燈蓮寺伽藍堂 -RISING FALCON-

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稲荷山その02:伏見稲荷大社の本殿・権殿・遥拝所に参拝

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<2022年3月 記事内容改訂>

はじめに

前回 の続きで、今回は伏見稲荷大社の楼門と本殿などについて。
 
本殿周辺マップは以下の通り。
(※画像が粗い場合は、クリックした先で「オリジナルサイズを表示」を選ぶと大きいサイズが表示される。)

 

楼門


表参道を進んでいくと、階段の上に巨大な楼門が建っている。
この楼門は豊臣秀吉が母である大政所が病気から回復するように祈願し、その後回復の御礼として境内整備を行った際に建てられたと伝えられており、国の重要文化財になっている。
伏見稲荷大社」と書かれた巨大な扁額は装飾がとても立派だ。
また、門の両側には随神像が安置されている。
 

外拝殿


楼門の後ろには外拝殿が建っており、こちらも重要文化財に指定されている。
外拝殿に吊るされている灯籠をよく見ると、全て図柄が星座のモチーフとなっているのが面白い。
 

内拝殿・本殿

外拝殿の背後には、内拝殿と本殿が建っている(内拝殿及び本殿は撮影禁止のため写真はない)。
 
伏見稲荷和銅4年(711年)創建と伝えられる古社だ。
山城国風土記逸文によれば、かつて秦伊侶具という人物が餅を弓矢で射たところ、餅が白鳥に変化し当地に飛来、その場所に稲が成った(この「稲成り」が「稲荷」の語源とされる)ので社を建てたことに始まるとされている*1
なお、秦氏は通常は弓月君*2の後裔とされるが、秦氏系図での伊侶具は下鴨神社御祭神である賀茂建角身命の24世の後裔にあたる賀茂久治良の末子と記されている*3
 
戦中まで名称は単に「稲荷神社」だったが、戦後になって現在の名称に改称された。
重要文化財である本殿に祀られる現在の御祭神は、中央座が宇迦之御魂大神(下社御祭神)、北座が佐田彦大神(中社御祭神)、南座大宮能売大神(上社御祭神)、最北座が田中大神(下社摂社御祭神)、最南座が四大神(中社摂社御祭神)となっており、これら5柱の総称が「稲荷大神」だとされている*4
元々本殿は上中下社の御祭神である3柱を祀る社だったが、平安時代末期には5柱を祀る社へと変わっていたようで、後白河法皇が編纂した『梁塵秘抄』には「稲荷をば三つの社と聞きしかど、今は五つの社なりけり」という今様が収録されている*5
 
宇迦之御魂大神は食物・農耕・水などを司る神で、神話においては『古事記』と『旧事紀』では須佐之男命と神大市比売の子*6*7、『日本書紀』では伊弉諾尊伊弉冉尊の子*8、『延喜式祝詞』の「大殿祭」では屋船豊宇気姫命の別名*9として登場している。
佐田彦大神猿田彦命の別名ともされ、また大土之御祖神*10という田地の神としての別名もあるという*11
大宮能売大神記紀には登場しない神で、『古語拾遺』によれば岩戸開き後の天照大御神の宮殿に仕え*12、後に神武天皇が即位前に神籬を立てて他7柱と共に祀った神であり*13、『延喜式祝詞』の「大殿祭」では宮中を監視・守護したり皇族・臣下が邪心無く平安に仕えられるようにする神だとされている*14
田中大神はその名の通り田の神で、境外摂社・田中神社の御祭神にもなっているが、荒神峰の田中社神蹟に祀られる大己貴神と大歳神を指すとされることもある*15
四大神は不明な点が多い神で、『古事記』に大歳神の子として見える若年神・夏高津日神・秋比売神・久久年神の4柱*16 のことを指しているとも言われる*17
 
なお室町時代に卜部兼満が著した『神祇拾遺』によれば、稲荷社の御祭神は本殿が宇賀御魂(別名・豊宇気)、第二殿が素戔烏尊(別名・大祖神)、第三殿が大市姫(別名・大宮命婦)とされている*18
また田中社の御祭神は大己貴命、四大神は素戔嗚尊御子神である五十猛命・大屋姫・抓津姫・事八十神*19の4柱であるとされている*20
 
