はじめに
今回は前回の記事の続きで、日御碕神社の境内摂末社について書いていく。
前回同様日御碕神社のマップは、由緒書の掲示に載っていた上掲のものが分かりやすかった。
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日御碕神社境内社
門客神社
日沉宮へ向かう参道の楼門を越えた先の左右に門客神社が鎮座している(写真を撮り忘れたので画像は無い)。
御祭神はそれぞれ櫛磐間戸神と豊磐間戸神を祀っている。
『古事記』では邇邇芸命(瓊瓊杵命)の天孫降臨に付き従った門の守護神である天石門別神(あめのいわとわけのかみ)の別名として櫛石窓神と豊石窓神の名が記されている*1。
『古語拾遺』では2柱は別の神であり、また共に太玉命の子神であり、磐戸開き後に天照大神が遷った神殿の門を守護した神とされる*2。
『延喜式』の「祈年祭祝詞」では別の神としてそれぞれ櫛磐間門命・豊磐間門命の名で登場し、四方の門を守護し、朝夕に門の開閉を行うとされている*3。
『延喜式』の「御門祭祝詞」でも別々の神としてそれぞれ櫛磐牖命・豊磐牖命の名で登場し、四方の門を守護し、天能麻我都比(あめのまがつひ、黄泉国から戻った伊邪那岐命が禊をした際に生まれたという八十禍津日神と大禍津日神のことか)に従う事なく、朝夕に門の開閉を行う神だとされている*4。
蛭児神社
日沉宮に向かって右側には蛭児神社が鎮座している。
御祭神は蛭児命を祀る。
蛭子命は伊奘諾尊と伊奘冉尊の子神であり、後に恵比寿神と同一されて福の神・豊漁の神として篤く信仰されている。
『日本書紀』神代上第4段一書第1と『古事記』では、初子の神だが不具のため葦船で流されたとされる*5*6。
同第4段一書第10では、淡路洲の次に生まれた神であるとされる*7。
同第5段本文では、大日孁貴(天照大神)、月の神(月読命)の次で素戔嗚尊の前に生まれたが、3歳になっても脚が立たなかったため、天磐櫲樟船(あまのいわくすぶね)で流されたとされる*8。
同第5段一書第2によれば日神・月神の次かつ素戔嗚尊の前に生まれたが、鳥磐櫲樟船(とりのいわくすぶね)で流されたとされる*9。
『旧事紀』では、初子の神ながら葦船で流されたとも、大日孁貴・月読命・素戔嗚尊の次に生まれたが3歳になっても脚が立たなかったため鳥磐櫲樟船で流されたともされている*10。
韓國神社
蛭児神社後方に韓國神社が鎮座している。
読みは「からくにじんじゃ」と思われる。
「韓國」の名は、後述の通り御祭神が新羅に渡ったという伝承に因んだものだろう。
元々は、大社町の字秘台原(出雲日御碕灯台の辺り)に鎮座していたらしい*11。
韓國神社の御祭神は素戔嗚尊と五十猛尊(いそたけるのみこと)を祀る。
五十猛尊は素戔嗚尊の子で、素戔嗚尊と共に新羅に渡ったとされる神だ(詳細は出雲大社神楽殿の記事の天夷鳥命社・荒神社の項目を参照)。
十九社
境内北側、宝庫の手前には十九社が鎮座する。
ここには多数の摂末社が1つ屋根の下に祀られている。
右から日和碕神社、秘臺神社、曾能若媛神社、大山祇神社、意保美神社、波知神社、大土神社、立花神社、中津神社、宇賀神社、窟神社、眞野神社、大野神社、問神社、加賀神社、坂戸神社、若宮、大歳神社、八幡神社となっている。
なお、向かって一番右側の扉だけは何故か扁額が掛かっていない。
不思議に思い社務所で尋ねたところ、かつては韓國神社がそこに祀られていたが、独立した社になったため空いていると教えて下さった。
日和碕神社は大市姫命を祀る。
大市姫命は大山祇命の子神であり、後に素戔嗚尊の妻となり大年神と倉稲魂命を生んだ*12 *13。
『出雲日御碕案内』収録の鳥瞰図を見る限り日御碕神社境外の御旅所の辺りの地名が日和崎なので、元々はそこに祀られていたものかもしれない*14。
秘臺神社は日神荒魂を祀る。
日神荒魂は詳細不明だが、天照大御神の荒魂の意味だろうか。
「秘臺」(秘台)の名の通り、元々は韓國神社同様に大社町の字秘台原(出雲日御碕灯台の辺り)に鎮座していたらしい*15。
