燈蓮寺伽藍堂 -RISING FALCON-

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出雲大社神楽殿と千家國造館

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<2023年7月 記事内容改訂>

はじめに


前回の記事で書いた出雲大社の続き。
今回は本殿の西側から境外に出て、素鵞川を渡った隣接地にある神楽殿などについて。

祓社



楽殿前の手前には祓社が鎮座している。
出雲大社の下り参道にある祓社のと同様に、瀬織津比咩神・速開都比咩神・気吹戸主神・速佐須良比咩神の4柱を祀っている。
こちらの祓社は平成26年(2014年)に創建された新しい社だ*1

金刀比羅宮



祓社の左側には金刀比羅宮が鎮座する。
御祭神は大物主神で、この神は大国主大神の幸魂・奇魂のこととされている。
漁業や航路安全に御利益があるとされている。

楽殿


楽殿は広さ270畳もある巨大な建造物だが、その注連縄も長さ13m、重さ5.2tという途轍もなく巨大なものとなっている。
なお270畳を平米に直すと、中国地方で用いられているという六一間なら約462㎡、京間なら約492㎡、江戸間なら約418㎡となるようだ。
実際の神楽殿がどの畳の寸法を基準にしているのかは分からないが、地理的なことを考えると六一間だろうか。

楽殿は元々は風調館という千家国造家の大広間として使われていた場所で、のち昭和56年(1981年)に現在の建物へと建て替えられた*2


楽殿の背面を見ると、社殿が併設されているのが分かる。
明治12年(1879年)に出雲大社教出雲大社社務所から風調館に移転した際に神璽を祀って神殿としたことがあるらしいが、何か関係はあるのだろうか*3



楽殿横には「鏡の池」という池がある。
植えてある松がとても立派だ。

鎮守社




楽殿の後方には幾つか社殿が建っているが、これらは國造家鎮守社とのこと*4
出雲大社摂末社ではなく、千家國造館(後述)の邸内社という事なのかもしれない。

姥神社



鎮守社の一番右側の姥神社は、伊弉諾尊伊奘冉尊・代々出雲國造公神霊・千家家親族神霊が祀られている。
この中でも伊弉諾尊伊奘冉尊素戔嗚尊の親神、つまり大国主大神の祖父母神に当たる。
掲示によると、夫婦和合や子孫繁栄に御利益があるようだ。

火守社



姥神社の左側には火守社が鎮座する。
こちらには猿田彦命と七十五代千家俊勝公神霊が祀られている。
掲示によると、俊勝公は江戸時代の出雲国造で、現在の境内の配置の基本は俊勝公の頃の遷宮により確定したらしい。
なお猿田彦命は導きの神であり、俊勝公は千家国造家の神統を見守る神とのこと。

天穂日命



火守社の左側、3つ並んだ社の一番右側には天穂日命社が建っている。
御祭神の天穗日命は天照大神素戔嗚尊の誓約の際に誕生した神で、葦原中国平定の際に大国主大神の元へ派遣された神だ(詳細は出雲大社の記事の氏社(北)の記事を参照)。
大国主大神の配下となり尽力した神とされ、また出雲国造家の祖神にして出雲国造家の初代とされている。

天夷鳥命社・荒神



天穂日命社の左には天夷鳥命社・荒神社が鎮座する。
御祭神は出雲国造家第2代の天夷鳥命と、沖津彦命・沖津姫命・五十猛命を祀る。
社殿は1つしかないが、天夷鳥命社の御祭神が天夷鳥命荒神社の御祭神が残りの3柱だろうか。

