燈蓮寺伽藍堂 -RISING FALCON-

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崇徳天皇と淳仁天皇を祀る白峯神宮

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はじめに

今回は飛鳥井家の邸宅跡に建つ白峯神宮について。
 

白峯神宮


地下鉄烏丸線今出川駅から今出川通を西へ500mほど進んでいくと、右手側に白峯神宮が見える。
 

社殿




白峯神宮崇徳天皇淳仁天皇の2柱を祀っている*1
元々は孝明天皇が讃岐に祀られている崇徳天皇の御霊を京都に祀ろうと発案するも志半ばで崩御してしまったため、息子の明治天皇が遺志を継いで明治元年(1868年)に創建。
その後、明治6年1873年)に淡路に祀られていた淳仁天皇の御霊も合祀された。
 

潜龍社



潜龍社は潜龍大神を祀っている。
由緒書によれば昭和30年(1955年)の御火焚祭斎行中に火炎の中に出現したとのことで、割と新しい神様だ。
御利益は良縁・病気平癒・事業繁昌などの寿福長命。
 

なお手水舎には「笑い龍」という像が置かれているように、潜龍社の御利益には「笑い」というのもあるらしい*2
 

伴緒社




伴緒社では武道の神・弓矢の神として清和源氏源為義公と源為朝公が祀られている。
為義・為朝親子は保元の乱で崇徳方として戦った武将であり、特に為朝は弓の名手として名高い。
 
由緒書の看板にある「為朝公は琉球王家の祖になったという伝説」とは、『中山世鑑』という琉球王国の正史に記されている、為朝が琉球へと逃れてきてその息子の舜天が即位して琉球国王となったという伝説を指している。
 

地主社




地主社はスポーツ守護の神社として有名だ。
中央に精大明神、右側に柊大明神と糸元大明神、左側に白峯天神と今宮大神が祀られている。
由緒書によると精大明神は元々は蹴鞠を家業とする飛鳥井家の邸内社に祀られていた蹴鞠の神で、後に左右の4柱を合祀したらしい。
 
御利益は以下の通りとなっている。
精大明神:スポーツ競技上達、技能・芸能上達
柊大明神:厄除・延命長寿
糸元大明神:織物業繁栄
白峯天神:学業成就
今宮大神:家内安全・無病息災
 

その他



境内は飛鳥井家邸宅跡ということで、蹴鞠の碑が建っていたり、鞠庭があったりする。
また、年に2回蹴鞠の奉納が行われているとのこと*3
 


枕草子の第168段には以下のように記載がある*4

井は ほりかねの井。玉の井。走り井は逢坂なるがをかしきなり。山の井、などさしもあさきためしになりはじめけん。飛鳥井は「みもひもさむし」とほめたるこそをかしけれ。千貫の井。少將の井。櫻井。后町の井。
 
清少納言枕草子』(岩波文庫、1991年、第39刷)223~224頁

この中の飛鳥井こそが白峯神宮の手水舎で使用されている井であるらしい。
そんな古い名井戸が現在でも生き続けているのは流石に驚いた。
 

白峯神宮
住 所:京都市上京区飛鳥井町261
御祭神:崇徳天皇淳仁天皇
社祠等:潜龍社(御祭神:潜龍大神)
    伴緒社(御祭神:源為義公、源為朝公)
    地主社(御祭神:精大明神、柊大明神、今宮大神、白峯天神、糸元大明神)
建 立:1868年9月6日
H P:白峯神宮
 

 

脚注

*1:どちらも配流の憂き目にあった天皇で、崇徳天皇保元の乱で讃岐に流されたため「讃岐院」、淳仁天皇藤原仲麻呂の乱で淡路に流されたため「淡路廃帝」と呼ばれた。

*2:由緒書曰く、「笑い龍」は「笑いは、心の常備薬」という考え方を表しているらしい。

*3:白峯神宮HPの「蹴鞠」の項目参照。

*4:上の写真の現地の掲示では「百七十二段」とあるが、誤植だろう。