燈蓮寺伽藍堂 -RISING FALCON-

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難読地名「花畔」(花畔神社参拝)

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花畔神社へ

難読地名「花畔」

花畔神社は石狩市*1花畔にある神社です。
花畔は「ばんなぐろ」と読みます。
漢字表記は「花(はな)」+「畔(くろ)」という読みによるものでしょう。
その昔は「ばなんぐろ」と読まれていたらしい、という話も聞いたことがありますね。
 

社殿

鳥居
社殿(2017.07.08撮影)
さて、こちらが花畔神社です。
社殿は撮影し忘れたので2017年に撮ったものを貼っておきます(笑)。
 
御祭神は金刀比羅之大神*2、大國魂神、大己貴神少彦名神天御中主神の5柱です。
元々は花畔村金刀比羅神社という金刀比羅之大神を祀る神社でしたが、後に花畔瑞穂神社(御祭神:大國魂神、大己貴神少彦名神)と相馬妙見太田神社(御祭神:天御中主神)を合祀。
 
由緒書には以下の通り書かれています。

花畔神社由緒
 
 明治四年五月岩手県民三十九戸(翌五年二戸)入殖 茲に花畔開村する 翌五年七月花畔村北八線に小祠を建て 御祭神として農業漁業航海の守護神である金刀比羅之大神を祀り花畔村金刀比羅神社を創立 村民は大神を尊崇し心の拠り所として開拓の辛苦に堪え 今日の発展の基礎を築いた
 明治二十六年四月花畔村殖民地撰定願いを北海道庁に堤出六月に裁可となりこの時神社の位置定まる 翌二十七年八月社殿を建立し花畔神社と改称する
 明治三十四年七月十二日公許の花畔神社創立願いを北海道庁に申請 同年九月九日村社として公認された
 昭和四十八年九月石狩湾新港開発により この地域の三社を合併 当地に社殿を新築し花畔瑞穂神社の御祭神 大國魂神 大己貴神 少彦名神並びに相馬妙見太田神社の御祭神 天御中主神を合祀する
 平成四年七月花畔神社創立百二十周年を迎え 記念事業として御祭神之碑を建立 神社用地百拾六坪を取得する
 
          平成四年九月吉日
               花畔神社

 

地神塔


地神塔
境内には地神塔があります。
『鎮守の杜』(編・杉中茂、2003年)という花畔神社130年記念誌収録の「創立百二十年の歩み」中の解説によると、花畔にある立江寺境内にあった地神塔と、花畔神社旧境内地にあった地神塔を合体し現在地に移設したものであるとのことです。
御祭神は時計回りに天照皇大神大己貴命、埴安姫命、少彦名命、稻倉魂命となっています。
 

馬頭観世音碑

馬頭観世音碑
地神塔の側には馬頭観世音碑もあります。
裏面には「昭和二年七月建立」「花川競馬會」の文字が。
先述の『鎮守の杜』によれば、花畔では1923年に競馬場が設立されて草競馬が開催されており、その競馬会により馬の慰霊のために建立されたものだそうです。
 

戰没者慰霊 平和祈念之碑

平和祈念之碑
境内の一角に、1997年に建立された平和祈念之碑があります。
これは花畔村*3出身の太平洋戦争戦死者35名の慰霊碑です。
 

その他

合祀神社関連碑

合祀神社関連碑
馬頭観世音碑に横には、合祀された花畔瑞穂神社と相馬妙見太田神社の境内に建っていた石碑も移設されています。
 

その他多数の石碑

石碑
上記以外にも境内には明治卅七八年戦役祈念碑*4、開拓碑*5、創田之日*6など、数多くの石碑が並んでいます。
 

【花畔神社】
住 所:北海道石狩市花畔573
御祭神:金刀比羅之大神、大國魂神、大己貴神少彦名神天御中主神
末社等:地神塔(御祭神:天照皇大神大己貴命、埴安姫命、少彦名命、稻倉魂命)
    馬頭観世音碑
    戰没者慰霊 平和祈念之碑
創 建:1872年
H P:北海道神社庁「花畔神社」
 

 

脚注

*1:札幌市の北隣り。RISING SUN ROCK FESTIVAL が開催されることでも有名。

*2:金刀比羅宮の御祭神なので、大物主神ということでしょう。

*3:1902年に樽川村と合併し花川村、のち1907年石狩町と合併。

*4:「明治卅七八年戦役」は1904(明治37)~1905(明治38)年の日露戦争のこと。

*5:開拓115年目の1985年に建てられた石碑。

*6:石狩湾新港開発の際に後背地にあった水田用地が廃止となったが、その際に最後まで営農していた方の名前を後世まで記録するための石碑。