燈蓮寺伽藍堂 -RISING FALCON-

神社やら、旅行やら、過去の事やら。

サッポロスプリングス資料 その3:その他諸々

サッポロスプリングス資料記事
その0:サッポロスプリングス、その後
その1:サッポロファクトリー オフィシャルガイドブック SAPPORO FACTORY MOOK
その2:デザインの現場 1993年 4月号増刊
その3:その他諸々
その4:追加分

はじめに

前々回前回に続き、サッポロスプリングス(以下、SS)が載っている資料の話です。
今回は様々な書籍(主には旅行ガイドブック)の中のについてです。

マップルマガジン 86 家族でおでかけ 札幌圏 1994~95年版


出版社: 株式会社昭文社
発行日: 1994年7月15日

掲載頁:P.6

まず紹介するのは昭文社から出た『家族でおでかけ 札幌圏 1994~95年版』です。
公式のHPを見る限り、現在北海道エリアでは発行されていないようですね。

6頁 

さて、この本は1994年発行ということで、冒頭では「話題沸騰 北の国の注目!! スポット」との見出しでサッポロファクトリーの大特集が組まれています。
6頁にSSの記事が載っていますが、掲載されている写真は大プールと露天国の2枚です。
この写真は第1回目の記事でも書いた『SAPPORO FACTORY MOOK』に載っているものと同じですね。

その他

この本はSSについて以外の部分についても中々面白いです。
例えばサッポロファクトリー特集の中でも「天体工場」*1や「クリスマススクエア」*2の記事では『SAPPORO FACTORY MOOK』にも載っていない写真なんかも掲載されています。

また別の特集記事では「ニュースポット大特集」として1994年オープンのレジャースポットが取り上げられています。
掲載されているのは厚岸町の「コンキリエ」、江別市の「セラミックアートセンター」、千歳市の「サケのふるさと館」(現・千歳水族館)です。

後は、今は亡き「ファンタジードーム」*3や「石炭の歴史村」*4なども載っていて懐かしい限りです。

作品選集1994-1995 建築雑誌増刊 第110集 第1369号


出版社: 社団法人日本建築学
発行日: 1995年3月15日

掲載頁:P.47

次は日本建築学会が発行した『作品選集1994-1995 建築雑誌増刊 第110集 第1369号』です。
『作品選集』は毎年発行される雑誌で、選考を経て取り上げられた高水準な建築作品が多数掲載されています。

47頁

SSの写真は47頁のサッポロファクトリーの紹介の中にあります。
「奥の郷」*5の辺りから「クアミッド」*6越しに大プール方面を写した写真です。
「クアミッド」のピラミッド部分の作りがよく見える貴重な写真だと思います。

JTBドライブガイド 1 北海道


出版社: JTB 日本交通社出版事業局
発行日: 1995年1月1日

掲載頁:P.63

JTBから出版された北海道の観光ガイドです。

63頁

SSの写真は63頁のサッポロファクトリーの記事中にあります。
「露天国」の写真が載っていますが、『SAPPORO FACTORY MOOK』のものと同一です。

マップルガイド 2 札幌 小樽・函館

掲載頁:P.34

次は昭文社から出版された『マップルガイド 2 札幌 小樽・函館』です。

34頁

サイズは大変小さいですが、大プールと「ラウンジTOMPA」の写真が載っています。
どちらも撮り下ろしの写真でしょうか。
「ラウンジTOMPA」の写真は中々レアですね。

るるぶ情報版 2 '96~'97るるぶ 札幌小樽

掲載頁:P.1、20

続いてJTBから出た『'96~'97るるぶ 札幌小樽』です。

1頁

まず表紙をめくるとサッポロファクトリーの広告が載っています。
掲載の大プールの写真は『SAPPORO FACTORY MOOK』と同じ。
それよりも注目なのはこの本が出版された1996年6月時点で「ミニワールドミュージアム*7がオープンしている所でしょうか。

20頁

こちらのSSの写真も1頁と同じものです。

るるぶっく 札幌で遊ぼ♪

掲載頁:P.11

これもJTBから出た、『るるぶっく 札幌で遊ぼ♪』。

11頁

この本、何とSSの写真が4枚も掲載されています(サイズは小さいですが)。
しかも大プールの写真2枚と「奥の郷」の写真が2枚。
「カゲユ」*8の入浴中の写真なんてこれ以外で見かけたことがないです。激レア。

