燈蓮寺伽藍堂 -RISING FALCON-

神社やら、旅行やら、過去の事やら。

港町の出雲大社境外摂社・大穴持伊那西波岐神社(伊奈西波岐神社)

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はじめに


前回の記事で書いた三歳社の横の山道を、峠を越えて海に出るまでひたすら突き進むと、そのうち鷺浦という静かな港町に出る。
鷺浦は、かつては北前船の港として賑わっていたらしい*1



そんな鷺浦には、出雲大社の境外摂社の大穴持伊那西波岐神社(おおなもちいなせはぎのやしろ)が鎮座している。

大穴持伊那西波岐神社

随神門


参道を進み、手水舎を超えた辺りに随神門が建っている。



随神門の内部の両側には祠が納められている。
恐らくこの中に随神像が祀られているのだろう。

大穴持伊那西波岐神社社殿


随神門を抜けて進んで行くと立派な拝殿がある。


そして拝殿後方の柵の向こう側が本殿となっている。



大穴持伊那西波岐神社は別名を伊奈西波岐神社や鷺社(鷺大明神)とも言う*2

御祭神は稲背脛命を主祭神とし、更に八千矛神・稲羽白兔神(素兎神)・稲羽八上比売神の3柱を合祀している(『出雲大社由緒略記』では八千矛神と素兎神の2柱が合祀神としているが、現地の看板には稲羽八上比売神も合祀と書かれている)*3
稲背脛命は『日本書紀』や『旧事紀』において、国譲りの際に事代主神の元へ使者として送られた神だ*4*5
八千矛神出雲大社御祭神の大国主大神の別名で、武勇の神としての名であるらしい。
稲羽白兔神はその名の通り因幡の白兎が神として祀られている。
稲羽八上比売神は『古事記』や『旧事紀』に登場する、大国主大神と結婚し木俣神御井神)を生んだ女神だ*6*7

なお江戸時代の儒者・黒沢石斎による地誌『懐橘談』の鷺宮の項目では、牧童曰く御祭神は素戔嗚尊の妾で疱瘡除けの信仰があり、老神職曰く御祭神は瓊瓊杵尊で伝記によればかつて疱瘡守護の神託があった、と伝えているようだ*8

大穴持伊那西波岐神社の創建年は分からないが、由緒書の掲示によると少なくとも延長5年(927年)成立の『延喜式』には掲載されているようだ。
また同掲示には、『出雲国風土記』にて「企豆伎社」の名で掲載されているとも記されており、この通りだとすれば『出雲国風土記』が完成した天平5年(733年)には既に存在していたことになる。

鷺浦荒神



境内にあるこの小さな社は、社の横に括り付けられた箱の掠れた字を読む限り鷺浦荒神社というらしい。
詳細は不明だが、その名の通り荒神を祀るのだろう。

境内社(詳細不明)

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鷺浦荒神社の傍には、詳細不明の境内社が鎮座している。
境内社といっても手前の建物は拝殿のようであり、裏に回ると両脇に狛犬が置かれた柵で囲われた領域があった。
よく見ると切り株があるので、かつてここに生えていた木が御神体とされていたのかもしれない。

神名を刻んだ石灯籠


境内のすぐ外側のトイレと公衆電話の隣に石灯籠が立っている。



この灯籠をよく見ると、台座の部分に神名が刻まれていて、御供物もあるのが分かる。
右側は産圡大神(「圡」は「土」の異体字)とあり、この土地の産土神を祀るのだろうと思われる。
左側は最後の文字が分かりにくいが、一畑薬師出雲市小境町の醫王山一畑寺)の薬師如来を祀ったものだろう。
なお一畑薬師の最後の文字は、崩し字に明るい友人に調べてもらったところ「師」の字に近い「帥」の字に類似した崩し方があったので、恐らく「師」の字で良いのではないかとのことだった。

【大穴持伊那西波岐神社】
住 所:島根県出雲市大社町鷺浦102
御祭神:稲背脛命 外3柱
社祠等:鷺浦荒神
    境内社(詳細不明)
創 建:733年以前?
H P:出雲大社HP「摂末社」

脚注

*1:出雲市日本遺産推進協議会『出雲日御碕案内 限定復刻版』(出雲市日本遺産推進協議会、2018年)裏面

*2:コトバンク伊奈西波岐神社」参照。

*3:出雲大社社務所出雲大社由緒略記』[改訂41版](出雲大社社務所、2003年)76頁

*4:坂本太郎家永三郎井上光貞大野晋校注『日本書紀(一)』(岩波文庫、1994年)118頁

*5:溝口駒造訓註『旧事紀』(改造文庫、1943年)64頁

*6:倉野憲司校注『古事記』[改版](岩波文庫、2007年)47〜54頁

*7:溝口、前掲書、81〜85頁

*8:黒沢石斎『懐橘談』(出雲文庫第2編、1914年)125〜126頁(国会図書館デジタルコレクションでは67〜68コマ)

山の中の出雲大社境外摂社・大穴持御子神社(三歳社)

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はじめに


出雲大社神楽殿の間には素鵞川が流れている。




この川をから上流に向かうと、山の中に出雲大社の境外摂社・大穴持御子神社(おおなもちみこのかみのやしろ)が鎮座している。

大穴持御子神社(三歳社)



