燈蓮寺伽藍堂 -RISING FALCON-

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山の中の出雲大社境外摂社・大穴持御子神社(三歳社)

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<2023年6月 記事内容改訂>

はじめに


出雲大社神楽殿の間には素鵞川が流れている。




この川をから上流に向かうと、山の中に出雲大社の境外摂社・大穴持御子神社(おおなもちみこのかみのやしろ)が鎮座している。

大穴持御子神社(三歳社)



大穴持御子神社は別名を三歳社(みとせのやしろ)というらしい。
御祭神は高比売命・事代主神・御年神の3柱を祀っている。
大穴持御子神社という名称は、大穴牟遅神大国主大神)の子神が2柱祀られている事によるものだろう。

高比売命は神話によれば以下のとおりだ。
日本書紀』神代下第9段本文によれば、下照姫は別名を高姫や稚国玉といい、顕国魂(大国主大神)の娘にして天稚彦の妻であり、天稚彦が亡くなった際に泣く声が天まで届いたとされる*1
同第9段一書第1によれば、下照媛は味耜高彦根神の妹であり、天稚彦の葬儀にて味耜高彦根神が怒って出て行った際に、味耜高彦根神についての歌を詠んだ神とされる*2
古事記』によれば、高比売命は別名を下光比売(したてるひめ)といい、大国主大神多紀理毘売命の子にして阿遅鉏高日子根神の妹かつ天若日子の妻であり、天若日子が亡くなった際に泣く声が天まで届いたとされる*3
『旧事紀』によれば、大国玉神(大国主大神)と田心姫命の娘にして味鉏高彦根神の妹かつ天稚彦の妻であり、天稚彦が亡くなった際に泣く声が天まで届いたとされる*4

事代主神は神話によれば以下のとおりだ。
大国主大神の子神(母神は『日本書紀』では記載無し、『古事記』では神屋楯比売命、『旧事紀』では高津姫神)で、国譲りの際に天照大御神に従った神であり、『日本書紀』神代上第8段一書第6によれば、八尋熊鰐(やひろわに)に変身できたと伝わる*5*6*7

御年神は大年神出雲大社境外摂社・大歳社の御祭神)と香用比売の子神で、穀物の神であるという*8*9

出雲大社由緒略記』によれば延喜式内社とのことで、『延喜式』が成立した延長5年(927年)には少なくとも存在していたのだろう*10
また、現在の社殿は延享元年(1744年)の御遷宮で建てられたものであるらしい*11*12

この社は普段は参拝者もあまり居ない静かな山に鎮座しているが、正月に行われる福迎神事の際は福柴を受けに来る人で溢れるらしい*13
実際行ってみて分かったが、休日なのに本当に自分達以外に参拝者が居ないので、野生動物が出てきそうなほどの静けさだった。

【大穴持御子神社(三歳社)】
住 所:島根県出雲市大社町杵築東
御祭神:高比売命、事代主神、御年神
社祠等:無し
創 建:927年以前
H P:出雲大社HP「摂末社」

脚注

*1:坂本太郎家永三郎井上光貞大野晋校注『日本書紀(一)』(岩波文庫、1994年)112, 114頁

*2:同書、128頁

*3:倉野憲司校注『古事記』[改版](岩波文庫、2007年)58, 63〜66頁

*4:溝口駒造訓註『旧事紀』(改造文庫、1943年)60〜62, 88頁

*5:坂本・家永・井上・大野、前掲書、106, 118頁

*6:倉野、前掲書、58, 68〜69頁

*7:溝口、前掲書、64頁

*8:坂本・家永・井上・大野、前掲書、61頁

*9:溝口、前掲書、91頁

*10:出雲大社社務所出雲大社由緒略記』[改訂41版](出雲大社社務所、2003年)76頁

*11:同書、75頁

*12:出雲大社HP「御遷宮の歴史」参照。

*13:千家尊統『出雲大社』[第2版](学生社、1998年)173〜174頁