マップルマガジン K1 家族でおでかけ 北海道 '98-'99


出版社: 株式会社昭文社
発行日: 1998年6月15日

掲載頁:P.75

一番最初に紹介した『家族でおでかけ』の1998年度版です。

75頁

SSの写真は3枚掲載されています。
「露天国」の写真のみ『SAPPORO FACTORY MOOK』と同一のものですが、大プールと「ラウンジTEO」の写真は恐らく撮り下ろし。
大プールの写真はよくある「クアミッド」側から撮ったものではなく、キッズプール側の高い所(管理用のキャットウォーク的な場所か?)から撮影されたものです。
あと「ラウンジTEO」については、僕の記憶からも抜け落ちていたので写真があるのが驚きでした。

旅・王・国 2 札幌・小樽 登別

掲載頁:P.64

最後は昭文社より出版された『旅・王・国 2 札幌・小樽 登別』。
上のリンクにあるamazonでは1997年1月に出た(恐らく)2版1刷が販売されているようですが、僕の手元にあるのは1998年7月に出た2版12刷です。

75頁

残念ながら、この本にはSSの写真は掲載されておらず記述のみ。
1998年頃になると、営業時間は平日が13~24時、土日祝日が10~24時に変わっていたようです。*9

余談

この本で一番興味深いのは、SSが載っている頁の隣り(76頁)に載っている「札幌テルメ」の所に「休業中」と書かれていることでしょうか。
何故休業中の施設が掲載を?と思いましたが、この本の2版1刷が出たのが1997年1月。
1997年といえば北海道拓殖銀行が破綻した年です。
札幌テルメは運営会社が拓銀破綻の煽りを受けて潰れたことで、施設が閉鎖されています。
恐らくこの本が最初に出た時はまだ営業していたが、後に閉鎖になったために後の刷で「休業中」と書き加えられたのではないでしょうか。
ところで僕は閉鎖になった後のテルメがどんな状態だったのか気になって見に行ったことがありますが、窓ガラスは割れていて外見からしてまさに廃墟と化しており、大変ショックだったのを覚えています(後にガトーキングダムとして復活した際にはとても嬉しかったですね)。

終わりに

さて、今回は様々な書籍の中のSSについて紹介しました。
もしまた何かしらのSSについての記述を発見したら、追記したいと思います。
今回は以上。

脚注

*1:レンガ館2階と三条館2階を結ぶ連絡通路の途中の旧機械室及び旧麦芽倉庫跡に、星を造り出す工場をコンセプトとした大変に幻想的な施設があった。現在の「ソプラティコ ファンタジースクエア」の位置。

*2:レンガ館2階にあった、年中クリスマス商品を売っていたお店。現在の「小さな結婚式 札幌店」の位置。

*3:苫小牧駅前にあった屋内遊園地。現在、建物はMEGAドンキホーテとなっている。

*4:「バリバリ夕張♪」のCMソングでお馴染みの、夕張にあった遊園地。現在は石炭博物館のみ営業中。

*5:SSの一番奥の温泉エリア。詳しくは第1回目の記事を参照。

*6:ピラミッド型のジェットバス。詳細は同上。

*7:レンガ館(確か天体工場の跡地)にあった、世界14ヶ国の景色をミニチュアで再現した施設。

*8:「奥の郷」にあったこじんまりとした浴槽。衝立付きで、寛いで入浴することが出来た。

*9:オープン当初は、1~6月・9~12月の平日:11~24時/土日祝日・夏休み:10~24時、7~8月の平日:11~26時/土日祝日・夏休み:10~26時だった。

樽前山神社(字樽前)について

道内巡り記事一覧
社寺祠堂巡り記事一覧
 
 

字樽前にある樽前山神社へ!

鳥居
社殿
今回も苫小牧の神社巡りです。
場所は字樽前、樽前小学校の隣りにある樽前山神社です。
樽前山神社」という名前の神社はここと、前回の記事で書いた錦岡樽前山神社と、高丘地区にある苫小牧総鎮守の樽前山神社(及び樽前山山頂の奥宮)があります。
 
この神社は元々は樽前権現社として錦岡樽前山神社と由来を同じくする神社だったようなのですが、詳細はよく分かりません。
1904年に樽前に遥拝所として建立され、その後に独立したようです。
苫小牧市史 下巻』(編・苫小牧市、1976年)の1746頁によると独立は1918年とのこと。
 
御祭神については『機関誌 苫小牧市史編さん No.9』(編・苫小牧市市史編さん室、1975年)の古老のインタビュー(41~42頁)や、『苫小牧市史 下巻』の818頁に従えば、以下の通りであるとのことです。
 