曾能若媛神社は曾能若媛命を祀る。
曾能若媛命については調べてもよく分からず、詳細不明だ。
大山祇神社は大山祇命と磐長姫命を祀る。
大山祇命は軻遇突智を3段に斬った際にその第1段目から生まれたとも、神生みの際に伊奘諾尊と伊奘冉尊の子神として生まれたともされる神で、山の神だ*16*17*18。
磐長姫命は大山祇命の子神で、木花開耶姫命の姉に当たり、長寿を司るとされる*19*20*21。
意保美神社は意㳽豆努命を祀る。
『古事記』には淤美豆奴神として登場し、深淵之水夜礼花神と天之都度閇知泥神の子神であり、天之冬衣神(天葺根命、日御碕神社社家小野氏の祖神)の父神であるとされる*22。
『出雲国風土記』では八束水臣津野命や意美豆努命として登場し、国引きを行った神として何度もその名が挙げられている*23。
波知神社は須世理姫命を祀る。
須世理姫命は『古事記』『旧事紀』『出雲国風土記』に見える神で、須佐之男命(素戔嗚尊)の子神であり、根の国へ逃げて来た大穴牟遅神の妻となった神だ*24*25*26。
大土神社は大土神を祀る。
大土神は大歳神と天知迦流美豆比売の子神で、別名を土之御祖神という神だ*27*28。
中津神社は磐土命・赤土命・底土命を祀る。
この3柱は『日本書紀』神代上第5段一書第10と『旧事紀』に登場する神々で、黄泉国から戻った伊弉諾尊が禊した際に生まれたとされる*29*30。
宇賀神社は倉稲魂命を祀る。
窟神社は稚日女命を祀る。
稚日女命は『日本書紀』神代上第7段一書第1と『旧事紀』に登場する神で、斎服殿で機織りをしていた所に素戔嗚尊が高天原にいた馬の斑駒の皮を剥いで投げ込んだため、驚いて機織機から転落・負傷して死亡し、天照大神の磐戸隠れの原因となった*31*32。
また、『旧事紀』は稚日女尊(稚日女命)を天照大神の妹と伝えている*33。
眞野神社は近江國諸神を祀る。
大野神社は出雲國諸神を祀る。
問神社は稲田姫命・足摩乳命・手摩乳命を祀る。
稲田姫命は八岐大蛇の生贄となる所を素戔嗚尊に助けられ妻となった神で、足摩乳命・手摩乳命は稲田姫命の両親だ*34*35*36。
加賀神社は天照大御神を祀る。
坂戸神社は道返大神(みちがえしのおおかみ)を祀る。
道返大神は、黄泉国の黄泉比良坂において伊弉諾尊が伊奘冉尊に追い付かれないように道を塞ぐのに使った大岩の神名であり、別名を泉門塞之大神(よみどにふたがりますおおかみ)や塞坐黄泉戸大神(さやりますよみどのおおかみ)という*37*38*39。
若宮は手力雄命・兒屋命・大玉命を祀る。
手力雄命は天照大神の磐戸隠れの際に、少し開いた磐戸の隙間から天照大神の手を引いて連れ出した神とも、磐戸を引き開けた神ともされる*40*41*42*43。
兒屋命は神産霊神の子神にして中臣氏・藤原氏の祖神であり、磐戸隠れの際には儀式の準備や天照大神が出た後の磐戸に注連縄をし(或いは祝詞を奏上し)、後に瓊瓊杵命(『旧事紀』では饒速日尊)の天孫降臨に付き従った神だ*44*45*46*47。
大玉命も神産霊神の子神にして斎部氏の祖神であり、磐戸隠れの際には兒屋命と共に尽力し、後に瓊瓊杵命の天孫降臨(『旧事紀』では饒速日尊)に付き従った神だ*48*49*50*51。
大歳神社は大歳神・奥津彦命・奥津姫命を祀る。
大歳神は『古事記』や『旧事紀』などに見える神で、速須佐之男命(素戔嗚尊)と神大市比売の子神であり、御年神・大山咋神・大土神などの父神だ*52*53。
奥津彦命と奥津姫命は『古事記』や『旧事紀』に見える神で、大歳神と天知迦流美豆比売の子神であり、竃神であるとされる(なお、奥津姫命は大戸比売神という別名もあるようだ)*54*55。
荒魂神社
十九社の横の宝庫の裏手には、荒魂神社が鎮座している。
御祭神は速荒雄命とあるが、恐らく「はやすさのおのみこと」と読んで速須佐之男命(素戔嗚尊)のことを示しているのだろう。
創建年や詳しい由緒等は不明。
御井神社