天夷鳥命(『日本書紀』では武日照命・武夷鳥・天夷鳥、『古事記』では建比良鳥命、旧事紀では武日照命、)については、神話では以下の通り伝えられている。
日本書紀崇神天皇60年7月己酉条によれば(崇神天皇60年(BC38年)の時点で古い話として語られている)、武日照命(別名:武夷鳥・天夷鳥)が天降りの際に持って来た神宝は、出雲大神宮に収蔵されているとされる*5
古事記』によれば、建比良鳥命は天菩比命の子であり、出雲国造・无邪志国造(武蔵国造)など7氏の祖神とされる*6
『旧事紀』によれば、武日照命が天降りの際に持って来た神宝は、出雲大神宮に収蔵されているとされる*7
祝詞の『出雲国造神賀詞』によれば、父の天穂比命の指示で布都怒志命を伴って天降りし、葦原中国を平定したとされる*8

沖津彦命・沖津姫命は、『古事記』に奥津日子命・奥津比売命、『旧事紀』に奥津彦神・奥津姫神の名で登場し、大年神天知迦流美豆比売(天知迦流美豆姫)の子で、速須佐之男命の孫に当たる神とされる。

五十猛命素戔嗚尊の子で、神話では以下の通り伝えられている。
日本書紀』神代上第8段一書第4によると、五十猛命素戔嗚尊と共に新羅に渡ったが、現地が気に入らず出雲に帰還、更に新羅に持参したが植えずに持ち帰っていた樹を大八洲国(日本)中に植えたため、日本には青々と山に木が生い茂っているという*9
同第8段一書第5によると、五十猛命大屋津姫命・枛津姫神の兄であり、妹共々樹を植えたという*10
古事記』では大屋毘古神として登場し、伊邪那岐命伊弉諾尊)と伊邪那美命伊奘冉尊)の子神として生まれ、木国(紀伊国)におり、大穴牟遅神大国主神)が八十神(大穴牟遅神の兄弟の多数の神々)に追われた際に助けたとされている*11
『旧事紀』では五十猛命と大屋彦神の名で登場し、韓地(からくに)に渡ったが帰還し植えずに持ち帰っていた樹木を大八洲国中に植えたといい、また大屋津姫命・枛津姫神の兄であり、大穴牟遅神事八十神(『旧事紀』では多数の神ではなく、事八十神という1柱の神として書かれている)に追われた際に助けた神とされている*12

稲荷社



天夷鳥命社・荒神社の左に鎮座するのは稲荷社だ。
御祭神はは倉稲魂命と秋葉神(火之迦具土神)だ。
豊穣、産業発展、商売繁盛、火除に御利益があるとされている。

天満宮



鎮守社の一番左側、鏡の池に一番近い場所に鎮座するのは天満宮だ。
御祭神は天満神として菅原道真公が祀られている。
菅原氏は野見宿禰(出雲では第13代出雲国造の襲髄命と同一人物とされる)の後裔であり、延いては道真公も天穂日命の後裔ということになるようだ。

千家國造館


楽殿の隣の敷地は千家國造館となっている。
ここは千家国造家の住居であると同時に、祭祀の際に身を清める場所でもあるらしい*13


入口横に巨大な木の槌が展示してあり、とても迫力があった。

出雲大社楽殿
住 所:島根県出雲市大社町杵築東195
H P:出雲大社HP

脚注

*1:出雲大社社務所出雲大社由緒略記』[改訂41版](出雲大社社務所、2003年)82頁

*2:出雲大社HP「神楽殿」参照。

*3:千家尊統『出雲大社』[第2版](学生社、1998年)178頁

*4:出雲大社HP「境内全域図」参照。

*5:坂本太郎家永三郎井上光貞大野晋校注『日本書紀(一)』(岩波文庫、1994年)298頁

*6:倉野憲司校注『古事記』[改版](岩波文庫、2007年)38頁

*7:溝口駒造訓註『旧事紀』(改造文庫、1943年)114, 174頁

*8:千田憲編『祝詞・寿詞』(岩波文庫、1935年)55頁

*9:坂本・家永・井上・大野、前掲書、98〜100頁

*10:同書、102頁

*11:倉野、前掲書、24, 50頁

*12:溝口、前掲書、78, 83, 87頁

*13:出雲大社HP「千家國造館」参照。