燈蓮寺伽藍堂 -RISING FALCON-

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早稲田の穴八幡宮へ

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はじめに


一昨日の記事で書いた感通寺から夏目坂を上り馬場下町の交差点て向かうと、向こう側に穴八幡宮の鳥居が見える。
八幡宮に参拝するのは2018年以来だ。

八幡宮

八幡宮本殿



八幡宮は應神天皇仲哀天皇神功皇后の八幡三神を祀る。
更に、後述の境内社も本殿に合祀されている。

創建は康平5年(1062年)で源義家前九年の役から凱旋する途中この地に源氏の氏神である八幡神を勧請し、兜と太刀を納めたことに始まる。
八幡宮HPによると、その後慶長〜元和年間(1596〜1624年)頃までは神社の辺りに八幡祠が祀られていたとのこと*1
寛永13年(1636年)には御弓組のトップだった松平直次がこの地に的場を作った際に、源氏の氏神(松平直次は源姓であったらしい)かつ弓矢の守護神であるということで石清水八幡宮から八幡神を勧請したようだ*2*3
更に寛永18年(1641年)には良昌上人(神仏分離前までは穴八幡宮別当寺だった放生寺開山。放生寺は穴八幡宮の隣に現存)が草庵を結ぼうとした際に、阿弥陀山(当時は阿弥陀山と呼ばれてはいたが、何故阿弥陀如来の名を冠しているのかは忘れ去られていたらしい)を切り開いたところ神穴が発見され、その中から八幡神本地仏とされていた金色の阿弥陀如来像を見つけたため、「穴八幡」との呼び名がついたらしい*4

本殿に合祀された境内社

『東京都神社名鑑 上巻』によると、戦災で社殿が焼失して本殿に合祀された神社として以下の神社が掲載されている*5
若宮八幡宮(御祭神:仁徳天皇
東照宮(御祭神:徳川家康公)
・稲荷社(御祭神:宇迦御魂命
・氷室明神(御祭神:大己貴命少彦名命
・春日明神(御祭神:天児屋根命
・子安明神(御祭神:木花咲耶姫命
天満宮(御祭神:菅原道真公)
厳島神社(御祭神:市杵島姫命

出現殿


かつて神穴が見つかった地には出現殿という社殿が建っているが、非公開のため遥拝。
由緒等は不明だが、御祭神は應神天皇ということで良いのだろうか。

なおこの出現殿は清水建設が建てており、平成20年(2008年)の東京建築賞で奨励賞を受賞している*6

手水舎・布袋尊

本殿の手前には手水舎と布袋尊舎が並んで建っている。
これらも平成30年(2018年)に清水建設の手で建てられている*7


手水舎は布袋尊の袋から水が出る仕組みになっており、他では中々見られないユニークなデザインになっている。
この布袋尊像は平成30年に新造されたものだ*8



布袋尊舎にも水鉢を兼ねた布袋尊像が祀られている。
こちらは元々は江戸城の庭に祀られていたもので、徳川家光が穴八幡宮に奉納したと伝わる由緒ある布袋尊だ。
ただ正確には奉納された布袋尊像は新宿区指定文化財となっており普段は非公開らしいので、布袋尊舎に鎮座してあるのは複製のようだ*9


因みに2015年に参拝した際には布袋尊はこんな感じで祀られていた(2015年4月17日撮影)。

神武天皇陵遥拝所



境内には神武天皇陵遥拝所もある。
これは橿原市にある神武天皇陵とされている畝傍山東北陵を遥拝する場所だ。
遥拝所の石碑には「神武天皇遥拝所」とだけ刻まれている。

その他

流鏑馬


境内入口の階段横には流鏑馬像が建っている。
かなり躍動感のある像でとても立派だ。
八幡宮では体育の日に毎年神事の高田馬場流鏑馬が行われている((穴八幡宮HP「神事高田馬場流鏑馬」参照。。

光㮤門



参道の階段を上った先には随神門が建っている。
かつての随神門は戦災で焼失したが、平成10年(1998年)に清水建設の手で再建。

この門には「光㮤門」と書かれた扁額が掛かっている。
この「㮤」の字は「松」の異体字であり、「光松門」ということらしい。
この光松というのは穴八幡宮と放生寺の間にあった松で、松林の中にあって闇世に光るとされたことが名前の由来であるらしい*10

【穴八幡宮
住 所:東京都新宿区西早稲田2-1-11
御祭神:應神天皇仲哀天皇神功皇后
社祠等:出現殿(御祭神:應神天皇?)
    布袋尊舎(御祭神:布袋尊
    神武天皇陵遥拝所
    若宮八幡宮(御祭神:仁徳天皇
    東照宮(御祭神:徳川家康公)
    稲荷社(御祭神:宇迦御魂命
    氷室明神(御祭神:大己貴命少彦名命
    春日明神(御祭神:天児屋根命
    子安明神(御祭神:木花咲耶姫命
    天満宮(御祭神:菅原道真公)
    厳島神社(御祭神:市杵島姫命
創 建:1062年
H P:穴八幡宮

