燈蓮寺伽藍堂 -RISING FALCON-

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獅子殿が強烈な難波八阪神社と泉の広場の最終日

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はじめに

今回は難波八阪神社と、最終日だった泉の広場について。
 

難波八阪神社


大阪メトロなんば駅32番出口を出て南へ真っ直ぐ向かう。
 

途中のファミリーマートを過ぎた辺りで1本内側の路地へ入ると、難波八阪神社が見えてくる。
因みに京都の八坂神社は土偏の「坂」だが、ここ難波八阪神社は阜偏の「阪」となっている*1
 

社殿



御祭神は素盞嗚尊、奇稲田姫命、八柱御子命*2となっている。
創建年は不明ながら、後三条天皇の御世(1068〜1073年)には既に難波牛頭天王社として鎮座しており、「難波下の宮」とも呼ばれたらしい。
 
前回の記事でも書いた通り、千日前榎龍王は一時的に難波八阪神社遷座していた。
ということは、2018~2019年のある時期に参拝した人は(知ってか知らずか)千日前榎龍王にもお参りしたと言えるだろう。
 

獅子殿


この神社で一番インパクトのある建造物はこの獅子殿だ。
この獅子の頭部の強烈なこと、今にも喰われてしまいそうだ。
難波八阪神社のホームページによれば、獅子殿には素盞嗚尊荒魂が祀られている。
学業、就職、入試、会社発展などを祈って参拝する人が多いとのことだ。
 

篠山神社



摂社のこの神社は「ささやまじんじゃ」と読む。
御祭神は篠山摂津守十兵衛伴景義という、難波青物市場の開設に尽力した大坂代官だ。
この社、なんと元々は生祠(御祭神の存命中から生き神様として祀る祠)だったらしい。
篠山景義という人物がどれほど敬愛されていたのかが窺える。
 

末社


本殿に向かって右側には、4つの社が並んでいる……はずなのだが、自分が行った時には一番左の稲荷神社(御祭神は宇賀御魂神・豊国稲荷大神)が残っていたのみだった。
その隣の三宝荒神社(御祭神は奥津日子神・奥津比賣神・火産霊神)、市杵島姫神社(御祭神は市杵島姫命大物主神)、皇大神社(御祭神は天照皇大神猿田彦神)は台座の上から消えている。
恐らく台座の前に置かれている物体こそが、社殿だった残骸なのだろう。
時期的に、2018年の台風21号にやられたものと思われる。
 

戦艦陸奥主砲抑気具記念碑



末社のに右側には昭和18年(1943年)に瀬戸内海で爆沈した戦艦陸奥の抑気具が置かれている。
爆沈時に殉職した1021名の慰霊碑となっているようだ。
 

宮趾



陸奥記念碑の向かいには鳥居が建っていて柵で囲まれた一角がある。
中心の石碑には「宮趾」と刻まれている。
詳細は由緒書がないので不明だ。
もしかすると、かつての名称である「難波下の宮」の跡地の意だろうか。
 

【難波八阪神社
住 所:大阪府大阪市浪速区元町2-9-19
御祭神:素盞嗚尊、奇稲田姫命、八柱御子命
社祠等:獅子殿(御祭神:素盞嗚尊荒魂)
    篠山神社(御祭神:篠山摂津守十兵衛伴景義公)
    稲荷神社(御祭神:宇賀御魂神、豊国稲荷大神
    三宝荒神社(御祭神:奥津日子神、奥津比賣神、火産霊神
    市杵島姫神社(御祭神:市杵島姫命大物主神
    皇大神社(御祭神:天照皇大神猿田彦神
    戦艦陸奥主砲抑気具記念碑
建 立:1073年以前
H P:難波八阪神社
 

 

泉の広場




難波八阪神社に参拝した2019年5月6日は梅田地下街にあった「泉の広場」の撤去前最終日だった。
初めて行く前は、ネットでは心霊スポットだのなんだのと言われていたので不気味なのかと思っていたが、実際行ってみるとそんな陰鬱な不陰気な場所ではなかった。
こんなサヨナライベントまで催されていて、しかも皆が記念の写真を撮っていたのだから、かなり愛されていたんだろうなと思う。
自分は数回しか訪れていないけど、それでも知っている場所が無くなるのは寂しいものだ。
 

なおその後は、2019年12月5日にリニューアルオープンした。
現在はこのようにオブジェのある広場となっている。
 

【泉の広場】

 
今回は以上。
次回は京都の福長神社。
 

脚注

*1:ただし京都の八坂神社関連でも、京都市下京区の八坂神社御旅所跡地に鎮座する大政所御旅所という社の扁額は、「八阪大神」となっていて阜偏が使われている。

*2:天照大御神と素盞嗚尊の契約により誕生した、天忍穂耳命天穂日命天津日子根命活津日子根命熊野久須毘命、多紀理毘賣命、多岐都比賣命、狭依毘賣命という八柱の神々の総称。