八大荒神社
八大荒神社社殿
八大荒神社の社殿はかなり立派で、出雲らしく太い注連縄も取り付けられている。
これだけ立派な神社ということは、この周辺の地区を氏子としているのかもしれない。
今回行った時には由緒書の掲示も無く、全く詳細が分からなかった。
しかしGoogleマップでストリートビューを見ると、少なくとも令和元年(2019年)までは入口の鳥居の横に由緒書の掲示が立てられていたらしいことが分かる。
また、Googleマップに他の人が上げていた由緒書の写真によれば御祭神は玉依姫命であり、地誌『雲陽誌』に「荒神」として記載があるため少なくともこの本が纏められた享保2年(1717年)には既に存在していたとのこと。
実際、島根大学附属図書館が公開しているデジタルアーカイブで『雲陽誌』を見てみたところ、神門郡の3巻目の假宮の項目に伊那佐社(因佐神社)と大歳明神(大歳社)の間に確かに「荒神」と記されていた*1。
ところで、八大荒神社というからには八大荒神という名の荒神様を祀るものかと思っていたが、玉依姫命が御祭神というのはどういう訳だろうか。
もしかすると明治の頃辺りに、御祭神の切り替えがあったのかもしれない。
なお八大荒神について調べてみると、日文研HPのデータベース検索にて八大荒神は岡山県の遍照寺の鎮守であるとの情報が出てきたが、詳しく該当の論文を読んでいないので詳細は分からない*2。
脚注
*1:黒沢長顕・斎藤豊仙・黒沢長尚編『雲陽誌 神門郡 3』(1717年)(島根大学附属図書館デジタルアーカイブでは67コマ)
*2:国際日本文化研究センターHP「データベース検索ページ」参照。