燈蓮寺伽藍堂 -RISING FALCON-

神社やら、旅行やら、過去の事やら。

こどもの国近くの北ヶ谷戸弁天社

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はじめに

今回は横浜のこどもの国の近くの弁財天について。
 

北ヶ谷戸弁天社



横浜市青葉区に、こどもの国という日本軍の弾薬庫の跡地を利用した子供のための巨大な公園がある。
ここに行くための東急こどもの国線という路線も走っているので、知っている人も多いだろう。
また梅や桜の季節になると、花見客も沢山訪れる。
 

そんなこどもの国の駐車場から園内へ向かう歩道橋を歩いていると、下の道路沿いに鳥居が立っているのが見えた。
 

近付いてみると石の祠の目の前に、赤い鳥居が立っている。
 


祠の横に立つ石碑によれば、「北ヶ谷戸弁天社」というらしい。
「北ヶ谷戸」という地名がどこのことなのかは調べてもよく分からなかった*1
江ノ島弁天から御神体百三十二番」と書かれていて、江島神社から勧請されたことが分かる。
由緒書などの掲示は無いので、それ以外の詳細は不明。
Googleで調べてもよく分からなかった。
 

【北ヶ谷戸弁天社】
住 所:神奈川県横浜市青葉区奈良町
御祭神:弁財天
社祠等:無し
建 立:不明
H P:無し
 

 

脚注

*1:谷戸」は谷間や湿地を示す言葉らしい。「北ヶ谷戸」は「北の谷間」とか「北の湿地」くらいの意味だろうか。

歌舞伎町の弁財天

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はじめに

今回は歌舞伎町に鎮座する歌舞伎町弁天堂について。
 

歌舞伎町弁天堂


新宿歌舞伎町といえば、誰でも知っている日本一の歓楽街だ。
だけど、そんな歌舞伎町の中心部に弁財天が祀られているということは意外と知られていない気がする。
 


新宿東宝ビルの南東、徒歩30秒くらいの場所にこの歌舞伎町弁天堂が鎮座している。
弁財天の周りの壁には龍や虎が描かれていて、いかにも歌舞伎町らしい。
 


御堂の目の前に、弁財天像が上に乗った由緒書の石碑がある。
 
字が細かくて読みづらいが、かつて現在の歌舞伎町一帯は「大村の森」と呼ばれていたこと、森の中の沼の辺りに弁財天が祀られていたこと、淀橋浄水場*1建設工事の残土で沼が埋め立てられたために現在地に遷座したこと、大正2年(1913年)の社殿改築の際に不忍池辯天堂から現在の御本尊を勧請したことなどが書かれている。
 
なお大村の森については、新宿観光振興協会のHPによると、大村藩主の大村氏の土地だったことに因むようだ。
 

【歌舞伎町弁天堂】
住 所:東京都新宿区歌舞伎町1-13
御本尊:歌舞伎町弁財天
社祠等:無し
建 立:不明
H P:無し
 

 

脚注

*1:かつて1898〜1965年まで稼働していた西新宿にあった浄水場。跡地には東京都庁などが建っている。

山倉大神と最新の神様・コロナ神

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<2022年8月 記事内容改訂>

はじめに


香取市山倉に山倉大神*1という神社が鎮座している。
香取市といっても旧・山田町のエリアなので中心地からは少し離れており、周囲は緑も多くとても気持ちが良い場所だ。


今回の境内のマップは上記の通り。
(※画像が粗い場合は、クリックした先で「オリジナルサイズを表示」を選ぶと大きいサイズが表示される。)

山倉大神

山倉大神本殿


いきなりだが、社殿の写真は撮り忘れた。
余りの暑さで参っていたと思われる。
仕方がないのでストリートビューを貼っておく。


由緒書によれば、山倉大神の創建は弘仁2年(811年)で、御祭神は高皇産霊大神・建速須佐男大神・大物主大神の3柱を祀る。
香取市歴史的風致維持向上計画』内の『山倉大神の鮭祭りに見る歴史的風致』によれば、明治3年(1870年)の神仏分離以前は「山倉第六天」と称して第六天を祀っており、山倉大神南西にある山倉山観福寺が別当を務めていた(現在でも観福寺は第六天総本山とされる)。
また、山倉大神の例祭は「鮭祭り」と通称され有名だ。

