燈蓮寺伽藍堂 -RISING FALCON-

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稲荷山その24:御膳谷で御膳谷奉拝所・力松社・奥村社に参拝

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<2022年7月 記事内容改訂>

はじめに

今回は御膳谷奉拝所がある御膳谷エリアについて。
今までの稲荷山の記事はこちら

マップは以下の通り。
番号が振ってあるのは、お塚の台座の番号だ。
(※画像が粗い場合は、クリックした先で「オリジナルサイズを表示」を選ぶと大きいサイズが表示される。)

御膳谷


春日峠を過ぎて階段を下りていくと、御膳谷奉拝所へと辿り着く。
読みは「ごぜんたに」かと思っていたが、伏見稲荷大社の英語版HPの表記を見ると"Gozendani Hohaisho" となっているので「ごぜんだに」が正しいらしい*1

現在このエリアには他の大きなエリアと違い茶店は無い。
だが、かつては(いつまであったかは定かではないが)このエリアにも「力松亭」と「山本亭」という2つの茶店が存在していたらしい*2


なお御膳谷には社務所があり、御朱印を頂くこともできる。
私はここで月桂冠の上撰の御神酒を入手した。
この御神酒は月桂冠が出しているおちょこ付きの日本酒と同じ形態だが、ラベルが御神酒仕様になっている特別なものだ。

御膳谷奉拝所



御膳谷奉拝所はかつて御饗殿と御竈殿があった場所だ。
今は祈祷殿と呼ばれる建物が建っていて、毎朝夕に神々に御日供*3が供えられている。


祈祷殿後ろにある石は御饌石*4と呼ばれ、大山祭の山上の儀においてお酒をこの上に置くのに使われている。


ここ御膳谷のお塚はお塚調査記録『お山のお塚』が出版された1965年当時は146番までしか存在していなかった*5
ところがこれ以降にエリアの拡張があったらしく、塚台も現在では205番まで増えている。




谷を何処までも奥の方までお塚が埋め尽くす光景は、壮観の一言に尽きる。

照日粉稲荷大明神


御膳谷の一番奥には照日粉稲荷大明神が祀られている。
ここは名前にもある通り、日本製粉株式会社*6が祀ったお塚だ。
奉納された小鳥居にも社長や工場長といった肩書が並んでいる。

力松社



祈祷殿裏手には力松大神を祀る力松社が鎮座している。
現地には特に書かれていないが、『お山のお塚』のマップによればこの場所こそが「御膳谷神蹟」であるらしい*7

昭和大神



力松社の横には昭和大神という、ちょっと変わった神名の神様が祀られている。
由緒は分からないが、もしかすると昭和になってから祀られたのかもしれない。
無論、「あきかず」等と読む可能性も否定できないが。

奥村社




立派な石鳥居と狛馬が大迫力なのは、奥村大神を祀る奥村社だ。



お塚の碑文は隠れて見えづらいが、恐らく「御膳谷舊蹟」と書いてあるものと思われ、『お山のお塚』のマップにも「御膳谷旧蹟」とある*8
ただ、何が旧蹟なのかはよく分からなかった。

博勞神社


奥村社の目の前には博勞大神を祀る博勞神社のお塚が建っている。
「博労」は牛馬の売買をする人を指す言葉だ。
もしかするとこのお塚を建立した人は、商売繁盛の神として稲荷大神を信仰していたのかもしれない。

磐金大明神・磐瀧大神・天地金之神


このお塚も奥村社の目の前にある。
3柱の神名が刻まれている。
1番右は1文字目がよく読み取れないが、お塚調査記録『お山のお塚』によれば磐金大明神であるらしい*9
磐瀧大神は詳細不明だが、稲荷山南谷にある岩滝との関連があるのかもしれない。
天地金之神は天地金乃神のことだとすると、教派神道金光教の関連だろうか?

