はじめに
令和5年(2023年)7月中旬、西武鉄道に乗って秩父まで行ってきた。
秩父は平成26年(2014年)に大学のゼミ合宿で行って以来なので、実に9年ぶりの再訪だ。
車窓からは高麗駅前の天下大将軍・地下女将軍像も見える。
これらは朝鮮半島の将軍標と呼ばれるものだ。
恐らく高麗駅のある高麗郡が高句麗からの渡来人が住んだことに始まるため、朝鮮半島との所縁ある地として建てられたのだろう*1。
高麗駅の隣の武蔵横手駅では、駅の「やぎの家」などを眺めていた。
そうこうする内に西武秩父駅へと到着。
かつては味わいのある食堂や土産物屋が並んでいた西武秩父駅の仲見世通りも姿を消し、今では巨大な温泉施設がその場に鎮座している。
なお、上のストリートビューは平成23年(2011年)、下のストリートビューは令和元年(2019年)のものだ。
まずはじめに椋神社のある吉田方面へ。
道の駅の方面から徒歩で向かうと、境内入口に椋神社の看板が見えた。
続いて椋神社の鳥居も見えてくる(なおこれは正面の鳥居ではなく、本殿向かって右手側の鳥居だ)。
参道を進むと社殿がある。
なおマップは、(多少汚れているが)境内に掲示してあった上掲のもの、或いは椋神社HP掲載のものが分かりやすかった。
詳細な境内図については、秩父市教育委員会が平成28年(2016年)に発行した『椋神社の龍勢総合調査報告書』(以下、報告書)172頁の境内図が詳しい。
椋神社
椋神社
椋神社は猿田彦大神を主祭神とし、武甕槌命・天児屋根命・経津主命・比売神・応神天皇 外25柱の神々を祀っている*2。
創建は景行天皇の御代の日本武尊の東征(110〜111年)の時で、日本武尊が猿田彦大神を祀ったことによるとされる*3*4*5。
延長5年(927年)成立の『延喜式』にも記載がある(但しここ以外にも論社が4社存在する)*6。
天慶年間に藤原秀郷が武甕槌命・天児屋根命・経津主命・比売神の春日四所を合祀する(なお合祀年は平将門の乱の最中とも乱後とも伝わる)*7*8*9*10。
境内の由緒書の看板等によれば永禄12年(1569年)、『椋神社由緒記』によれば元亀年間(1570〜1573年)に武田氏が秩父氏を攻めた際に焼失、のち天正3年(1575年)に北条氏邦の手で再建*11*12。
大正2年(1913年)に近隣の23社を合祀(御祭神の「外25柱」の神々がこの合祀の際の御祭神かもしれない)*13。
大正5年(1916年)に下吉田の八幡神社を合祀した(後述)*14*15。
なお、由緒書の看板には御祭神として猿田彦大神と並んで天鈿女命が挙げられているが、『椋神社由緒記』等には名前が見えずよく分からない。
もしかすると、「外25柱」の中に天鈿女命が居て、猿田彦大神と夫婦神のために看板に載せたということなのだろうか。
八幡神社(空殿)
本殿横には秩父市の有形文化財に指定されている八幡神社の旧本殿が保存されている(なお旧拝殿は現在の椋神社の拝殿となっている)。
八幡神社の御祭神は応神天皇だったが、先述のとおり大正5年に本殿に合祀されたため、この旧本殿は空殿となっている*16。
応神天皇の御神徳は、由緒書の看板によると武道・家内安全・交通安全・厄除・開運・安産・航海・受験・漁業とのこと。
なお、旧社殿後方にある風化して判読不能な石碑は八幡宮碑であるらしい*17。
もしかするとこの八幡神社の関連かもしれない。
神明神社・琴平神社・諏訪神社
旧八幡神社の前方、椋神社社殿に向かって右側には、神明神社・琴平神社・諏訪神社の3社が覆屋の中に鎮座している。
