はじめに
前回の記事で書いた北島国造館前の社家通りを東へ100mほど進む。
すると左側に境内への入口が見えるので、そこから参道へ。
参道を行くと、社殿が見えてくる。
神魂伊能知奴志神社(命主社)
神魂伊能知奴志神社社殿
神魂伊能知奴志神社(かみむすびいのちぬしのかみのやしろ、現地の由緒書の掲示では「かみむすびいのちぬしのやしろ」)は通称を命主社(いのちのぬしのやしろ)といい、出雲大社の摂社となっている。
延喜式内社で、御祭神はその名の通り神皇産霊神(かみむすびのかみ)を祀る。
神皇産霊神は天地開闢の際に現れた造化三神の1柱であり、大国主大神が八十神の謀略で命を落とした際には蚶貝比売命・蛤貝比売命を派遣して蘇生させた神だ。
創建年代は不明だが、『出雲国風土記』に記載がある御魂社がこの命主社のことであるとされており、これが正しいとすると天平5年(733年)には存在していたことになる*1*2。
また、現在の社殿は延享元年(1744年)の御造営の頃に建替えられたものであるらしい*3*4。
境内には立派な椋の木が生えている。
これは高さ17m、根の周囲が12mもある巨木で、島根県の名樹にも指定されている。
真名井遺跡
命主社の後方には真名井遺跡という遺跡がある。
これは寛文7年(1667年)の御造営に先立ってこの場所で石切を行ったところ、銅戈と勾玉が出土したために遺跡であることが判明したらしい*5。
なお、この銅戈・勾玉がかつては命主社の御神体であったと考える説もあるようだ*6。
なおこの真名井遺跡の辺りには、松と樅の木を御神体として「奥の荒神」と「森の荒神」の2柱の真名井荒神が祀られている*7。
「奥の荒神」は移転前の北島国造館の敷地(出雲大社後方の八雲山の麓)に祀られていた神、「森の荒神」は現在の北島国造館の敷地に祀られていた神で、共に寛文の御造営の後に命主社の後方に遷されたとのこと*8。
現在では石祠らしきものも設置されているが、この真名井荒神を祀る祠ということかもしれない(石祠の由緒書等がある訳ではないので詳細は不明)。
【神魂伊能知奴志神社(命主社)】
住 所:島根県出雲市大社町杵築東194
御祭神:神皇産霊神
社祠等:真名井荒神
創 建:733年以前
H P:出雲大社HP「摂末社」