【1918年改築時の御祭神】
手置帆負命*1
・草野姫大神*2
・屋船久々能知大神*3
豊受姫大神
・彦佐知命*4
 
【1965年改築時の御祭神】
高天原爾千木高知
・高皇産霊大神
・天御中主大神
・神皇産霊大神
・津岩根爾宮原大知立
 
前者の御祭神は1918年の改築時に白老八幡神社宮司が書いてくれたそうです。
草野姫大神以外の4柱は上棟式の時に祀られる神々ですね。
(根拠は無く推測でしかないんですけど、1918年に白老八幡神社宮司さんが書いた御祭神って、ただ単に改築の際の上棟式の御祭神を書いただけってことはないです……?)
 
後者の御祭神は1965年の移転改築時の御祭神らしいのですが、出典は不明。
というかこれ、本当に1965年時点でこの御祭神に変更になってるんでしょうかね?
高天原爾千木高知」とか「津岩根爾宮原大知立」とか御神名ぽっくない気がしますが……。
まあ、詳しいことはよく分からないんですが。
因みに高皇産霊大神、天御中主大神、神皇産霊大神は天地開闢の後に最初に現れた神で、造化三神と称されています。
 
手水鉢
手水鉢は岩の上に載っており、水は張っていませんでした。
 

樽前山神社】
住 所:北海道苫小牧市字樽前
御祭神:手置帆負命、草野姫大神、屋船久々能知大神、豊受姫大神、彦佐知命
    または
    高天原爾千木高知、高皇産霊大神、天御中主大神、神皇産霊大神、津岩根爾宮原大知立
末社等:無し
創 建:1904年
H P:無し
 

 
 
今回は以上。
 

脚注

*1:紀国忌部氏の祖。国土平定時に作笠者の役目を負った神。

*2:伊弉諾尊伊弉冉尊の子。野の神。

*3:伊弉諾尊伊弉冉尊の子。木の神。

*4:国土平定時に作盾者の役目を負った神。

錦岡樽前山神社と馬櫪神碑

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苫小牧へ

新千歳空港でおなじみの千歳市の隣の太平洋側に苫小牧市という都市があります。
近年だと『僕だけがいない街』の聖地としても有名でしょうか。
そんな苫小牧に先日行く機会があり、折角なので神社巡りをして来ました。
今回はその中でも、錦岡樽前山神社と馬櫪神碑について書いていきます。
 

錦岡樽前山神社

社殿

鳥居
社殿
錦岡樽前山神社は錦岡駅のすぐ近く、住宅地の真ん中に広い敷地を有しています。
この神社では、円空*1作の樽前権現像*2を御霊代に樽前大権現を祀っているようです。
元々は樽前権現社として、字樽前の樽前山神社と由来を同じくする神社だったようです。
その権現像を祀る社殿が錦岡に遷ったのは1921年とのこと。
現在は正月と例大祭の時だけ公開されているので、私は今回見ることが出来ませんでした。残念。
(参考:市指定有形文化財 錦岡樽前山神社 円空作樽前権現像および奉納品7点(苫小牧市)
 
 
【2019年02月12日 追記】
どこかで『函館市史』に樽前権現社が収録されているというのを見かけたので、図書館に行って調べて来ました。
函館市史 史料編 第二巻』には、菊池重賢の道内の神社に対する大調査の報告書である『壬申八月巡回御用神社取調 第二巻』という函館八幡宮所蔵の文書が収録されています。
「膽振國勇拂郡」の項目の中に「樽前神社」の名称で樽前権現社についての記述があります。
 
それによれば、

○樽前神社 木像 仏躰 改祭
 
観音裏ニたろまゑのたけトアリ年号訳兼。
 
祭神瀬織津姫ト申伝有之候由ノ処、従前当社ハ樽前山神ヲ祭ル趣、瀬織津姫ハ海神祓戸神ニテ山海ノ相違、改祭ノ上ハ祭神判然取調可伺事。

 
※出典:『函館市史 史料編 第二巻』610頁(編集・発行:函館市、1975年)

とあり、元々の御祭神が瀬織津姫*3であったことが分かります。
しかし、「樽前山の山神を祀っているはずなのに瀬織津姫という海神を祀っているのはおかしいので、御祭神を変えろ」との指摘が行われています。
 
これは『機関誌 苫小牧市史編さん No.9』(苫小牧市立中央図書館所蔵)の古老のインタビューの中で

あれは、確かに漁師の護り神様だつたらしいんだね。

※出典:『機関誌 苫小牧市史編さん No.9』41頁(編集・発行:苫小牧市・市史編さん室、1975年)

