燈蓮寺伽藍堂 -RISING FALCON-

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岐神を祀る出雲大社境外摂社・出雲井社(出雲路社)

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はじめに


前回の記事で書いた乙見社から北東に300〜400mほどの所に、出雲大社境外摂社の出雲井社(いずもいのやしろ)が鎮座している。

出雲井社(出雲路社)



出雲井社は別名を出雲路社(いずもぢのやしろ)という。
現在の社殿は延享元年(1744年)の御遷宮で建てられたものだ*1*2
なお創建年は不明。

御祭神は岐神(くなどのかみ)を祀る。
岐神は塞の神・道路の神(道祖神)とされる*3
日本書紀』神代上第5段一書第6では岐神(ふなとのかみ)の名で登場し、伊弉諾尊が黄泉比良坂にて伊弉冉尊への進入禁止の境界として投げた杖から生まれたとされる*4
同第5段一書第9では岐神/来名戸之祖神(くなとのさえのかみ)の名で登場し、伊弉諾尊伊弉冉尊の殯斂(遺体安置)の場所で雷に追われ撃退した際に、雷への進入禁止の境界として投げた杖から生まれたとされる*5
同第9段一書第2では岐神として登場し、葦原中国平定の際に大己貴命大国主大神)が推薦する代理とされ、経津主神の平定を先導したとされる*6
古事記』では衝立船戸神(つきたつふなどのかみ)の名で登場し、黄泉国から戻った伊邪那岐命伊弉諾尊)が禊をした際に投げ捨てた杖から生まれたという*7
『旧事紀』では岐神(ふなどのかみ)/来名戸神(くなどのかみ)又は衝立船戸神(つきたてふなどのかみ)の名で登場し、伊弉諾尊が黄泉比良坂にて伊弉冉尊への進入禁止の境界として投げた杖から岐神が生まれたとも、黄泉国から戻った伊弉諾尊が禊をした際に投げ捨てた杖から生まれたともいう*8
延喜式』の「道饗祭祝詞」では久那斗(くなど)の名で登場し、道饗祭(6月と12月に行われる、都に魑魅魍魎が侵入しないようにする祭祀)の際に八衢比古・八衢比売と共に祀られるとされる*9

【出雲井社(出雲路社)】
住 所:島根県出雲市大社町修理免1325横
御祭神:岐神
社祠等:無し
創 建:1744年以前
H P:出雲大社HP「摂末社」

脚注

*1:出雲大社社務所出雲大社由緒略記』[改訂41版](出雲大社社務所、2003年)77頁

*2:出雲大社HP「御遷宮の歴史」参照。

*3:コトバンク岐の神」参照。

*4:坂本太郎家永三郎井上光貞大野晋校注『日本書紀(一)』(岩波文庫、1994年)46頁

*5:同書、54頁

*6:同書、138頁

*7:倉野憲司校注『古事記』[改版](岩波文庫、2007年)31頁

*8:溝口駒造訓註『旧事紀』(改造文庫、1943年)29〜31頁

*9:千田憲編『祝詞・寿詞』(岩波文庫、1935年)41頁