新玉津島神社
新玉津島神社社殿
新玉津島神社は文治2年(1168年)に後白河法皇の勅願で、現在の和歌山市に鎮座する和歌の神を祀る玉津島神社を勧請して創建された。
鎮座地は、元々は藤原俊成*2の邸宅であり、勅撰和歌集の『千載和歌集』は、俊成の手によりこの邸宅で撰集が行われた。
その後廃れたか何かあったらしく、室町時代初期に足利尊氏により再興された*3。
江戸時代には北村季吟*4が新玉津島神社の宮司を務めた。
このため、御利益は短歌・俳句・文章の上達であるようだ。
御祭神は息長帯姫命・稚日女尊・衣通姫命の3柱を祀る。
息長帯姫命は仲哀天皇の皇后で応神天皇の母である神功皇后のことだ。
稚日女尊は伊弉諾尊・伊弉冉尊の娘で天照大御神の妹に当たる。
衣通姫命は允恭天皇の妃にして和歌三神の1柱とされる和歌の神だ。
勧請元の玉津島神社の由緒によると、上古の頃から稚日女尊が玉津島の神として和歌浦に祀られており、神功皇后の海外出兵の際には玉津島の神が霊威を示したことで皇后の崇敬を受け、平安時代になり光孝天皇の夢枕に立ち和歌浦に関する和歌を詠んだ衣通姫命が合祀されたらしい*5。