あれは確かに漁師の神様なんだ。

※出典:同上、42頁

と言われていることにも関連しているかと思われます。
なお、瀬織津姫命がその後どうなったのかは不明です。

 
 
【2019年02月14日 追記】
小牧町大字錦多峰村が1924年*4に発行した『郷𡈽史』(苫小牧市立中央図書館所蔵)の中に、

◎樽前神社  祭神 天照大神 豊受姫神 事代主神

※出典:『郷𡈽史』(編:苫小牧町大字錦多峰村、1924年

とありました。
錦多峰(にしたっぷ)とは錦岡地区の旧称です。
ということは、錦岡の樽前山神社の御祭神が天照大神豊受姫神、事代主神の3柱とされていたこともあったのでしょうか?
これについては他に情報が無かったので、今の所何もかも分かりません。

 
 

地神碑、忠魂碑、錦多峰戦没者の碑

石碑
境内には石碑が3つ並んで置かれています。
向かって左から順に地神碑、忠魂碑、錦多峰戦没者の碑です。
 

地神碑


地神碑
この地神碑は1934年に建立。
地神碑には正面から時計回りに以下の5柱の神々の名前が刻まれています。
・天照皇大神
・少彦命*5
埴山姫命
・倉稲命*6
大己貴命
 

忠魂碑

こちらは1906年建立の忠魂碑です。
1906年ということは、この地区出身の日露戦争戦没者を祀ったものでしょうか。
台座の真正面に6柱の御名が刻まれています。
 
 
【2019年01月30日 追記】
髙橋稔という方が書いた『とまこまいの石碑』(苫小牧市立中央図書館所蔵)という本の209~210頁にこの碑についての説明が書いてありました。
それによると、やはりこの碑は日露戦争における錦多峰地区の戦没者6柱を祀ったものだそうです。

 

錦多峰戦没者の碑

この慰霊碑は比較的新しい1993年に建立されたもので、太平洋戦争で亡くなられた28柱の方々が祀られています(空襲の犠牲者も含まれているそうです)。
(参考:苫小牧空襲の痕跡(Webみんぽう)
碑の表面に28柱の御名があります。
 

その他

謎の賽銭凾
忠魂碑などの後方に謎の建物があります。
注連縄と鈴があり、その下に木の柵で覆われた箱があるだけです。
近付いて見てみると柵の中には御賽銭箱(箱正面には「賽銭凾」と書かれています)。
一体この建物は何なんでしょうか???
 

【錦岡樽前山神社】
住 所:北海道苫小牧市宮前町3-6-20
御祭神:樽前大権現
    または
    瀬織津姫命?*7
    または
    天照大神?、豊受姫神?、事代主神*8
末社等:地神碑(御祭神:天照皇大神、少彦命、埴山姫命、倉稲命、大己貴命
    忠魂碑(御祭神:日露戦争での錦多峰地区の戦没者6柱)
    錦多峰戦没者の碑(御祭神:太平洋戦争での錦多峰地区の戦没者28柱)
創 建:1805年
H P:無し
 

 

馬櫪神碑

馬櫪神碑
錦岡樽前山神社を参拝した後は、近くの錦岡総合福祉会館の駐車場の一角に祀られている馬櫪神碑へ。
この碑は、現在の錦岡地区の辺りで牧場主が1928年に建立したもので、馬の守護神である馬櫪神が祀られています。
現在地には1988年に遷されたようです。
(参考:馬櫪神碑、再来年で90年 馬産地の歴史継承(Webみんぽう)
台座に駆け抜ける馬の姿が彫られており美しいです。
この馬櫪神碑は知っている人も中々多くないかもしれないですね。
僕自身、苫小牧民報の記事を見るまで知りませんでした。
 

【馬櫪神碑】
住 所:北海道苫小牧市青雲町2-12−20 錦岡総合福祉会館駐車場内
御祭神:馬櫪神
末社等:無し
創 建:1928年
H P:無し
 

 
 
今回の更新は以上です。
 

脚注

*1:江戸時代の僧。生涯で12万体の仏像を作ったとされる。

*2:背面には「たろまゑ乃たけ」と刻まれているとのこと。

*3:祓戸大神の一柱。

*4:冒頭文に「二五八四.九調製」とあり、皇紀2584年=西暦1924年発行と思われます。

*5:少彦名命

*6:倉稲魂命

*7:『壬申八月巡回御用神社取調 第二巻』による。

*8:『郷𡈽史』による。