンパスだろうか)の桜が映っているが、「御社」とタイトルにも歌詞にも入っているので、本来であれば靖国神社の桜を映しておくべきだろう。
まあ「諸般の事情」で無理だろうが……。

靖国神社

靖国神社社殿




靖国神社明治2年(1869年)に東京招魂社として創建。
明治12年(1879年)に現在の靖国神社へと改称された。

意外と知られていないが、靖国神社は実は2座を祀っている。
まず1座は一般にイメージされる通り戦没者等246万6千余柱が御祭神で、幕末の志士や戊辰戦争から先の大戦までの内戦・対外戦争の官軍側の戦没者等を祀っている。
そしてもう1座には、北白川宮能久親王北白川宮永久王が祀られている*1
能久親王は台湾神宮をはじめとする台湾内の多数の神社の御祭神とされ、また永久王は張家口の蒙疆神社の御祭神とされていたが、戦後にどの神社も廃社となってしまったため、昭和34年(1959年)に靖国神社に合祀となった*2

靖国神社は今日でも首相や国会議員の参拝に関して何かとニュースになっている印象だが、8月15日以外は思ったよりは普通の神社だ。

元宮・鎮霊社



本殿の横には元宮と鎮霊社という境内社が鎮座している。
右が元宮、左が鎮霊社だ。
かつてはもっと近くで参拝できたが、相次ぐテロ等に対する警備強化を理由に近付けなくなり、手前から遥拝するしか参拝手段が無くなってしまった。

元宮

元宮は福羽美静(幕末の国学者で後に子爵、貴族院議員)が建立した招魂社だ。
はじめ文久3年(1863年)に京都の祇園社(現在の八坂神社)境内に建立されたが、少しして幕府に睨まれないよう福羽の自邸に遷座*3
更に昭和6年(1931年)になり、福羽家から靖国神社へと寄贈された*4

御祭神は維新の志士と、昭和6年に合祀された招魂社建立の功績者が祀られている。
志士は、佐禰津武之大臣之命(三条実万:幕末の公卿で三条実美の父、安政の大獄で処罰後に病没)、奈里安紀良之命(徳川斉昭:幕末の水戸藩主で徳川慶喜の父、安政の大獄により永蟄居中に病没)、公知之大命(姉小路公知:幕末の公卿で尊攘派急先鋒、猿ヶ辻の変にて暗殺)、吉田寅次郎之命(吉田松陰:幕末の長州藩士で松下村塾の指導者、安政の大獄で処刑)など46柱が祀られている*5
また功績者は、福羽文三郎源美靜命(福羽美静)をはじめとする14柱が祀られている*6
なお、志士の御祭神の中には建忍海豐眞楯男大人之命という人物が居り「岡恒城靈号」と注記してあるが、功績者の御祭神の中にも岡恒城命の名が見えるので、御祭神がダブってしまっている*7



更に昭和7年(1932年)からは明治天皇尊と大正天皇尊の2柱、昭和22年(1947年)からは関東州の忠霊塔に祀られていた諸祭神も元宮に一緒に祀られたが、昭和44年(1969年)の改築に伴う仮遷座の際に前者は昇神、後者は鎮霊社遷座となった*8
関東州の忠霊塔というと上掲の写真の大連忠霊塔か旅順白玉山表忠塔のことと思われるが、双方の忠霊塔の御祭神が祀られていたのか、どちらかの御祭神のみが祀られていたのかは分からなかった。

鎮霊社

鎮霊社は黒船来航の年である嘉永6年(1853年) を起点とした2座を祀る。
1座は、嘉永6年以降の戦争・事変により殉職・病没・自決するも靖国神社に祀られなかった諸命の御霊を祀っている*9
もう1座は、西暦1853年以降の戦争・事変で死没した諸外国人の御霊が祀られている*10
創建は1965年7月13日で、世界平和を固く決意していた筑波藤麿宮司の発案によるものであったという*11

常陸丸殉記念碑



第一鳥居の右側に近年新たに整備された慰霊の庭というエリアがある。
その中に慰霊碑として建てられているのが、この常陸丸殉難記念碑だ。
常陸丸は日本郵船の船で、日露戦争中は陸軍の輸送船として活躍した。
1904年(明治37年)6月15日に常陸丸は露軍の猛攻を受け、1000人以上の乗組員が死亡した。
なお、この碑の揮毫は東郷平八郎による。

田中支隊忠魂碑




常陸丸殉難記念碑の横には田中支隊忠魂碑が建っている。
大正8年(1919年)にシベリアに出兵していた歩兵第72連隊の田中勝輔少佐率いる田中支隊は、ユフタ付近まで進軍した際に先遣隊44名中41名が戦死、のち支隊主力150名も全滅、残った部隊も112名中107名が戦死という惨憺たる結果となった。

この忠魂碑は傷を負いながらも生還した隊員により戦友慰霊のために昭和9年(1934年)に九段下の牛ヶ淵に建立されたが、平成8年(1996年)に昭和館建設のため靖国神社境内に移設したとのこと*12

守護憲兵之碑



本殿左側の通路沿いには球形が特徴的な守護憲兵之碑が建っている。
これは戦没憲兵の慰霊顕彰碑だ。


碑の後側には何か祠のようなものが建っているが、これが何なのかよく分からない。

軍犬慰霊像・戦没馬慰霊像・鳩魂塔

軍犬慰霊像



遊就館の向かい側辺りには動物の像が3つ鎮座している。
そのうち一番左にあるのが軍犬慰霊像だ。
戦没したり或いは終戦後まで生き延びても日本に還れなかった軍犬の慰霊のため、平成4年(1992年)に建立された。

戦没馬慰霊像



真ん中にあるのは戦没馬慰霊像だ。
明治〜昭和までに戦没した100万頭の軍用馬の慰霊のために昭和33年(1958年)に建立された。

鳩魂塔


一番右側は鳩魂塔だ。
伝令として従軍する中で戦没した伝書鳩の慰霊のために昭和57年(1982年)に建立された。

その他

招魂斎庭



かつて戦没者を新規に合祀する際に招魂を行うために使われた招魂斎庭が一角に残っている。
流石に現在では使われないと判断されたためか、大半は駐車場となってしまっている。

神池庭園


境内の一番西側には神池庭園が広がっている。
今回行った時は桜の花びらが水面に浮かんでいてとても美しかった。



池に棲む錦鯉は上越新幹線開通記念として昭和57年(1982年)に奉納されたものであるらしい。

靖国神社
住 所:東京都千代田区九段北3-1-1
御祭神:戦没者等246万6千余柱、北白川宮能久親王北白川宮永久王
社祠等:元宮(御祭神:志士46柱、功績者14柱)
    鎮霊社(御祭神:靖国未合祀者の御霊、戦没外国人の御霊)
創 建:1869年6月29日
H P:靖國神社
 

脚注

*1:靖国神社・編『靖国神社百年史 資料編 上』(文唱堂、1983年)、309〜313頁

*2:同書、309頁

*3:村上重良『慰霊と招魂 -靖国の思想-』(岩波新書、2014年第6刷)8頁

*4:靖国神社、前掲書、512頁

*5:靖国神社、前掲書、512〜516頁

*6:同書、515〜516頁

*7:同書、515〜516頁

*8:同書、521頁

*9:同書、524頁

*10:同書、524頁

*11:毎日新聞靖国」取材班『靖国戦後秘史』(角川ソフィア文庫、2015年)136~142頁

*12:靖国神社HP「田中支隊忠魂碑」参照。