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<2022年7月 記事内容改訂>
はじめに
今回は劔石(つるぎいし)*1というエリアについて。
今までの稲荷山の記事はこちら。
マップは以下の通り。
番号が振ってあるのは、お塚の台座の番号だ。
(※画像が粗い場合は、クリックした先で「オリジナルサイズを表示」を選ぶと大きいサイズが表示される。)
劔石
春繁社を後にして道なりに進むと、次は劔石のエリアに出る。
ここは森の中にお塚が静かに鎮座している。
長者社神蹟
御劔社
長者社神蹟には御劔社が建っている。
ここに祀られているのは御劔大神で、茶店に貼られた由緒書によれば加茂玉依姫命のことであるらしい。
玉依姫命は下鴨神社の本殿東殿に祀られる神で、同社本殿西殿に祀られる賀茂建角身命の娘神だ*2。
稲荷山に賀茂の神が祀られるのは少し不思議な感じもするが、伏見稲荷を創建したと伝わる秦伊呂具は賀茂建角身命から24世の後裔である賀茂久治良の末子という伝承が存在するので、もしかするとその関係かもれしない*3。
劔石(雷石)
社殿の後ろには大岩がある。
これも茶店に貼ってある由緒書によれば、この岩は「劔石」で別名を「雷石」といい、かつて異形の僧が雷を岩に縛りつけたという伝承があるらしい。
方除大神外6柱、白長大神外5柱、八大龍王外4柱
ここには3つのお塚が並んで建てられている。
ここの塚台の玉垣は、老朽化して崩れかけているらしい。
貼り紙によれば、ここのお塚を信奉している人でその修復費用を賛助してくれる人が居るらしいので、関係者は早く連絡した方が良いと思う(ただし、まだ存命であればだが)。
方除大神・島龍大神・末廣大神・御嶽大神・熊鷹大神・白龍大神・髙丸大神
ここのお塚は7柱と、多くの神名が刻まれている。
方除大神とは聞き慣れない神名だが、方除けの神ということなら方位神を祀っているのだろうか。
島龍大神・白龍大神はどちらも龍神か。
末廣大神は一ノ峰上社神蹟の御祭神で、大宮能売大神のこととされる。
御嶽大神は、御嶽教*5関連だろうか。
熊鷹大神は谺ヶ池のほとりの熊鷹社の御祭神だ。
髙丸大神は詳細不明。
古山大神、久太郎大神、一老藩、二老藩・三老藩・四老藩・五老藩・事倉⬛︎
この塚台には4基のお塚が建っている。
上段真ん中に大きく聳えるのは古山大神のお塚だ。
残念ながら由緒等は不明だ。
古山大神の手前には久太郎大神のお塚が建っている。
川越市には久太郎狐という狐にまつわる昔話が伝わっているようなので、その関連のお塚かもしれない。
実際、川越市の六軒町という地区には久太郎稲荷社という神社がかつてはあったらしい(『入間郡史』を見る限り、後に場所が分からなくなってしまったようだ)*8。
古山大神の右側には一老藩のお塚、左側には二老藩・三老藩・四老藩・五老藩・事倉⬛︎のお塚が建っている。
一老藩~五老藩がどういう意味の神名なのか分からないが、ナンバリングされているのは面白いと思う。
左側のお塚の左下の神名は事倉⬛︎で最後の文字がよく分からないが、もしかすると「嶋」だろうか。
伏見稲荷大社『お山のお塚』、神谷楢次郎『京都官幣大社伏見稲荷神社 御山明細図絵』、村田卓夫『伏見稲荷大社 大祓御神徳記』、日向伝吉『稲荷詮索誌』を調べてみたが、特に記載はなかったため詳細不明だ。
藥水力大神ほか14柱
最後に紹介するのはこのお塚だ。
見ての通り15柱もの神名が刻まれている。
見づらいので図にすると上記の通りだ。
藥水力・藥食力・頭痛力・長寿延命・安産力・萬病力など、健康などに関する神名が多いのが特徴的だ。
また開運期米大神は「期米」が米の取引関係の単語らしいので、そういった関連の願いを込めた神名なのだろう。
さて、そんな神名の中でも一番インパクトがあるのはこの「陸海軍力大神」だ。
このお塚の建立年は分からないが、恐らく戦前から建っているのだろうと思う。
三劔家
劔石長者社向かいの茶店は三劔家という名前だ。
ここでは「いっぷくセット」という、煎茶・煎餅・玉露羊羹がセットになったメニューを頂いた。
最初にここを通りかかった時、店から野球中継が流れているのが聞こえた。
それでふと、北尾鐐之助という新聞記者で作家の人が書いた『京都散歩』という本の内容が頭をよぎった。
一ノ峯の上ノ社から、再び四ツ辻の方へ下りて行くと、茶店のラヂオが、しきりに野球の放送をしていた。婆さんが一人いるのみで、誰れもいない茶店にやすんで、……お婆さんは野球が分かるのか……と聞いてみると、……私は何も分らぬが、ラヂオを出して置くと、よくお客さんがやすんでくりゃはります……とこたえた。
……ピッチャ第四球、なげました。遠い球、ボール!、カウントはワン、スリー……
ラヂオの声はお山の石塚につき当って、朗々と谷底から聞える「般若心経」に響いて行った。北尾鐐之助『近畿景観 第三編 京都散歩』(蘭書房、1954年)363頁
流石に谷底から般若心経は聞こえなかったが、それでも上記の文章と似たようなシチュエーションだったので、この本が書かれた昭和の頃と令和の今がまるで重なり合ったような、何とも不思議な気分になった。
今回は以上。次回は 薬力滝について。
脚注
*2:武田祐吉・編『風土記』(岩波文庫、1997年第11刷)267頁
*3:伏見稲荷大社社家大西氏系図による。伏見稲荷大社ホームページの「沿革」の「 伊奈利社ご鎮座説話 」の項目を参照。
*4:江戸~大正時代に活躍した刀工。孝明天皇~昭和天皇の4代の刀を作った。
*5:教派神道の一派大宮能売大神御嶽山を重視しており、国常立尊・大己貴命・少彦名命を総称して御嶽大神として祀る。
*6:実際、大和郡山市には源九郎狐を祀る源九郎稲荷神社もある
*7:大己貴大神・少彦名大神・三吉霊神を祀る秋田市の太平山三吉神社を総本宮とする信仰。