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<2022年8月 記事内容改訂>
はじめに
香取市山倉に山倉大神*1という神社が鎮座している。
香取市といっても旧・山田町のエリアなので中心地からは少し離れており、周囲は緑も多くとても気持ちが良い場所だ。
今回の境内のマップは上記の通り。
(※画像が粗い場合は、クリックした先で「オリジナルサイズを表示」を選ぶと大きいサイズが表示される。)
山倉大神
山倉大神本殿
いきなりだが、社殿の写真は撮り忘れた。
余りの暑さで参っていたと思われる。
仕方がないのでストリートビューを貼っておく。
由緒書によれば、山倉大神の創建は弘仁2年(811年)で、御祭神は高皇産霊大神・建速須佐男大神・大物主大神の3柱を祀る。
『香取市歴史的風致維持向上計画』内の『山倉大神の鮭祭りに見る歴史的風致』によれば、明治3年(1870年)の神仏分離以前は「山倉第六天」と称して第六天を祀っており、山倉大神南西にある山倉山観福寺が別当を務めていた(現在でも観福寺は第六天総本山とされる)。
また、山倉大神の例祭は「鮭祭り」と通称され有名だ。
なお、千葉県神社庁が監修している「神社の広場」というHPの検索機能の神社詳細データによれば、先述の御祭神以外に2柱が祀られているとのこと。
御神名は記されていないので、その2柱が誰を祀るのかは不明だ。
また「境内神社」の項目に白幡神社・浅間神社・水神社等が書かれているが、境内では見当たらなかった。
もしかすると境内に散見される詳細不明の石祠のどれかなのかもしれない。
額殿
本殿へ続く参道の途中に額殿がある。
ここは奉納された額や絵馬を掲示するための建物だ。
よく見ると額殿には神棚が祀られていた。
もしかすると本殿の御祭神を祀るのかもしれない。
掲示によれば、この龍神宮こそが境内最古の祠であるらしい。
延享3年(1746年)建立というから、270年以上前のことになる。
名前からして、龍神を祀っているのだろう。
龍神宮の近くには、疱瘡神の石祠2宇とコロナ神の石祠が横並びで鎮座している。
どれも疫病を神格化し祀ることで、平癒を願ったものだ。
これが疱瘡神の祠だ。
どちらも江戸時代後期の建立とのことで、当時の疫病平癒が深刻な願いだったことが分かる。
コロナ神
これは日本で一番新しい神様ではないかと思われる、その名もコロナ神を祀る祠だ。
そもそも片仮名の神名の神様というのは中々珍しい。
令和3年(2021年)5月に建立されたばかりのこの祠の存在は千葉日報が報じ、Yahooニュースにも載ったので結構話題になったので見たことのある人も多いかと思う。
自分も新型コロナの速やかな収束を願って参拝した。
姥神様
姥神様という石祠には姥大神が祀られている。
ただ、由緒書等は見当たらないため詳細は不明。
髪塚
かつて戦時中、兵士の妻や母親が武運長久の願掛けとして髪を切って神前に捧げた。
戦後にその髪を納めて後世に伝えるために建立したのがこの髪塚らしい。
詳細不明の石祠
髪塚のすぐ傍に石祠があるが詳細不明。
子安明神
境内には詳細は不明ながら、子安明神の社も建っている。
「子安」と付く神社は木花開耶姫命を御祭神とする所が多い印象があるが、ここはどうなのかは不明。
少なくとも「子安」という名前からすると、安産や子育てが御利益だと思われる。
前大神宮・詳細不明の石祠
子安明神の横に石祠が2宇並んでいる。
左の祠は「前大神宮」と彫られたもので、延享(1744〜1748年)の年号が見えるけども御祭神は不明。
右の祠に至っては全く詳細不明。
詳細不明の石祠
子安明神の斜め前に建つ詳細不明の石祠。
側面には安永6年(1777年)の年号が彫られている。
詳細不明の石仏
この石仏はかなり風化している。
手に何か持っているので不動明王にも思えるが、2本の腕以外に背後に更に腕があるのがよく分からない。
もしかすると他の明王や馬頭観世音だろうか。
これは菅原道眞公を祀る天満宮だ。
社殿は年季は入っているが綺麗に保たれている。
自分は勉学の向上を願って参拝した。
最後に紹介するのは道祖神だ。
道路に面した駐車場の脇には、道祖神の祠が大量に祀られている。
その数は20宇以上あるのではないかと思われる。
看板にもある通り、これほど大量の道祖神の祠が一ヶ所に固まって祀られているのは中々類を見ないことだろう。
【山倉大神】
住 所:千葉県香取市山倉2347-1
御祭神:高皇産霊大神、建速須佐男大神、大物主大神、他2柱
社祠等:コロナ神(御祭神:コロナ神)
姥神様(御祭神:姥大神)
天満宮(御祭神:菅原道眞公)
他多数
建 立:811年
H P:まるごとeちば「山倉大神」
脚注