はじめに
前回の記事で書いた松原道祖神社から200mほど西に、五條天神宮が鎮座している。
正面の境内入口は恐らく西洞院通側だが、松原通側にも境内入口があり、こちらには「皇國醫祖神五條天神宮」や「筑紫天滿宮」と書かれた石柱が立っている。
五條天神宮
五條天神宮本殿
五條天神宮は大己貴命・少彦名命・天照大神の3柱を祀る。
創建は平安遷都の延暦13年(794年)で、桓武天皇の勅命により、弘法大師が大和国宇陀郡から天神(天津神)を勧請したことに始まるとされている*1。
かつては天使の宮や天使社という名称だったが、後鳥羽天皇により五條天神宮と勅称された*2。
後に応仁・天明・元治の3回(恐らく応仁の乱・天明の大火・蛤御門の変)も火災に遭ったとのことで、その度に再建されたようだ*3。
なお『義経記』では、弁慶が牛若丸が初めて出会う直前に願掛けのため参拝した場所が五條天神宮ということになっている*4。
なお境内の掲示によれば、実は五条大橋は鴨川に架かっていた五条大橋(現在の松原橋)ではなく、五條天神宮の東を流れていた西洞院川(現在は暗渠であるらしい)に架かる橋だったとの伝説があるようだ。
なお、本殿裏手には多数の境内社が祀られている。
筑紫天満宮
本殿の周囲を左から奥へと進むと、一番先に現れるのは筑紫天満宮だ。
天満宮なので当然ながら菅原道真公を祀ると思われる。
筑紫天満宮は二条寛斉(検索したが不詳、五摂家の二条家の人物か)が天保15年(1844年)に太宰府より御分霊を勧請し、遥拝所として使用されていたらしい*5。
なお、筑紫天満宮は洛陽天満宮二十五社にも数えられている*6。