燈蓮寺伽藍堂 -RISING FALCON-

神社やら、旅行やら、過去の事やら。

高円寺駅近くの高円寺氷川神社と「天気の子」聖地の気象神社

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はじめに

今回は高円寺鎮守の高円寺氷川神社について。
 

高円寺氷川神社



高円寺氷川神社はJR高円寺駅の南東に鎮座している。駅から徒歩にして2〜3分の位置だろう。
境内はそれなりに広々としていて、静かで良い感じの空間だ。
 

マップは上記の通り。
(※画像が粗い場合は、クリックした先で「オリジナルサイズを表示」を選ぶと大きいサイズが表示される。)
 

社殿



由緒書の掲示によると、高円寺氷川神社は昔は高円寺村小名原の鎮守だったとのこと。
境内の中心に立派な社殿が建っている。御祭神は素戔嗚尊
由緒書によれば、源頼朝の奥州征伐の際に頼朝の命で安達盛長が創建した、奥州征伐の際に高円寺村に留まった村田某が大宮から勧請して創建した、16世紀の天文年間に創建した、という諸説が伝えられている。
かつて神社についての旧記が火事で焼失してしまったようで、創建の詳細は分からない。
 

気象神社


本殿左手側の参道を進むと、「気象神社」という扁額の掛かった鳥居と、奥に末社群が見えてくる。
 



その一番手前側に鎮座するのが気象神社だ。御祭神は八意思兼命
気象神社」という神社は日本全国でもここにしか存在しないらしい。
昭和23年(1948年)に氷川神社遷座、その後老朽化のため平成15年(2003年)に現在の新社殿が建立された。
また、映画「天気の子」*1の聖地としても有名で、今でもファンが参拝しているようだ。
 

気象神社は元々陸軍気象部で祀られていた神社で、戦後のGHQ神道指令に基づく調査の際に漏れたために存続できたという数奇な運命を辿っている。
 

伏見稲荷神社・稲荷神社・稲荷祠




気象神社の背後には末社が3社並んでいる。上の写真は1枚目が右、2枚目が真ん中、3枚目が左に建つ社だ。
それぞれに「正一位稲荷大明神」の幟が建っているけど、どれも扁額や由緒書は無い。
杉並区教育委員会が発行した『杉並の神社』*2には、末社の欄に伏見稲荷神社と稲荷神社が掲載されている他、写真や境内図も掲載されている。
1980年当時は右から気象神社、稲荷神社、伏見稲荷神社の順で並んでいたようだ。
当時の写真と現状を見比べると、現在一番右に建っているのは伏見稲荷神社、真ん中は稲荷神社ということになるんだろう。
一番右の石祠は本に記載がない。恐らく幟や狛狐からして稲荷祠だろう。
因みにこの本に御祭神に関する記述は無いけど、稲荷神社なので御祭神は稲荷大神か。
 

御嶽神社日枝神社


気象神社の参道にある氷川神社の由緒書の掲示には、「末社には気象神社、稲荷神社、御嶽神社日枝神社が祀られている」とあるけど、この2社は境内にはどこにも社殿が見当たらない。
また先述の『杉並の神社』には、「御嶽神社日枝神社気象神社(以上合殿)」との記載がある。
このことからすると、現在でも御嶽神社日枝神社気象神社に合殿として祀られているのかもしれない。
なお、御嶽神社日枝神社共に御祭神に関する記述は無いので詳細不明。
 

【高円寺氷川神社
住 所:東京都杉並区高円寺南4-44-19
御祭神:素戔嗚尊
境内社気象神社(御祭神:八意思兼命
    稲荷神社(御祭神:稲荷大神?)
    伏見稲荷神社(御祭神:稲荷大神?)
    稲荷祠(御祭神:稲荷大神?)
    御嶽神社(御祭神:不明)
    日枝神社(御祭神:不明)
建 立:不明
H P:高円寺氷川神社
 

 
今回は以上。
次回は簡易更新。
 

脚注

*1:新海誠監督、2019年公開

*2:文化財シリーズ24 杉並の神社』(杉並区教育委員会、1980年)23~25頁、74~75頁

荒れ果てた一本檜稲荷と綺麗な一本檜稲荷

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はじめに

今回は同じ区画に2ヶ所存在する一本檜稲荷について。
Googleマップで見ると、1ヶ所目の方には「本社」、2ヶ所目の方には「境外摂社」と書かれているけど、果たして本当なんだろうか……?
 

