燈蓮寺伽藍堂 -RISING FALCON-

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鳩森八幡神社に富士山を見た

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東京旅行記
その1:日本橋、情け有馬の水天宮
その2:鳩森八幡神社に富士山を見た
その3:東郷神社は原宿のど真ん中に
その4:八大龍王社と八大龍王社元宮
その5:早大の向かいの穴八幡宮
その6:神楽坂寺社巡り~神保町へ
その7:花房稲荷神社と講武稲荷神社、秋葉原神社跡地
その8:神田明神と湯島聖堂
その9:狸像が可愛い柳森神社
その10:沖田総司も参拝した六本木ヒルズ近くの櫻田神社
その11:出雲大社は六本木駅徒歩1分の場所に

 

鳩森八幡神社へ向かう

前回に続き東京編。
飯田橋の辺りで先輩のyrsrさん&友人のH_keiba氏と合流。
まずは千駄ケ谷駅から程近い、鳩森八幡神社へ向かうことに。
尚、この時千駄ケ谷駅で降りずに間違って代々木駅まで行ってしまったので、無駄に歩く羽目になってしまいました(笑)。
 

鳩森八幡神社

社殿

鳥居
社殿
そんなこんなで鳩森八幡神社に到着。
境内は結構広々としており、開放感があります。
御祭神は応神天皇神功皇后です。
 
鳩森八幡神社はその昔、瑞雲が出現し、多数の白鳩が西方へ飛翔したことを吉兆と捉えた人々により祀られた祠が始まりとされています。*1
この際に「鳩森*2」の名が付けらたそうです。
その後860年に村人から御神体を請われた慈覚大師*3が、御神像を奉納して祠を八幡宮として祀らせたと伝わっています。
つまり鳩森八幡神社は1200年以上の歴史がある古社なんですね。
 

富士塚

鳥居
富士塚全景
境内には1789年に造られた富士塚があります。
千駄ヶ谷富士塚」として、都指定有形民俗文化財にもなっています。
富士塚は富士山を模した人口の山で、江戸時代以降に沢山造られたようです。
本物の富士山までは行けなくても、富士山の御利益にあやかりたいという庶民の願いに寄り添ったものだったということですかね。
 

冨士浅間神社里宮

社殿
登山口の鳥居をくぐって左に進むと、冨士浅間神社の里宮があります。
御祭神は木花咲邪姫命*4です。
 

小御嶽石尊大権現碑

小御嶽石尊大権現碑
登って行くと、「小御嶽石尊大権現」と書かれた石碑があります。
調べてみると、小御嶽石尊大権現とは冨士山小御嶽神社の別名だそうです(因みに「小御嶽」は「こみたけ」と読むのだとか)。
ということは、御祭神は磐長姫命*5、桜大刀自命*6、苔虫命*7ということで良いのでしょうか?
 

冨士浅間神社奥宮

社殿
こちらは冨士浅間神社の奥宮です。
御祭神はこちらも木花咲邪姫命。
 

食行身禄

食行身禄
山腹には食行身禄像も祀られています。
食行身禄は江戸時代の富士講行者で、富士山で断食し入定した人物です。
 

高鞆靈神碑

高鞆靈神碑
富士塚能楽堂の横辺りに降りて行くと、高鞆靈神の石碑があります。
「高鞆靈神」が一体どんな神様なのか、調べてもよく分かりません。
何かの書籍とかに情報があったりするんでしょうか……。
 

道祖神

道祖神
上記の高鞆靈神碑の近くにある石像です。
これは道祖神でしょうか?
詳細はこれも不明です。
 

石仏?

石仏?
こちらも近くにあった石像。
石仏……でしょうかね?
同じく詳細不明。
 

見ての通り蛙の像です。
背中に乗っている子蛙が非常に可愛いです。
こちらも上記の石像の近くにあります。
 

甲賀稲荷社

社殿

鳥居
社殿
富士塚の横には甲賀稲荷社があります。
御祭神は宇迦之御魂神。
鳩森八幡神社のHPによれば、元々は権田原にあり、甲賀組の武士が崇敬していた神社とのことです。
 

甲賀稲荷社の参道、鳥居が並んでいる辺りの脇に祠があります。
狛犬の代わりに狐が居るということは、この祠の御祭神も甲賀稲荷社と同じく宇迦之御魂神なんでしょうか。
 

神明社千駄ヶ谷太神宮)

神明社
御祭神は天照大神です。
御社の前の看板には

神明社
千駄ヶ谷太神宮)
 