更に江戸時代に黒川道祐が著した『雍州府志』によれば、祀られる5柱の神々は太田命(上社御祭神)、伊弉諾尊瓊瓊杵尊倉稲魂命(中社御祭神)、大宮姫命(下社御祭神)とされていたらしい*21
また田中社の御祭神は猿田彦命、四大神は住吉四所であるとの記述もある*22
 
そして昭和49年(1974年)に南日義妙という人が著した『稲荷をたずねて』という本には、「稲荷大神を新興の秦氏が信奉するようになり、かつてこの地に勢力を持っていた紀氏が荒神峰に祀られた別雷神を麓に遷し、別雷神・武内宿禰八幡神神功皇后を合わせて四大神として祀った」という伝承が載っている*23
ただ、これがどこに伝わっていた伝承なのかは分からなかった。
 

伏見稲荷大社
御祭神:宇迦之御魂大神佐田彦大神大宮能売大神田中大神、四大神
 

 

権殿


本殿の左後ろには本殿を修理する際に祀られている神を一時的に遷座する社殿である権殿が建っている。
かつては「若宮社」という名前でも呼ばれ、本殿以外の摂末社の修理の際も利用されていたとのことだ*24
現在のものは寛永12年(1635年)の再興だが、元々は少なくとも明応8年(1499年)には権殿が存在していたらしい。
 

遥拝所


けっこう気付かずにスルーする人が多い印象があるが、本殿真後ろには遥拝所が設置されている。
これは稲荷山を遥拝するための場所だ。
足を痛めている人は山頂まで行けなくても、ここから拝むと良いかもしれない。
 

最近、遥拝所の横に千本鳥居の所まで上れるエレベーターが新設された。
車椅子や足が不自由な人専用のため、一般客は利用不可のようだ。
 
さて、今回は以上。
次回は東丸神社について。

脚注

*1:武田祐吉・編『風土記』(岩波文庫、1997年第11刷)269~270頁

*2:始皇帝の後裔を称する渡来人。

*3:伏見稲荷大社御鎮座一千二百五十年大祭奉祝記念奉賛会・編『伏見稲荷大社年表』(1962年)77頁

*4:伏見稲荷大社HP「ご祭神」の項目を参照。

*5:梁塵秘抄』(岩波文庫、2015年第67刷)84頁

*6:古事記』(岩波文庫、2014年第84刷)46頁

*7:『旧事紀』(改造文庫、1943年)78頁

*8:日本書紀(一)』(岩波文庫、1997年第6刷)46頁

*9:千田憲・編『祝詞・寿詞』(岩波文庫1984年第9刷)31頁

*10:読みは「おおつちのみおやのかみ」。

*11:吉田初三郎・愛信会宣伝部『伏見稲荷全境内名所図絵』(バーザイビュー社、1925年)裏面

*12:斎部広成・撰『古語拾遺』(岩波文庫、1985年第1刷)22頁

*13:同書、35頁

*14:千田、前掲書、31~32頁

*15:吉田・愛信会、前掲書、裏面

*16:古事記』、61~62頁

*17:伏見稲荷大社御鎮座千三百年史調査執筆委員会・編『伏見稲荷大社御鎮座千三百年史』(2011年) 16頁

*18:卜部兼満『神祇拾遺』70頁(塙保己一・太田藤四郎・編『続群書類従・第三輯上 神祇部』(続群書類従完成会、1986年訂正3版)収録)

*19:『旧事紀』で大国主命の兄神として登場する1柱の神。『古事記』における大国主命の多数の兄弟神の総称である八十神に相当するものと思われる。

*20:塙・太田、前掲書、70頁

*21:黒川道祐『雍州府志 近世京都案内(上)』(岩波文庫、2002年第1刷)173頁

*22:同書、173頁

*23:南日義妙『稲荷をたずねて』(文進堂、1974年)66頁

*24:伏見稲荷大社御鎮座千三百年史調査執筆委員会、前掲書、478頁