大穴持御子神社は別名を三歳社というらしい。
御祭神は高比売命・事代主神・御年神の3柱を祀っている。
高比売命は別名を下照姫や稚国玉といい、大国主大神多紀理毘売命との子神で、天稚彦の妻とされる*1*2*3
事代主神大国主大神の子神(母神は『日本書紀』では記載無し、『古事記』では神屋楯比売命、『旧事紀』では高津姫神)で、国譲りの際に天照大御神に従った神であり、『日本書紀』神代上第8段一書第6によれば、八尋熊鰐(やひろわに)に変身できたと伝わる*4*5*6
御年神は大年神出雲大社境外摂社・大歳社の御祭神)と香用比売の子神で、穀物の神であるという*7*8

大穴持御子神社という名称は、大穴牟遅神大国主大神)の子神が2柱祀られている事によるものだろう。

出雲大社由緒略記』によれば延喜式内社とのことで、『延喜式』が成立した延長5年(927年)には少なくとも存在していたのだろう*9
また、現在の社殿は延享元年(1744年)の御遷宮で建てられたものであるらしい*10*11

この社は普段は参拝者もあまり居ない静かな山に鎮座しているが、正月に行われる福迎神事の際は福柴を受けに来る人で溢れるらしい*12
実際行ってみて分かったが、休日なのに本当に自分達以外に参拝者が居ないので、野生動物が出てきそうなほどの静けさだった。

【大穴持御子神社(三歳社)】
住 所:島根県出雲市大社町杵築東
御祭神:高比売命、事代主神、御年神
社祠等:無し
創 建:927年以前
H P:出雲大社HP「摂末社」

脚注

*1:坂本太郎家永三郎井上光貞大野晋校注『日本書紀(一)』(岩波文庫、1994年)112, 114頁

*2:倉野憲司校注『古事記』[改版](岩波文庫、2007年)58, 64〜65頁

*3:溝口駒造訓註『旧事紀』(改造文庫、1943年)60〜62, 88頁

*4:坂本・家永・井上・大野、前掲書、106, 118頁

*5:倉野、前掲書、58, 68〜69頁

*6:溝口、前掲書、64頁

*7:坂本・家永・井上・大野、前掲書、61頁

*8:溝口、前掲書、91頁

*9:出雲大社社務所出雲大社由緒略記』[改訂41版](出雲大社社務所、2003年)76頁

*10:同書、75頁

*11:出雲大社HP「御遷宮の歴史」参照。

*12:千家尊統『出雲大社』[第2版](学生社、1998年)173〜174頁

稲佐の浜の弁天島に鎮座する沖御前神社

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はじめに


出雲大社から西へ進むと海に出るが、この海岸の砂浜は「稲佐の浜」と呼ばれている。

沖御前神社


稲佐の浜は『日本書紀』では「五十狭狭の小汀」「五十狭田の小汀」、『古事記』では「伊那佐の小浜」、『旧事紀』では「五十狭田の小汀」として登場し、国譲りの舞台となっている*1*2*3
更に『出雲国風土記』にて語られる国引き際に使われた綱である「薗の長浜」ともされている*4
神在月には神迎神事(その名の通り出雲に訪れた神々を出迎える神事)も行われる、出雲大社にとっても重要な海岸だ*5


そんな稲佐の浜に、弁天島という島が浮かんでいる。
正確に言えば、ここ数十年で島と稲佐の浜との間に砂が大量に堆積してしまい、ほぼくっついてしまったらしい*6
ただ今回は潮が満ちていたのだろうか、ギリギリ海に浮かんでいた。

弁天島には、沖御前神社という社が建てられている。
御祭神は明治時代までは島の名前にもなっている弁財天を祀っていたが、明治時代になって豊玉毘古命へと御祭神が変更されてしまったらしい*7
豊玉毘古命とは豊玉姫命の父神である海神(『日本書紀』神代下第10段一書第1では「海神豊玉彦」と書かれている)のことだろうか*8
それにしても、元々の御祭神の女神である弁財天が市杵島姫命ではなく、男神に代えられたというのは中々珍しい気もする。

なお由緒書の掲示等が見当たらなかったため、神社について詳しくは不明だ。




なお、稲佐の浜は自分が行った令和4年(2022年)10月頃は絶賛工事中だった。
弁天島の前をテトラポッドを担いだパワーショベルが何度も通り過ぎるという珍しい光景を見られたのは、却ってラッキーだったかもしれない。


ショベルカーの後ろ姿と欄干に止まるカラスという味のある写真も撮れてしまった。

【沖御前神社】
住 所:島根県出雲市大社町杵築北
御祭神:豊玉毘古命
社祠等:無し
創 建:明治時代以前
H P:出雲観光ガイドHP「稲佐の浜」

脚注

*1:坂本太郎家永三郎井上光貞大野晋校注『日本書紀(一)』(岩波文庫、1994年)106, 118頁

*2:倉野憲司校注『古事記』[改版](岩波文庫、2007年)68頁

*3:溝口駒造訓註『旧事紀』(改造文庫、1943年)64頁

*4:武田祐吉編『風土記』(岩波文庫、1937年)85頁

*5:千家尊統『出雲大社』[第2版](学生社、1998年)116 頁

*6:国譲り神話の舞台は変貌 出雲の「稲佐の浜」、弁天島は陸続きに」『産経新聞』(2014年10月31日)

*7:出雲観光ガイドHP「稲佐の浜」参照。

*8:坂本・家永・井上・大野、前掲書、168頁