 太神宮として権田原にありましたが、明治四十一年十一月、八幡神社末社になって境内に遷座されました

とあります。
 

将棋堂

将棋堂
境内には将棋堂という御堂もあります。
将棋を指す人の守護神だそうで、堂内に八幡神が祀られています。
 
将棋堂の前にある「将棋堂由来記」には以下の通り書かれています。

将棋堂由来記
 
 昭和六十一年一月、社団法人日本将棋連盟(当時の会長 大山康晴十五世名人)より、山形県の駒師 香月氏の製作による、高さ一米二十糎の欅製の大駒が奉納された。この縁により、同年十一月将棋の技術向上を目指す人々の守護神とし、更に将棋界の繁栄を願って、日本将棋連盟と神社が協力し、この大駒を納める六角の御堂を建立した。御堂の六角は天地四方を表わし、屋根の上の飾り金物は将棋盤の足の形、つまりくちなし(梔子)の実の形をしている。くちなしは口無しに通じ、助言無用の戒めからきていると古くから言い伝えられている。
 室内に安置された大駒は、御影石の将棋盤の上に立ち、その奥に氏神八幡神が祀られている。
 毎年年頭に、この御堂の前で祈願祭が行われる。将棋上達を祈願する人は、いつでもその夢を絵馬札に托して奉納することができる。参拝者は棋力向上の願いが叶えられ、よろず勝運に恵まれると言われている。
 
        平成六年十二月吉日
 
              鳩森八幡神社
              財団法人 日本将棋連盟

 
因みに鳩森八幡神社のすぐ近くには日本将棋連盟将棋会館もあります。
祈願祭には将棋連盟の方々も参加されるそうです。
 

慰霊碑

慰霊碑
境内には戦没者慰霊碑もあります。
ただこの日は、何かの番組の撮影が行われていたので近付くことが出来ませんでした。
今度行くことがあればよく見てみたいと思います。
 

庚申塚

庚申塚
一旦境内を出て将棋会館のある通りに向かうと庚申塚があります。
 
御堂の前には由緒書があります。

庚申の由緒
 
享保八癸卯歳 四月十一日 建之
 
 えとの庚申に当る日を重んじ 身を慎んでこの日を過す信仰
 中国の道教には六十年 或は 六十日毎にめぐってくる庚申の夜には三尸(さんし)の虫が睡眠中の人体からぬけ出て昇天するという信仰があった
 この虫が天帝にその人の罪過を報告すると 人は命を奪われるからこの夜は眠らないで善を行い 身を慎まねばならないとした
 これが中世以後の日本にも受入れられ現在でも庚申講として広く行われている
 この庚申塔享保八年(西暦一七二三)の庚申の日に建てられたもので 庚申を「かのえさる」と呼ぶことから猿の信仰とも結びつき 更に猿田彦天孫降臨の道案内をつとめた神)との連想から道を守る道祖神とも習合している
 この庚申供養塔は 庚申信仰の民間に根を下すようになった室町末期頃から建てられるようになり江戸時代に入って非常に盛んになった
 この塔の尊像としては 青面金剛が最も多く そして日月二鶏三猿 庚申の文字や猿の像などを配することが多い 又形状としては駒型 舟型 角柱型 角丸型など各種がある
 渋谷地区も古くから庚申信仰が盛んで その塔が多く存在したであろうことが推察されるのである
 この庚申塔は道路新造等により片付けられていたのを町内有志たちの手によって修理復現されたものである
 
   昭和五十八年 十二月 吉日

             鳩森八幡神社
 
   交通安全守護 祈願家内安全 商売繁昌

御堂の中には青面金剛の掘られた石碑があります。
また、足腰の快復や壮健を願って数多くの草鞋が奉納されています。
 

鳩森八幡神社
住 所:東京都渋谷区千駄ヶ谷1-1-24
御祭神:応神天皇神功皇后
末社等:富士塚
     ∟冨士浅間神社里宮(御祭神:木花咲邪姫命)
     ∟冨士浅間神社奥宮(御祭神:木花咲邪姫命)
     ∟小御嶽石尊大権現碑
     ∟食行身禄
     ∟高鞆靈神碑
     ∟道祖神
     ∟石仏?
    甲賀稲荷社(御祭神:宇迦之御魂神)
     ∟祠(御祭神:宇迦之御魂神?)
    神明社(御祭神:天照大神
    将棋堂(御祭神:八幡神
    慰霊碑
    庚申塚
創 建:神亀年間(724~729年)又は860年
H P:http://www.hatonomori-shrine.or.jp/
 

 
さて、今回は以上です。
次回は、鳩森八幡神社から歩いて向かった東郷神社について。
 

脚注

*1:東京神社庁のHPによれば「神亀又は貞観年間」とのことなので、この瑞雲や白鳩の出来事が神亀年間(724〜729年)だったのでしょうか。貞観年間とあるのは860年(貞観2年)の慈覚大師の御神体の件でしょう。

*2:読みは「はとのもり」です。

*3:= 円仁。『入唐求法巡礼行記』の著者で天台宗山門派の祖。

*4:瓊瓊杵尊の妻。子に火闌降命(= 海幸彦。隼人の祖。)、彦火火出見尊(= 山幸彦。神武天皇の祖父。)、火明命(尾張連の祖)。

*5:木花咲邪姫命の姉。瓊瓊杵尊が醜いとして娶らず、磐長姫命瓊瓊杵尊を呪い寿命を設定した。

*6:= 木花咲邪姫命。

*7:伊勢神宮内宮摂社の朝熊神社の御祭神。