神明神社
覆屋内左側は神明神社だ。
御祭神は由緒書の看板によれば大日孁貴命こと天照大御神を祀る。
御神徳についての記載は無かった。
なお報告書の記載によれば、旧称は豊受皇太神宮(『新編武蔵国風土記稿』にも記載あり)であり、『神社明細帳』には大正2年に井椋大神など9社を合祀、更に大正4年(1915年)に熊野大神を合祀したと記録されているらしい*18。
御祭神も大日孁貴命以外に、猿田彦命・応神天皇・磐裂神・素戔嗚尊・天手長雄命・櫛名毘売命・八柱御子神・表筒男命・中筒男命・底筒男命・神功皇后・伊弉冉尊・速玉男命・事解男命を祀るとある(櫛名毘売命は「くしなだびめのみこと」とルビが振られているが、もしかすると「櫛名田比売命」の誤記かもしれない)*19。
藤原秀郷霊神(秀郷霊社)
椋神社社殿正面の階段脇には、藤原秀郷霊神(秀郷霊社)が鎮座している。
御祭神はその名の通り藤原秀郷を祀る。
左側に石祠、右側に石碑が並んでいるが、この2つをして1つの社の扱いのようだ。
創建年や御神徳は不明。
稲荷神社・菅原神社・白鳥神社
椋神社社殿に向かって左側には、稲荷神社・菅原神社・白鳥神社の3社が覆屋の中に鎮座している。
稲荷神社
覆屋内左側は稲荷神社だ。
御祭神は宇迦之御魂神を祀る。
御神徳は商売繁昌、家内安全、交通安全、学業成就、子孫繁栄、芸能上達、火難・諸難除け、五穀豊穣とのこと。
なお報告書によれば、旧称は稲荷社であり、『神社明細帳』には大正2年に諏訪大神境内の稲荷大神を合祀したと記録されているらしい*22。
七社(空殿)
椋神社社殿の真後ろには7つの社が1つ屋根の下に纏まっている社殿がある。
報告書によれば、ここは七社で空殿となっているらしい(但し報告書は平成28年のものなので、その後も空殿なのかについては不明)*28。
稲荷社
七社の右側には社殿が1つ鎮座している。
これは報告書によれば稲荷社であるらしい*29。
夫婦クヌギ両神神社(両神神社遥拝所・両神神社里宮)
駐車場の隅の方には夫婦クヌギと呼ばれる御神木が生えており、その間には両神山の方角に向かって夫婦クヌギ両神神社が鎮座している。
ここは両神神社の遥拝所かつ里宮という性格の社であるらしい。
御祭神は伊弉諾尊と伊弉冉尊を祀る。
なお、椋神社では両神神社の御朱印を頂くことができる*30。
脚注
*2:椋神社々務所『延喜式内 椋神社由緒記』(椋神社々務所、2018年頃?)2頁 ※社務所で頂ける由緒書
*3:同書、2頁
*4:秩父市教育委員会『椋神社の龍勢総合調査報告書』(秩父市教育委員会、2016年)164頁
*5:式内社研究会『式内社調査報告 第11巻 東海道6』(皇学館大学出版部、1976年)307〜308頁
*6:同書、307〜310頁
*8:椋神社々務所、前掲書、2頁
*11:椋神社々務所、前掲書、2頁
*13:椋神社々務所、前掲書、3頁
*14:椋神社々務所、前掲書、2頁
*17:同書、172頁
*18:同書、171頁
*19:同書、171頁
*20:同書、171頁
*21:同書、171頁
*22:同書、173頁
*23:同書、173頁
*24:同書、173頁
*25:同書、173頁
*27:同上
*28:同書、172頁
*29:同上
*31:埼玉県観光協会『神社詣で 埼玉県観光叢書 第1輯』(埼玉県観光協会、1938年)75〜76頁(国会図書館デジタルコレクションでは50〜51コマ)
*32:同上
*33:椋神社々務所、前掲書、4頁