燈蓮寺伽藍堂 -RISING FALCON-

神社やら、旅行やら、過去の事やら。

大港神社再訪〜米子駅(仮駅舎)

山陰山陽記事記事一覧
社寺祠堂巡り記事一覧
 

はじめに


前回の記事で書いたゲゲゲの妖怪楽園を満喫した後は、水木しげるロードの1本北側の通りに面して鎮座している大港神社に参拝した。
こちらも4年ぶりの参拝だ。

大港神社

随神門




まず境内に入ってすぐの所に随神門があり、左右に随神が祀られている。
像の前にはきちんと賽銭箱も置かれている。

大港神社社殿




創建年は不詳とされるが、少なくとも慶安2年(1649年)の棟札が存在している*1
また大正4年(1915年)の『境港沿革史』には鎌倉右大将家(鎌倉将軍家)の勧請であるという伝承が載っているが、これが事実なら鎌倉時代の創建ということになる*2
また、かつては大港神社ではなく、八幡宮と呼ばれていた*3

大港神社の御祭神は、品田和気尊(応神天皇)・大帯姫尊(神功皇后)・比咩大神・武内宿祢命・亀井能登守安綱・須佐之男命・大己貴命事代主命・清若丸・手島四良三郎・小磯亦四郎の11柱だ*4
合併前の堺町長の足立正による『大港神社御昇格奉祝祭祝詞』という昭和8年(1933年)の郷社昇格の際の祝詞によれば、元々は応神天皇神功皇后を祀る社だったらしい*5
比咩大神は応神天皇神功皇后と共に八幡三所として祀られる神だが、どこかの段階で併せて祀られたのかもしれない。
武内宿祢命はかつての末社とのこと*6
亀井能登守安綱は尼子氏の一族の鈴垂城主であり、毛利勢の杉原盛重と合戦の末に自害、地元民に祟ったため大港神社東側の新八幡宮こと亀井神社(のち大港神社に合祀)の御祭神として祀られた人物だ*7*8
清若丸は亀井安綱の子息、手島四良三郎と小磯亦四郎は共に亀井安綱の家臣で、杉原盛重との合戦に際して全員落命しており、亀井神社に祀られていた*9
須佐之男命はもしかすると亀井神社に合祀されたという西灘神社の御祭神かもしれない*10
なお、大己貴命事代主命が祀られた経緯は分からなかった。

旧餘子神社

大港神社には上記の11柱以外に、以前隣接地に建っていた餘子神社の御祭神も祀られているという*11
餘子神社は創建年不明ながら藩主の崇敬も篤く明治以降も存在感を示していた神社で、稲田姫命・脚摩乳命・手摩乳命・大日孁貴命・素盞嗚尊・倉稲魂命を御祭神としていた*12
しかし昭和20年(1945年)に玉栄丸爆発事故(境町の岸壁で爆薬を荷揚げしていた徴用戦玉栄丸が爆発し、420名以上の死傷者を出した大事故)が発生した際に社殿が焼失、大港神社に合祀されたまま復興されなかった*13*14

現在境港市竹内町に鎮座する餘子神社は、垣内神社が昭和54年(1979年)に改称して神社名を受け継いだものであるとのこと*15

天満宮



境内には「天満宮」と書かれた扁額の社が建っている。
境港市史』などに記載がある境内社で、菅原道真公を祀るという北野神社がに当たると思われる*16

恵比須社



境内には恵比須社もある。
由緒書党はないため詳細は不明だが、恵比須神を祀るのだろう。
先述の餘子神社の境内社事代主命を祀る蛭子神社があったようなので、もしかすると関係があるのかもしれない*17

その他



境内には境港開港100周年を記念した碇の像が置かれていた。
開港100周年ということは、1996年の設置だろうと思われる。

【大港神社】
住 所:鳥取県境港市栄町133
御祭神:品田和気尊 外10柱、旧餘子神社御祭神
社祠等:天満宮(御祭神:菅原道真公)
    恵比須社(御祭神:恵比須神?)
創 建:鎌倉時代
H P:無し

水木しげるロード米子駅


再び水木しげるロードへ戻る。
水木しげるロードでは銀行ATMもこの通りに合った外観になっている。



折角なので、鳥取を中心に展開する「すなば珈琲」でコーヒーを飲んだ。




水木しげるロードにはマイナーな妖怪だけではなく、鬼太郎など有名どころの妖怪の像も多数立っている。
個人的にはバックベアードが結構気に入っている。



竹切狸の像を見ていて気付いたが、寄贈者は『スレイヤーズ』シリーズの著者の神坂一先生だった。



妖怪広場という公園内の「河童の泉」にも、鬼太郎や河童の三平など多数の像が置かれている。


この中でも、小豆洗いは水が流れている間は本当に洗っているように見えて面白い。


帰りは境港駅から「ねずみ男列車」に乗って米子駅へ。



米子駅のホームでは、鬼太郎・目玉おやじねずみ男・一反木綿の像が出迎えてくれた。




ところで、現在の米子駅は仮駅舎となっていた。
横の工事中の場所に新駅舎ができるのだろうか。

脚注

*1:境港市編『境港市史 下巻』(境港市、1986年)572頁

*2:小泉憲貞編『境港沿革史』(小泉憲貞、1915年)40頁(国会図書館デジタルコレクションでは31コマ)

*3:景山粛『伯耆志 巻三』(因伯叢書発行所、1916年)63頁(国会図書館デジタルコレクションでは33コマ)

*4:境港市、前掲書、572頁

*5:同書、574〜576頁

*6:同書、572頁

*7:小泉、前掲書、41頁(国会図書館デジタルコレクションでは31コマ)

*8:境港市、前掲書、472〜473, 576〜577頁

*9:景山、前掲書、63〜65頁(国会図書館デジタルコレクションでは33〜34コマ)

*10:境港市、前掲書、577頁

*11:同書、582頁

*12:同書、577〜578頁

*13:同書、582頁

*14:角川日本地名大辞典」編纂委員会編『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』(角川書店、1983年)80頁

*15:同書、80頁

*16:境港市、前掲書、573頁

*17:境港市、前掲書、578頁