祓社
神楽殿前の手前には祓社が鎮座している。
出雲大社の下り参道にある祓社のと同様に、瀬織津比咩神・速開都比咩神・気吹戸主神・速佐須良比咩神の4柱を祀っている。
こちらの祓社は平成26年(2014年)に創建された新しい社だ*1。
神楽殿
神楽殿は広さ270畳もある巨大な建造物だが、その注連縄も長さ13m、重さ5.2tという途轍もなく巨大なものとなっている。
なお270畳を平米に直すと、中国地方で用いられているという六一間なら約462㎡、京間なら約492㎡、江戸間なら約418㎡となるようだ。
実際の神楽殿がどの畳の寸法を基準にしているのかは分からないが、地理的なことを考えると六一間だろうか。
神楽殿は元々は風調館という千家国造家の大広間として使われていた場所で、のち昭和56年(1981年)に現在の建物へと建て替えられた*2。
神楽殿の背面を見ると、社殿が併設されているのが分かる。
明治12年(1879年)に出雲大社教が出雲大社社務所から風調館に移転した際に神璽を祀って神殿としたことがあるらしいが、何か関係はあるのだろうか*3。
神楽殿横には「鏡の池」という池がある。
植えてある松がとても立派だ。
鎮守社
神楽殿の後方には幾つか社殿が建っているが、これらは國造家鎮守社とのこと*4。
出雲大社の摂末社ではなく、千家國造館(後述)の邸内社という事なのかもしれない。
姥神社
鎮守社の一番右側の姥神社は、伊弉諾尊・伊奘冉尊・代々出雲國造公神霊・千家家親族神霊が祀られている。
この中でも伊弉諾尊・伊奘冉尊は素戔嗚尊の親神、つまり大国主大神の祖父母神に当たる。
掲示によると、夫婦和合や子孫繁栄に御利益があるようだ。
火守社
姥神社の左側には火守社が鎮座する。
こちらには猿田彦命と七十五代千家俊勝公神霊が祀られている。
掲示によると、俊勝公は江戸時代の出雲国造で、現在の境内の配置の基本は俊勝公の頃の遷宮により確定したらしい。
なお猿田彦命は導きの神であり、俊勝公は千家国造家の神統を見守る神とのこと。
天穂日命社
火守社の左側、3つ並んだ社の一番右側には天穂日命社が建っている。
御祭神の天穂日命は誓約の際に誕生した天照大御神の子神だ*5 *6*7。
国譲り際に大国主大神の配下となり尽力した神とされ、また出雲国造家の祖神にして出雲国造家の初代とされている。