脚注

*1:八幡宮HP「御由緒」参照。

*2:斎藤幸雄『江戸名所図会 第二』(有朋堂書店、1927年)544〜549頁(国会図書館デジタルコレクションでは277〜279コマ)

*3:林述斎・編『新編武蔵風土記稿 巻之十一』下戸塚村の項目(内務省地理局、1884年)(国会図書館デジタルコレクションでは18〜20コマ)

*4:斎藤、前掲書、544, 548頁

*5:東京都神社庁編『東京都神社名鑑(上巻)』(1986年、東京都神社庁) 535頁

*6:東京都建築士事務所協会HP「穴八幡宮出現殿」参照。

*7:清水建設の社寺建築・伝統建築HP「穴八幡宮 布袋尊覆屋・御手洗舎・御井舎新築工事」参照。

*8:同上

*9:新宿区立新宿歴史博物館HP「布袋像の水鉢」参照。

*10:斎藤、前掲書、548頁

公所のビルトイン地蔵尊らしき石仏

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はじめに


今回は、平塚市公所(ぐぞ)のビルトイン地蔵尊らしき石仏について。

地蔵尊


平塚市公所の住宅地の細い道に面した住宅の塀の中に、地蔵堂らしき構造物が組み込まれている。
中には地蔵尊らしき石仏が鎮座しているが、由緒等は不明。
近所の人々が祀っているのかもしれない。
小銭が大量にお供えしてあるので、お参りする人がきちんと居るのだろう。

それにしても、地蔵尊だとすれば見事なまでのビルトイン地蔵尊(建造物等に組み込まれて祀られている地蔵尊。詳細は検索すると分かる)でとても味わいがある。

地蔵尊?】
住 所:神奈川県平塚市公所348
御本尊:地蔵尊
社祠等:無し
創 建:不明
H P:無し

脚注

無し

夏目坂に面した感通寺

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はじめに


昨日の記事で書いた池立神社の近くの夏目坂に面して、感通寺という寺院が鎮座している。

本妙山 髙田 感通寺

感通寺本堂


感通寺は寛永7年(1630年)に日建上人により開かれた日蓮宗寺院で、8年後には創建400年となる。
なお『牛込区史』には「寛永七年當所に建立、(これより先き市谷五段に在つたと云ふが仔細は不明)(後略)」との記述があるので、現在の防衛省の辺りにかつてあったという五段長屋の周辺に鎮座していた時期があるのかもしれない*1

御本尊は大曼荼羅を祀る。
境内は広々としており、とても落ち着いた雰囲気のお寺だ。

毘沙門堂


境内に入ってすぐの所に毘沙門堂が建っており、開運出迎泥足毘沙門天が祀られている。
この毘沙門天は越後高田で道に迷った日蓮上人を出迎えて道案内したため、足に泥がついていたと伝わっている*2
戦国時代に上杉謙信の崇敬を受けその死後に米沢城に遷座、江戸時代になってから茶阿局と松平忠輝により勧請されたらしい*3

竹駒稲荷尊


毘沙門堂の目の前には竹駒稲荷尊を祀る社が鎮座している。
竹駒稲荷尊については由緒書等も無いため詳細不明だが、日本三大稲荷に数えられることもある宮城県岩沼市竹駒神社と何か関わりがあるのかもしれない。

喜久井町観音


境内には池があり、その池の畔に喜久井町観音が祀られている。



由緒書を見る限り、喜久井町観音は昭和52年(1977年)に建立されたようだ。
建立の経緯は、日米の戦没英霊・喜久井町内の戦災殉難者・感通寺の戦没/戦病没英霊を鎮魂供養するためであるらしい。

妙法地荒神


池の畔には妙法地荒神も祀られていた。
詳細は分からないが、荒神様なのだろう。

その他



境内には、昭和45年(1970年)の大阪万博で日本館に展示されていたというさざれ石が置かれている。
由緒書冒頭の文章は、この混沌とした世界情勢を見ているとまさにその通りだと思う。

【本妙山 髙田 感通寺】
住 所:東京都新宿区喜久井町39
御本尊:大曼荼羅
社祠等:毘沙門堂(御本尊:開運出迎泥足毘沙門天
    竹駒稲荷尊(御祭神:竹駒稲荷尊)
    喜久井町観音
    妙法地荒神
創 建:1630年
H P:本妙山高田感通寺

脚注

*1:東京市牛込区・編『牛込区史』(東京市牛込区、1930年)575〜576頁(国会図書館デジタルコレクションでは401〜402コマ)

*2:感通寺HP「感通寺について」参照。

*3:同上