なお、千葉県神社庁が監修している「神社の広場」というHPの検索機能の神社詳細データによれば、先述の御祭神以外に2柱が祀られているとのこと。
御神名は記されていないので、その2柱が誰を祀るのかは不明だ。
また「境内神社」の項目に白幡神社浅間神社・水神社等が書かれているが、境内では見当たらなかった。
もしかすると境内に散見される詳細不明の石祠のどれかなのかもしれない。

額殿


本殿へ続く参道の途中に額殿がある。
ここは奉納された額や絵馬を掲示するための建物だ。
よく見ると額殿には神棚が祀られていた。
もしかすると本殿の御祭神を祀るのかもしれない。

龍神



掲示によれば、この龍神宮こそが境内最古の祠であるらしい。
延享3年(1746年)建立というから、270年以上前のことになる。
名前からして、龍神を祀っているのだろう。

疱瘡神・コロナ神


龍神宮の近くには、疱瘡神の石祠2宇とコロナ神の石祠が横並びで鎮座している。
どれも疫病を神格化し祀ることで、平癒を願ったものだ。

疱瘡神



これが疱瘡神の祠だ。
どちらも江戸時代後期の建立とのことで、当時の疫病平癒が深刻な願いだったことが分かる。

コロナ神


これは日本で一番新しい神様ではないかと思われる、その名もコロナ神を祀る祠だ。
そもそも片仮名の神名の神様というのは中々珍しい。
令和3年(2021年)5月に建立されたばかりのこの祠の存在は千葉日報が報じ、Yahooニュースにも載ったので結構話題になったので見たことのある人も多いかと思う。
自分も新型コロナの速やかな収束を願って参拝した。

八幡神社・古峯神社


本殿の後方には八幡神社・古峯神社が1つ屋根の下に祀られている。
右の八幡神社は譽田別命*2、古峯神社は日本武尊が御祭神だ。

姥神様


姥神様という石祠には姥大神が祀られている。
ただ、由緒書等は見当たらないため詳細は不明。

髪塚



かつて戦時中、兵士の妻や母親が武運長久の願掛けとして髪を切って神前に捧げた。
戦後にその髪を納めて後世に伝えるために建立したのがこの髪塚らしい。

詳細不明の石祠


髪塚のすぐ傍に石祠があるが詳細不明。

子安明神


境内には詳細は不明ながら、子安明神の社も建っている。
「子安」と付く神社は木花開耶姫命を御祭神とする所が多い印象があるが、ここはどうなのかは不明。
少なくとも「子安」という名前からすると、安産や子育てが御利益だと思われる。

前大神宮・詳細不明の石祠


子安明神の横に石祠が2宇並んでいる。
左の祠は「前大神宮」と彫られたもので、延享(1744〜1748年)の年号が見えるけども御祭神は不明。
右の祠に至っては全く詳細不明。

詳細不明の石祠


子安明神の斜め前に建つ詳細不明の石祠。
側面には安永6年(1777年)の年号が彫られている。

詳細不明の石仏


この石仏はかなり風化している。
手に何か持っているので不動明王にも思えるが、2本の腕以外に背後に更に腕があるのがよく分からない。
もしかすると他の明王や馬頭観世音だろうか。

天満宮


これは菅原道眞公を祀る天満宮だ。
社殿は年季は入っているが綺麗に保たれている。
自分は勉学の向上を願って参拝した。

多数の道祖神





最後に紹介するのは道祖神だ。
道路に面した駐車場の脇には、道祖神の祠が大量に祀られている。
その数は20宇以上あるのではないかと思われる。
看板にもある通り、これほど大量の道祖神の祠が一ヶ所に固まって祀られているのは中々類を見ないことだろう。

【山倉大神】
住 所:千葉県香取市山倉2347-1
御祭神:高皇産霊大神、建速須佐男大神、大物主大神、他2柱
社祠等:コロナ神(御祭神:コロナ神)
    姥神様(御祭神:姥大神)
    天満宮(御祭神:菅原道眞公)
    他多数
建 立:811年
H P:まるごとeちば「山倉大神」
 

 

脚注

*1:「やまくらだいじん」と読む。

*2:第15代・応神天皇のこと。