燈蓮寺伽藍堂 -RISING FALCON-

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『野望の王国』聖地巡礼

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はじめに

昨日の記事でも予告した通り、『野望の王国』の聖地巡礼について。
野望の王国』は雁屋哲(原作)と由起賢二(作画)による、殺戮の嵐が吹き荒れるバイオレンス度100%の大迫力の劇画だ。
東大法学部主席を争う主人公の橘征五郎と片岡仁が、征五郎の実家である暴力団・橘組を乗っ取り日本を暴力で裏から支配するという野望を抱く、という強烈なストーリーがもう最高。
 
たまにネットで貼られる「え えらいことや……せ 戦争じゃ……」という画像も、元ネタはこの漫画だったりする。
また、『サルでも描けるまんが教室』の元ネタとしても有名だ。
そんな最高の劇画『野望の王国』の聖地巡礼として永田町と東大に行ってきた。
 

永田町

国会議事堂

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皆さんご存じ、日本の中枢の国会議事堂。
作中では征五郎と片岡が当選させた元東大助教授の松山康一衆院議員の元を訪れるシーンで登場。
今回撮影して思ったけど、国会議事堂を真正面から見る機会って中々ないものだなあ。
 

 

民自党本部

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元政治家にして日本の政治を陰で操る黒幕の大神楽了造の元に民自党の重職5人が集結するシーンで登場。
モデルは言うまでもなく自民党本部。
ここはいつも警察車両が張り付いているので、写真なんか撮ってたら職質食らうんじゃないかとヒヤヒヤしたけど何も無かったので良かった(笑)。
 

 

霞ヶ関

大蔵省

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片岡が征五郎の妹の文子に自分の父親について語るシーンで登場。
当然ながら現在は財務省の建物となっている。
 

 

東大 本郷キャンパス

安田講堂

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征五郎と片岡のゼミの先輩であり後に宿敵となる川崎中央署長にしてキャリア官僚の柿崎憲が、征五郎たちをゼミの教授の元から連れ出した後のシーンで登場。
ちょうど「あの安田講堂を見ろっ!」と言っているシーンだ。
講堂の正面から見上げるように撮るとギリギリ全部撮れる。
 
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こちらは上で紹介したシーンの直後の「あの安田講堂は東大のシンボルだ!明治以来百年も続く立身出世主義のシンボルだ」と熱い東大disを始めるシーンで登場。
この柿崎という人物は、日本最大の暴力機構たる警察を掌握して日本を支配するという野望の持ち主だったりする。
 

 

安田講堂

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こちらは征五郎と片岡のアメフト部の後輩・白川天星がスケボーに乗って初登場するシーンにて登場。
天星は救国教団という新興宗教の御曹司で、日本を宗教により精神的に支配するという大いなる野望の持ち主。
救国教団は武装した私設軍隊を持っていたり、死をも恐れぬ狂信者を擁していたりとかなり危険なカルト教団として描かれていたりする。
 

 

東大病院

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作中、右翼のボスで後に関西一の暴力団・保神会の会長となる小田が入院していたのがこの東大病院。
作中ではえらいことになってしまった……。
 

 

東大 駒場キャンパス

正門

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こちらは東大の駒場キャンパス入口。
国会議事堂の所で書いた松山の初登場シーンがこの場所だった。
作中では、奥に見える時計塔は松山が征五郎と片岡の命令に従わずに出馬しようとしなかったため、こうなってしまった
 

 

おわりに

本当は麻布界隈の大使館など行きたい所は色々あったけど、時間の都合で行けなかったのでいつか行きたい。
さて、今回の記事は以上。
 
 


『ラブひな』東大本郷キャンパス巡礼

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はじめに

先日、用事があって東京に行ってきました。
折角の東京なので、『ラブひな』と『野望の王国』の聖地巡礼を行いました。
 
さて、今回の記事は『ラブひな』についてですが、この作品の巡礼は東大しか行けなかったので分量は少なめとなっています。
忙しかったから仕方ないですね。
 
前回こどもの城(ひなた水族館外観)やしながわ水族館(ひなた水族館内部)等の巡礼をした記事はこちら
 
因みに『ラブひな』は「マンガ図書館Z」というサイトで無料で読めます(作者の赤松健氏が運営しているサイトです)。
 

東大

安田講堂への道(9話)

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9話で東大受験を諦めてひなた荘を逃げ出した景太郎に、なるが「やるだけやってみようよ東大」と言っていたシーンです。
東大の正門を過ぎて真っ直ぐに行くと安田講堂に辿り着きます。
ここはその途中の道です。
東大に行ったことがない頃は、勝手に安田講堂は赤門を抜けた先にあると思っていましたが、違うんですよね。
 

 

安田講堂前の広場(31話)

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31話で、東大構内で野宿していた瀬田さんが「さすがにいつまでも東大に住む訳にはいかないしな〰」といっていたシーンで登場。
作中と完全に一致する構図は無理ではないでしょうか。
木を入れようとすると、上記の写真のようになってしまいます。
 

 

赤門(109話)