郷鷹大明神・三日月大明神・光𠮷大明神


ここのお塚にも3柱が祀られている。
3柱とも由緒は不明だが、三日月大明神という名前が気になったので参拝した。

清水大神・毘張大神・毘張僧


ここも3柱が祀られている。
清水大神は詳細不明。
毘張大神と毘張僧も詳細不明だが、高野山には戦火を防いだ毘張尊師という天狗の信仰があるようなので、その関係のお塚かもしれない*10

高倉社


御膳谷のエリアの端にあるのが高倉社だ。
高倉大神が祀られている。
この社も小鳥居が沢山奉納されていて、篤く崇敬されているのが分かる。

官位清浄坊大神



春日峠方面からの階段の下には官位清浄坊大神
が祀られている。
ここは切株が御神体になっているらしく、どことなく根上り松を彷彿とさせる。
大正11年(1922年)の『京都官幣大社伏見稲荷神社 御山明細図絵』では大きな1本の木の下に「官位清浄坊」が祀られていると書かれているので、もしかすると傘杉エリアの多くの社のように、木が生えている頃から祀られていたのかもしれない*11

【御膳谷】
御祭神:力松大神、奥村大神、三日月大明神、高倉大神など

今回は以上。
次回は眼力エリアについて。

脚注

*1:伏見稲荷大社HP(英語版)「Gozendani Hohaisho」参照。

*2:稲荷山青年団・編『伏見いなり大社参拝の栞』(ヨシミインサツショ、1929〜1939年頃)表面

*3:神にお供えする食物。

*4:読みは「みけいし」。

*5:伏見稲荷大社社務所『別冊 お山のお塚 塚台配置図』(1965年)御膳谷塚台配置図

*6:2020年に株式会社ニップンに社名変更。

*7:伏見稲荷大社社務所、前掲書

*8:伏見稲荷大社社務所、前掲書

*9:伏見稲荷大社社務所『お山のお塚』(1965年)19頁

*10:金剛三昧院HP「毘張講」参照。

*11:神谷楢次郎・編『京都官幣大社伏見稲荷神社 御山明細図絵』(カミヤ印刷所、1922年)表面・裏面

稲荷山その23:春日峠のお塚と経塚趾

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<2022年7月 記事分割に伴い当記事新設>

はじめに

今回は春日峠というエリアについて。
今までの稲荷山の記事はこちら

マップは以下の通り。
番号が振ってあるのは、お塚の台座の番号だ。
(※画像が粗い場合は、クリックした先で「オリジナルサイズを表示」を選ぶと大きいサイズが表示される。)

春日峠


薬力エリアから傘杉方面へ向かわずに直進していくと、春日峠というエリアに到着する。
この辺りは紅葉谷とも呼ばれるようなので、もしかすると杉よりも紅葉の方が多く生えているのかもしれない*1

福丸大神、朝日大神、開運期米稲荷大神 外2柱


春日峠の階段を上ってすぐの所にある塚台には3基のお塚が建っている。

福丸大神


中央には福丸大神のお塚がある。
由緒等詳細は不明ながら、ここに奉納される小鳥居は全てこの福丸大神の名が書かれているので、篤く崇敬する人がいるのだろう。

朝日大神


右側は朝日大神のお塚だ。
こちらも詳細は不明。

開運期米稲荷大神・日榮天狗稲荷大神・福丸桃富稲荷大神


左側のお塚には詳細不明な3柱の神名が刻まれている。
開運期米稲荷大神は「期米」が米の取引関係の用語らしいので、その関係で祀られているのかもしれない*2
日榮天狗稲荷大神は天狗と稲荷の習合だろうか。
福丸桃富稲荷大神は先述の神名と「福丸」の字が共通しているが、関連性は不明だ。

金龍大神、金丸龍王大神、鏡山


福丸大神の塚台の右にあるこの塚台にも3基のお塚が建っている。
中央の金龍大神と右側の金丸龍王大神は名前からして共に龍神と思われる。
鏡山は「鏡山大神」を略したものと思われるが詳細不明。

末廣稲荷大神、藥力大神・黒龍大神、福金大神


金龍大神の塚台の右の塚台もまた3基のお塚が建っている。
中央は末廣稲荷大神で、これは稲荷山山頂一ノ峰上社に鎮座する末広大神、つまり大宮能売大神のことだろう。
右側のは藥力大神と黒龍大神で、前者は先日記事にした薬力社の御祭神、後者は詳細不明ながら龍神だろう。
左側の福金大神は詳細不明ながら、金運に御利益がありそうな神名だ。

日ノ車大神・豊玉大神・草ノ森大神


このお塚には日ノ車大神・豊玉大神・草ノ森大神の3柱が祀られる。
残念ながら3柱とも詳細不明だ。

天光大神


このお塚には天光大神が祀られている。
詳細は不明。

福玉大神


ここは福玉大神のお塚だ。
詳細は不明。

豊川大神・玉姫大神


このお塚は豊川大神と玉姫大神を祀る。
豊川大神は伏見豊川稲荷本宮と同様に、愛知県の豊川稲荷に祀られる豊川吒枳尼真天を祀るものと思われる。
姫大神玉姫社など稲荷山に多く祀られる神で、熊鷹社向かいの売店の貼紙によれば良縁の神であるらしい*3

