はじめに
今回は室蘭市に鎮座する幡守神社について。
幡守神社
国道37号線を室蘭から長万部方面へ走ると、カーブが続く道の先に巨大なゴミ焼却場の煙突が聳え立っている。
この煙突の足元にある交差点を右折し、道道107号線へと進む。
暫くすると左側に真っ白な鳥居が見えてくる。
参道の階段の先には社殿が建っている。
社殿
幡守神社の鎮座する地域は石川町といい、明治3年(1870年)に東北の角田から石川氏第38代当主・石川邦光の家臣団が入植した土地だ。
明治7年(1874年)に角田の幡守神社から御分霊を勧請して幡守神社が建立されている*1。
幡守神社の御祭神は源經基王命・源有光公命・源昭光公命の三柱だ。
源經基王命は臣籍降下後に清和源氏初代となった人物で、石川氏の先祖にあたる*2。
それにしても、「源経基」とか「経基王」という表記は見かけるけど、源姓と王号と神号が同時に存在しているのは珍しい気がする。
源有光公命は石川氏第2代当主・石川有光だ。
有光は経基の玄孫にあたる*3。
因みに、有光の末子の石川有祐は陸奥国一宮である石都々古和気神社の吉田兼親の養子となり、神官となったとされる*4。
源昭光公命は石川氏第25代当主・石川昭光だ。
伊達氏第15代当主・伊達晴宗の四男として生まれ、後に石川氏第24代当主・石川晴光の養子となっている。
昭光は元和8年(1622年)に死去し、その際に家臣が殉死したと伝わっている。
なお、『室蘭神社仏閣史』によると御祭神は先述の三柱に加えて、石川昭光死去に際し殉死した七柱も祀られているとしている*5。
殉死したのは『石川氏一千年史』によると、中村壱岐・迎但馬・鈴木善兵衛・永窪越後・岡田豊後・三浦修理・鎌田嘉右衛門とのこと*6。
上記のうち中村壱岐・迎但馬・鈴木善兵衛・永窪越後については、文化遺産オンラインの「石川昭光木像・七殉死者木像」のページの画像によれば、諱はそれぞれ中村朝安・迎徳弘・鈴木忠吉・永窪正福であったらしい(岡田豊後・三浦修理・鎌田嘉右衛門については画像が無かったので不明)。