荒祭宮の右手には、御井神社が鎮座している。
御祭神は天村雲命を祀る。
天村雲命は『旧事紀』に登場する神で、饒速日尊(天照大御神の孫で瓊瓊杵命の兄、物部氏の祖神)が天孫降臨する際に付き従った32柱の神々の内の1柱であり、伊勢神宮神官の度会氏の祖神とされる*56。
また『海部氏勘注系図』によれば、天村雲命は天火明命の孫で天香語山命(天香山命)の子に当たるという*57。
更に『大同本紀』によれば、瓊瓊杵命の天孫降臨に付き従った際に、降臨先の水が未熟で荒かったため天村雲命が高天原まで水を取りに戻ったという*58。
脚注
*1:倉野憲司校注『古事記』[改版](岩波文庫、2007年)74頁
*2:斎部広成撰・西宮一民校注『古語拾遺』(岩波文庫、1985年)22頁
*3:千田憲編『祝詞・寿詞』(岩波文庫、1935年)11〜12頁
*4:同書、33頁
*5:坂本太郎・家永三郎・井上光貞・大野晋校注『日本書紀(一)』(岩波文庫、1994年)28頁
*6:倉野、前掲書、22頁
*7:坂本・家永・井上・大野、前掲書、32頁
*8:同書、34頁
*9:同書、38頁
*10:溝口駒造訓註『旧事紀』(改造文庫、1943年)20頁
*11:大社町史編集委員会編『大社町史 下巻』(大社町、1995年)431頁
*12:倉野、前掲書、46頁
*13:溝口、前掲書、78頁
*14:出雲市日本遺産推進協議会『出雲日御碕案内 限定復刻版』(出雲市日本遺産推進協議会、2018年)表面
*16:坂本・家永・井上・大野、前掲書、50頁
*17:倉野、前掲書、25頁
*18:溝口、前掲書、23頁
*19:坂本・家永・井上・大野、前掲書、144, 156頁
*20:倉野、前掲書、77頁
*21:溝口、前掲書、23頁
*22:倉野、前掲書、46頁
*23:武田祐吉編『風土記』(岩波文庫、1937年)84〜85, 131頁ほか
*24:倉野、前掲書、50〜53頁
*25:溝口、前掲書、84〜85頁
*26:武田、前掲書、145頁
*27:倉野、前掲書、61頁
*28:溝口、前掲書、91〜92頁
*29:坂本・家永・井上・大野、前掲書、56頁
*30:溝口、前掲書、31頁
*31:坂本・家永・井上・大野、前掲書、78頁
*32:溝口、前掲書、44頁
*33:同書、44頁
*34:坂本・家永・井上・大野、前掲書、90〜94頁
*35:倉野、前掲書、43〜46頁
*36:溝口、前掲書、75〜77頁
*37:坂本・家永・井上・大野、前掲書、42〜44頁
*38:倉野、前掲書、30頁
*39:溝口、前掲書、29〜30頁
*40:坂本・家永・井上・大野、前掲書、78, 84頁
*41:倉野、前掲書、40〜41頁
*42:溝口、前掲書、47頁
*43:斎部・西宮、前掲書、21〜22頁
*44:坂本・家永・井上・大野、前掲書、76〜78, 82〜86, 132, 140〜142頁
*45:倉野、前掲書、40〜41, 74頁
*46:溝口、前掲書、46〜47, 54頁
*47:斎部・西宮、前掲書、15, 20〜21頁
*48:坂本・家永・井上・大野、前掲書、76〜80, 84, 132, 140〜142頁
*49:倉野、前掲書、40〜41, 74頁
*50:溝口、前掲書、46〜47, 54頁
*51:斎部・西宮、前掲書、15, 20〜21頁
*52:倉野、前掲書、46, 61〜62頁
*53:溝口、前掲書、78, 91〜92頁
*54:倉野、前掲書、61頁
*55:溝口、前掲書、92頁
*56:溝口、前掲書、54, 頁
*57:神道大系編纂会編『神道大系 古典編 13』(神道大系編纂会、1992年)30〜31頁(国会図書館デジタルコレクションでは49コマ)
*58:栗田寛『大同本紀逸文』(栗田寛、1860年)11〜12頁(国書データベースでは8コマ)
*59:坂本・家永・井上・大野、前掲書、64, 68, 70〜72頁
*60:倉野、前掲書、36〜37頁
*61:溝口、前掲書、41頁