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109話、景太郎となるが二人で東大に行くシーン。
赤門の所の信号を渡り、向かい側の歩道から撮影しました。
この日もが外国人観光客が多く、みんな赤門の所で写真を撮っていました。
 

 

安田講堂(118話)

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エピローグ前の本編最終話の118話、最後のページに登場。
まさに安田講堂の真正面です。
このシーンは、本編でもとても印象深いシーンだったんじゃないかと思います。
 

 

おわりに

今回の記事は以上です。
次回は『野望の王国』の巡礼記事になると思います。
 
【2019.03.14 追記】
野望の王国』の巡礼記事を書きました。

 
 


 

難読地名「花畔」(花畔神社参拝)

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花畔神社へ

難読地名「花畔」

花畔神社は石狩市*1花畔にある神社です。
花畔は「ばんなぐろ」と読みます。
漢字表記は「花(はな)」+「畔(くろ)」という読みによるものでしょう。
その昔は「ばなんぐろ」と読まれていたらしい、という話も聞いたことがありますね。
 

社殿

鳥居
社殿(2017.07.08撮影)
さて、こちらが花畔神社です。
社殿は撮影し忘れたので2017年に撮ったものを貼っておきます(笑)。
 
御祭神は金刀比羅之大神*2、大國魂神、大己貴神少彦名神天御中主神の5柱です。
元々は花畔村金刀比羅神社という金刀比羅之大神を祀る神社でしたが、後に花畔瑞穂神社(御祭神:大國魂神、大己貴神少彦名神)と相馬妙見太田神社(御祭神:天御中主神)を合祀。
 
由緒書には以下の通り書かれています。

花畔神社由緒
 
 明治四年五月岩手県民三十九戸(翌五年二戸)入殖 茲に花畔開村する 翌五年七月花畔村北八線に小祠を建て 御祭神として農業漁業航海の守護神である金刀比羅之大神を祀り花畔村金刀比羅神社を創立 村民は大神を尊崇し心の拠り所として開拓の辛苦に堪え 今日の発展の基礎を築いた
 明治二十六年四月花畔村殖民地撰定願いを北海道庁に堤出六月に裁可となりこの時神社の位置定まる 翌二十七年八月社殿を建立し花畔神社と改称する
 明治三十四年七月十二日公許の花畔神社創立願いを北海道庁に申請 同年九月九日村社として公認された
 昭和四十八年九月石狩湾新港開発により この地域の三社を合併 当地に社殿を新築し花畔瑞穂神社の御祭神 大國魂神 大己貴神 少彦名神並びに相馬妙見太田神社の御祭神 天御中主神を合祀する
 平成四年七月花畔神社創立百二十周年を迎え 記念事業として御祭神之碑を建立 神社用地百拾六坪を取得する
 
          平成四年九月吉日
               花畔神社

 

地神塔


地神塔
境内には地神塔があります。
『鎮守の杜』(編・杉中茂、2003年)という花畔神社130年記念誌収録の「創立百二十年の歩み」中の解説によると、花畔にある立江寺境内にあった地神塔と、花畔神社旧境内地にあった地神塔を合体し現在地に移設したものであるとのことです。
御祭神は時計回りに天照皇大神大己貴命、埴安姫命、少彦名命、稻倉魂命となっています。
 

馬頭観世音碑

馬頭観世音碑
地神塔の側には馬頭観世音碑もあります。
裏面には「昭和二年七月建立」「花川競馬會」の文字が。
先述の『鎮守の杜』によれば、花畔では1923年に競馬場が設立されて草競馬が開催されており、その競馬会により馬の慰霊のために建立されたものだそうです。
 

戰没者慰霊 平和祈念之碑

平和祈念之碑
境内の一角に、1997年に建立された平和祈念之碑があります。
これは花畔村*3出身の太平洋戦争戦死者35名の慰霊碑です。
 

その他

合祀神社関連碑

合祀神社関連碑
馬頭観世音碑に横には、合祀された花畔瑞穂神社と相馬妙見太田神社の境内に建っていた石碑も移設されています。
 

その他多数の石碑

石碑
上記以外にも境内には明治卅七八年戦役祈念碑*4、開拓碑*5、創田之日*6など、数多くの石碑が並んでいます。
 

【花畔神社】
住 所:北海道石狩市花畔573
御祭神:金刀比羅之大神、大國魂神、大己貴神少彦名神天御中主神
末社等:地神塔(御祭神:天照皇大神大己貴命、埴安姫命、少彦名命、稻倉魂命)
    馬頭観世音碑
    戰没者慰霊 平和祈念之碑
創 建:1872年
H P:北海道神社庁「花畔神社」
 

 

脚注

*1:札幌市の北隣り。RISING SUN ROCK FESTIVAL が開催されることでも有名。

*2:金刀比羅宮の御祭神なので、大物主神ということでしょう。

*3:1902年に樽川村と合併し花川村、のち1907年石狩町と合併。

*4:「明治卅七八年戦役」は1904(明治37)~1905(明治38)年の日露戦争のこと。

*5:開拓115年目の1985年に建てられた石碑。

*6:石狩湾新港開発の際に後背地にあった水田用地が廃止となったが、その際に最後まで営農していた方の名前を後世まで記録するための石碑。