一本檜稲荷神社(1ヶ所目)



JR中野駅近く、明治大学中野キャンパスの線路を挟んだ向かい側の辺りに一本檜稲荷神社が鎮座している。
 

かすれて読み辛いけど、「一本桧稲荷神社は中野氷川神社末社にて」と冒頭に書かれているのが分かる。
中野氷川神社須佐之男尊稲田姫尊・大己貴尊を祀る東中野1丁目の神社で、1030年に源頼信*1平忠常*2討伐の際に大宮から勧請したという歴史ある神社だ*3
ここ一本檜稲荷神社はそこの境外末社ということになるだろうか。由緒書に記載はないが、稲荷神社なので稲荷大神を祀るのだろう。
 




見ての通りの荒れ放題で、中野区によって規制線も張られている。
「桃園鎮守」*4も形無しといった感じだ。
 

【一本檜稲荷神社】
住 所:東京都中野区中野3-49
御祭神:稲荷大神
境内社:無し
建 立:不明
H P:無し
 

 

一本檜稲荷(2ヶ所目)



先程の荒れ果てた社から真っ直ぐ東へ行き、T字路を左折するととても綺麗でしっかりした社がある。
先程の社と同じ区画にあるので、Googleマップに書かれているような本社云々というよりは、あの荒れた社からここに遷座したと言う方が納得がいく気がする。まあ、詳細は分からないが。
 

台座には「一本檜稲荷」という社名の書かれたプレートが嵌められている。社名に「神社」が付かないのは省略されているだけなのか、正式名称では付かないのかは不明。
ここも稲荷神社なので、やはり御祭神は稲荷大神か。
 

由緒書によれば、かつて川の氾濫や飢饉を鎮めるために建立されたとのこと。
(なお文字が小さくて読み辛い場合は、画像をクリックした先で「オリジナルサイズを表示」を選ぶと大きいサイズが表示される。)
 

【一本檜稲荷】
住 所:東京都中野区中野3-49
御祭神:稲荷大神
境内社:無し
建 立:不明
H P:無し
 

 
今回は以上。
次回も更に高円寺・中野界隈。
 

脚注

*1:清和源氏源頼光の弟で源頼朝の先祖。道長四天王の1人。

*2:桓武平氏平将門の孫(母が将門の娘)で千葉氏の祖。

*3:東京都神社庁ホームページ

*4:昔この辺りは、徳川吉宗が桃を植えさせた桃園だったらしい。詳細は中野区公式観光サイトを参照。

線路沿いにある大河原家の稲荷神社

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はじめに

昨日に続き今日も簡易更新。
今回は大河原家の稲荷神社について。
 
【追記】
杉並区立中央図書館で色々資料を漁ってきました。
 

正一位稲荷神社

道中


昨日の記事でも書いた高円寺駅入口の交差点から中央線沿いに東へ進む。
 


JR東日本の高円寺変電所の横を通る。
道路の上を電線が無数に線路に向かって走る様は壮観だ。
 

社殿



変電所から更に少し進むと、小さな稲荷神社が見えてくる。この神社が正一位稲荷神社だ。
社殿内の左側の木柱には「奉齋 稲荷大神」、右側の御幣には「初午 大河原家」とある。
大河原家とは高円寺一帯の名主で、この社はその大河原家の稲荷神社であるらしい。
後の貞明皇后大正天皇皇后)となる九条節子が大河原家に預けられていた幼少時に参拝していた可能性も指摘されているようだ*1
 
【追記】
大河原善雄氏の「旧農家の初午祭今昔と稲荷雑稿」*2という記事によると、御祭神は宇迦之御魂神とのこと。
なお同記事によると、杉並区教育委員会の『杉並の小祠』*3という本では御祭神が保食神となっているが、宇迦之御魂神が正しいらしい。
また、現在の社殿は1931年建立とのことだが、その前から稲荷の祠が存在しており、少なくとも明治41年の記録にも現れているようだ。
 

石仏



社殿の左側には石仏が祀られている。
「大河原家」と刻まれた台座の上には、「馬頭觀世音」と刻まれた碑と、何かしらの尊像*4が刻まれた石仏が祀られている。
更に右側にも単独で詳細不明の尊像*5の石仏が祀られている。
 
【追記】
『杉並の石仏と石塔』*6という本によれば、左側の「大河原家」の台座の上の石仏は「馬頭観音坐像」、右側の単独の石仏は「地蔵菩薩立像」とあるので、予想は当たりだったようだ。
 

正一位稲荷神社】
住 所:東京都杉並区高円寺北1-2
御祭神:宇迦之御魂神
境内社:馬頭觀世音碑
    馬頭観世音像
    地蔵尊
建 立:不明
H P:無し
 

 
今回は以上。
次回もまた高円寺・中野界隈。
 

脚注

*1:原武史『皇后孝』146~147頁

*2:『杉並郷土史会史報』(杉並郷土史会、2011年)第226号219〜222頁

*3:文化財シリーズ41 杉並の小祠』(杉並区教育委員会、1996年)23頁

*4:こちらも馬頭観世音かもしれない。

*5:こちらは地蔵尊だろうか。

*6:文化財シリーズ36 杉並の石仏と石塔』(杉並区教育委員会、1991年)18〜19頁