はじめに
近鉄奈良線に富雄という駅がある。
東口を出たら駅前通を突き当たりまで進み左折したら、右側一番手前の細い道に入る。
住宅地と畑の横をひたすら歩いていくと、左側に鳥居と「式内 添御縣坐神社」*1の社号標が現れる。
添御県坐神社
添御県坐神社社殿
添御県坐神社は延喜式内社「添御県坐神社」の論社だ*2。
「添御県坐神社」という名前は「大和国曽布(=添)の御県に鎮座する神社」という意味だ*3。
奈良時代にはこの地を小野福麿公*4という人物が治めており、福麿公が添御県坐神社を創建したとされている。
御祭神は建速須佐之男命・武乳速命・櫛稲田姫命の3柱を祀っている。
主祭神は建速須佐之男命で、櫛稲田姫はその妻神だ。
武乳速命は境内の由緒書の掲示によると添県主の祖先神としか書かれていない。
しかし奈良県神道青年会のHPの記述によると、古老曰く武乳速命は実は長髄彦のことであり、明治以降の皇国史観の神武天皇礼讃の風潮の中で名前を出せなくなり武乳速命の名で祀ったものだという*5。
長髄彦といえば神武東征の神話に登場する大和を本拠地とした豪族であり、神武天皇の一行と死闘を繰り広げた強敵で、謂わば「初代朝敵」とも言うべき人物だ*6。
ところが先述の神道青年会のHPによると、長髄彦は東征に来た神武天皇に叛逆しようとする当地の民を説き伏せて自害したために、遺された民が長髄彦を祀ったものであるという。
正史では朝敵とされた人物が、地元では英雄であったとする伝承が残っているのはとても興味深いことだと思う。
福神宮・九乃明神
本殿左手には福神宮が鎮座している。
御祭神は添御県坐神社を創建した小野福麿公だ。
福神宮の横には九乃明神*7が鎮座している。
この社には福麿公に所縁の村人9柱の御霊が祀られている。
なお、福神宮と九乃明神は本殿右手へと遷座が計画されている。
戦没英霊殿・恵美須神社
境内入口近くには戦没英霊殿が鎮座している。
戦没英霊殿には地域から出征して戦没した145柱の御霊が祀られている。
戦没英霊殿の左側は恵美須神社だ。
御祭神は西宮神社から勧請した蛭子大神を祀る。