岩戸大神・忠勝大神・豊岩間戸大神・金髙大神


このお塚には4柱の神が祀られている。
岩戸大神は神名からすると天照大御神に関連しそうだが詳細不明。
忠勝大神と金髙大神も詳細不明。

豊岩間戸大神は門を守る神で、下記の通り様々な書物にその名が登場する*4
まず『古事記』では天石門別神(別名として豊石窓神と櫛石窓神の名も記載)として登場、天孫降臨に付き従う*5
次に『古語拾遺』では豊磐間戸命として登場、櫛磐間戸命と共に任命岩戸開き後の天照大御神の新宮殿の門の守護に任命される*6
続いて『旧事紀』ではまず豊磐間戸命として登場し天照大御神の新宮殿の門の守護に櫛磐間戸命と共に任命、のち天石門別神(別名として豊石窓神と櫛石窓神の名も記載)として登場し天孫降臨に付き従う*7
更に『延喜式祝詞』では御門祭の祝詞において豊磐牖命として登場、櫛磐牖命と共にその名の由来が語られる*8
そして『土佐国風土記逸文』では天石帆別神(別名として天石門別命の名も記載)として登場、朝倉郷の神社の御祭神である天津羽々神の親神として名が挙げられる*9

福助大神?

現地に行った際に取ったメモには9番のお塚には福助大神が祀られていると書かれているが、どうやら写真を撮り忘れたらしい。
今度機会があれば撮って来たいと思っている。

見当たらなかったお塚

伏見稲荷大社のお塚調査記録『お山のお塚』には「竹ノ実大神」が春日峠に祀られていると書かれているが、見つけることが出来なかった*10

經塚發掘趾碑



ここ春日峠では、明治44年(1911年)に経塚(経典を埋めた塚)が発掘されており、「明治四十四年 經塚發掘趾」*11と刻まれた石柱が立てられている。
ここから発掘された出土品は、東京国立博物館が保管している*12

【春日峠】
御祭神:福丸大神、末廣稲荷大神金龍大神など
 

今回は以上。
次回は御膳谷奉拝所について。

脚注

*1:村田卓夫『伏見稲荷大社 大祓御神徳記』(中村風祥堂、2018年)裏面「伏見稲荷山参拝図」

*2:コトバンク期米」参照。

*3:この場合の良縁は恋愛だけではなく、商売相手との良縁の御利益もあるようだ。

*4:日本書紀』には記述無し。

*5:古事記』(岩波文庫、2014年第84刷)74頁

*6:斎部広成・撰『古語拾遺』(岩波文庫、1985年第1刷)22頁

*7:『旧事紀』(改造文庫、1943年)47, 69頁

*8:千田憲・編『祝詞・寿詞』(岩波文庫1984年第9刷)33頁

*9:武田祐吉・編『風土記』(岩波文庫、1997年第11刷)327頁

*10:伏見稲荷大社社務所『お山のお塚』(伏見稲荷大社、1965年)120頁

*11:「發」は上部が「业」になっていて、「殳」が「攵」になっている異体字

*12:伏見稲荷大社附属講務本庁『神奈備 稲荷山巡拝』(2018年)54頁

稲荷山その22:傘杉にて傘杉社や天龍社に参拝

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<2022年7月 記事分割に伴い当記事新設>

はじめに

今回は傘杉というエリアについて。
今までの稲荷山の記事はこちら

マップは以下の通り。
番号が振ってあるのは、お塚の台座の番号だ。
(※画像が粗い場合は、クリックした先で「オリジナルサイズを表示」を選ぶと大きいサイズが表示される。)

傘杉


薬力から朱の鳥居の連なった道を通り、先へ進むと傘杉のエリアとなる。
ここはメインのルートからは少し外れるためか、余り人の気配はない。

傘杉エリアには特にお滝は見当たらないが、もう少し先には昭和9年(1934年)に建てられた清明舍という禊をする人のための施設があり、清明滝が併設されている*1

但しかつては傘杉エリアにも傘杉滝があったらしく、以下のような記述を見ることができる。
伏見稲荷大社 大祓御神徳記』収録のお塚の一覧表には「[傘杉社、傘杉の滝](荒滝)」との記述がある(荒滝は傘杉滝の別名だろうか)*2
また『京都官幣大社伏見稲荷神社 御山明細図絵』表面のマップには「こうずが谷 傘杉社 傘杉滝」と描かれている*3
更に『伏見いなり大社参拝の栞』には、「神木 傘杉大神」の真下、紅葉谷を流れる川の近くに「傘杉ノ滝」の記述がある*4
そして『伏見稲荷神社御山独案内』のマップには、「笠杦明神」*5の横に「笠杦早滝」なるお滝の名前が書かれている*6
最後に『稲荷詮索誌』には、「笠杉瀧」の名が見える*7

