はじめに
前回の記事で書いた三歳社の横の山道を、峠を越えて海に出るまでひたすら突き進むと、そのうち鷺浦という静かな港町に出る。
鷺浦は、かつては北前船の港として賑わっていたらしい*1。
そんな鷺浦には、出雲大社の境外摂社の大穴持伊那西波岐神社(おおなもちいなせはぎのやしろ)が鎮座している。
大穴持伊那西波岐神社
大穴持伊那西波岐神社社殿
大穴持伊那西波岐神社は別名を伊奈西波岐神社や鷺社(鷺大明神)とも言う*2。
御祭神は稲背脛命を主祭神とし、更に八千矛神・稲羽白兔神(素兎神)・稲羽八上比売神の3柱を合祀している(『出雲大社由緒略記』では八千矛神と素兎神の2柱が合祀神としているが、現地の看板には稲羽八上比売神も合祀と書かれている)*3。
稲背脛命は『日本書紀』や『旧事紀』において、国譲りの際に事代主神の元へ使者として送られた神だ*4*5。
八千矛神は出雲大社御祭神の大国主大神の別名で、武勇の神としての名であるらしい。
稲羽白兔神はその名の通り因幡の白兎が神として祀られている。
稲羽八上比売神は『古事記』や『旧事紀』に登場する、大国主大神と結婚し木俣神(御井神)を生んだ女神だ*6*7。
なお江戸時代の儒者・黒沢石斎による地誌『懐橘談』の鷺宮の項目では、牧童曰く御祭神は素戔嗚尊の妾で疱瘡除けの信仰があり、老神職曰く御祭神は瓊瓊杵尊で伝記によればかつて疱瘡守護の神託があった、と伝えているようだ*8。
大穴持伊那西波岐神社の創建年は分からないが、由緒書の掲示によると少なくとも延長5年(927年)成立の『延喜式』には掲載されているようだ。
また同掲示には、『出雲国風土記』にて「企豆伎社」の名で掲載されているとも記されており、この通りだとすれば『出雲国風土記』が完成した天平5年(733年)には既に存在していたことになる。
境内社(詳細不明)
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鷺浦荒神社の傍には、詳細不明の境内社が鎮座している。
境内社といっても手前の建物は拝殿のようであり、裏に回ると両脇に狛犬が置かれた柵で囲われた領域があった。
よく見ると切り株があるので、かつてここに生えていた木が御神体とされていたのかもしれない。
神名を刻んだ石灯籠
この灯籠をよく見ると、台座の部分に神名が刻まれていて、御供物もあるのが分かる。
右側は産圡大神(「圡」は「土」の異体字)とあり、この土地の産土神を祀るのだろうと思われる。
左側は最後の文字が分かりにくいが、一畑薬師(出雲市小境町の醫王山一畑寺)の薬師如来を祀ったものだろう。
なお一畑薬師の最後の文字は、崩し字に明るい友人に調べてもらったところ「師」の字に近い「帥」の字に類似した崩し方があったので、恐らく「師」の字で良いのではないかとのことだった。
【大穴持伊那西波岐神社】
住 所:島根県出雲市大社町鷺浦102
御祭神:稲背脛命 外3柱
社祠等:鷺浦荒神社
境内社(詳細不明)
創 建:733年以前?
H P:出雲大社HP「摂末社」