なお先述の『京都官幣大社伏見稲荷神社 御山明細図絵』裏面のお塚一覧には「不動尊」「初音滝」の塚名も見えるので、傘杉滝以外に初音滝という滝も存在したのかもしれない*8
確かに『伏見稲荷全境内名所図絵』には、紅葉谷を流れる川の横に「初音ノ滝」と記されている(傘杉滝の記載はない)。*9
更に昭和9年(1934年)に初版が発行された北尾鐐之助著『京都散歩』においても、「北谷の方は、下から権太夫滝=(中略)=清滝=初音滝=薬力滝=(後略)」と、初音滝の存在が記述されている*10

傘杉社



このエリアの名前にもなっている傘杉社では、傘杉大神を祀る。
拝殿の後ろに杉の巨木が聳え立っていることから、恐らくこの杉の木が御神体なのだろう。
伏見稲荷と杉の関係は意外と古く、平安時代には稲荷社参拝の際は稲荷山の杉の小枝を「しるしの杉」として身に付ける風習があったそうだ*11

二本杉社



傘杉社右側には売店があるが、その売店の向かい側には二本杉大神を祀る二本杉社がある。
売店の方に尋ねた所、昔はここにその名の通り2本の杉の木が生えていたが、片方は台風、もう片方は雷で倒れてしまったらしい。

一本杉社



傘杉社の左側には一本杉大神を祀る一本杉社がある。
御簾で中はよく見えないが、ここも恐らく1本の杉の木が御神体として祀られているものと思われる。

三本杉社


一本杉社の左にあるのは、三本杉大神を祀る三本杉社だ。
ここもやはり後ろには立派な杉の木が聳えていて、御神体なのだろう。
今でも3本あるかはよく見えず分からなかったが、少なくとも祀られ始めた時には3本あったのだろう。

笠杉社



三本杉社の近くには笠杉社が鎮座している。
内部には幾つかのお塚が祀られているが、一番メインのお塚には中央に笠杉大神、左に一本杉大神、そして右には位置的に神名が判読できなかったもう1柱が祀られている。
笠杉大神は傘杉大神のことを指しているのだろう。

天龍社



ここは天龍社という社で、天龍大神を祀る。
社の傍の石柱には「伏見稲荷講社舞鶴天龍支部」の名前が見える。
由来は不明だが、舞鶴にあるらしい天龍稲荷神社関連か、もしくは舞鶴鎮守府に所属していた軽巡洋艦天龍に由来するのかもしれない。


よく見ると天龍社の手水舎は神名に因んでか、龍の口から水が出てくるようになっていた。

【傘杉】
御祭神:傘杉大神、一本杉大神、天龍大神など

今回は以上。
次回は春日峠について。

脚注

*1:伏見稲荷大社附属講務本庁『神奈備 稲荷山巡拝』(2018年)51頁

*2:村田卓夫『伏見稲荷大社 大祓御神徳記』(中村風祥堂、2018年)裏面 ※収録されているお塚一覧の作成年代は大正か昭和初期と思われる。

*3:神谷楢次郎・編『京都官幣大社伏見稲荷神社 御山明細図絵』(カミヤ印刷所、1922年)表面

*4:稲荷山青年団・編『伏見いなり大社参拝の栞』(ヨシミインサツショ、1929〜1939年頃)表面

*5:「杦」は「杉」の異体字

*6:松岡貞治郎『伏見稲荷神社御山独案内』(1913年)表面

*7:日向伝吉『稲荷詮索誌』(1914年)90~91頁(国会図書館デジタルコレクションでは97コマ目)

*8:神谷、前掲書、裏面

*9:吉田初三郎・愛信会宣伝部『伏見稲荷全境内名所図絵』(バーザイビュー社、1925年)表面

*10:北尾鐐之助『近畿景観 第三編 京都散歩』(蘭書房、1954年)364頁

*11:伏見稲荷大社社家大西氏系図による。伏見稲荷大社HP「沿革」内「しるしの杉」参照。