<2022年8月 記事内容改訂>
熊野若王子神社
熊野若王子神社社殿
熊野若王子神社には国常立神・伊佐那岐神・伊佐那美神・天照皇大神の4柱が祀られている。
熊野若王子神社は1160年(永暦元年)に後白河上皇が紀州の熊野権現を勧請したことに始まる*1。
神社南西に鎮座する禅林寺*2の鎮守社ともされた。
熊野神社、新熊野神社と並び洛中熊野三山の一つとされる。
御利益は学業成就と商売繁昌であるらしい*3。
夷川恵比須社
本殿左手には恵比須神を祀る夷川恵比須社が鎮座している。
御利益は開運や商売繁昌であるらしい*4。
本殿ないに安置されている恵比須神像は等身大のサイズで中々迫力がある。
由緒書曰く、この像は元々夷川通の辺りにあった蛭子社に祀られていたが、応仁の乱で社が滅亡したが像は残り今に伝わっているらしい。
また、この神像はかつては夷川通の辺りの社に祀られていたが、社を世話できる人が居なくなってしまったので熊野若王子神社に依頼して末社にして貰ったという話も伝わっている*5。
天龍白蛇辨戝天、如意輪滝
神社前の道を山の方へ向かって行くと、道が3方向に分かれている。
左側の道は桜花苑、真っ直ぐの道は瀧宮神社、そして右側の道は天龍白蛇辨戝天へと続いている。
分かれ道の辺りからでも、遠くに赤い鳥居が見える。
これが天龍白蛇辨戝天の社だ。
由緒書等はないので弁財天が祀られているということくらいしか分からない。
天龍白蛇辨戝天の背後には如意輪滝が流れ落ちている。
よく見ると、滝の上部には不動明王らしき石仏が祀られている。
なお、この如意輪滝はかつては「三の滝」と呼ばれていたらしい*6。
天照神力五大力王・天照神力弁戝天、白蜈蚣大神 外7柱
分かれ道の辺りには、2柱の神々を祀った神名碑と、8柱の神々を祀った神名碑が並んで建っている。
まるで稲荷山のお塚のような雰囲気だ。
まず右側は天照神力五大力王と天照神力弁戝天が祀られている。
天照神力五大力王は詳細不明だが、密教の五大力尊*7のことだろうか。
天照神力弁戝天はその名の通り弁財天なのだろう。
どちらも頭に「天照」の字を冠しているが、天照大御神と習合しているのかはよく分からない。
左側には白蜈蚣大神・融通大神・早馬大神・火伏大神・弁天姬の命・大山稲荷大明神・古天白龍大神・大山祇大神の8柱が祀られている。
「蜈蚣」は「ムカデ」と読むが、ムカデが神として祀られているのかもしれない。
三解社
先述の分かれ道を真っ直ぐ進み坂道を上る。
途中、石鳥居の手前右側に開けた場所があり、末社が祀られている。
まず一番右奥には三解社*8が祀られている。
由緒書が無いので、現地では由緒や御祭神が分からなかったが、『京都神社誌』と『京都坊目誌 上巻之二十七』を見ると記述があった。
『京都神社誌』によると、三解社は天保2年(1831年)の創建で、荒霊神を御祭神として宮中が造営したとのこと*9。
また『京都坊目誌 上巻之二十七』によると、三解社は新待賢門院*10が皇子・皇孫の
守護のために女宮霊を祀ったことに始まるとのこと*11。
これらの話を統合すると、天保2年に新待賢門院が皇族守護のために三解社を創建したということになるだろう。
ただ御祭神に関しては、荒霊神と女宮霊が同一の神を指しているのかは不明だ。
八重垣辨天
本間龍神の左側の地面に、見落としそうなほど小ぶりの神名碑が建っている。
八重垣辨天と刻まれており、弁財天が祀られているようだ。
山神社
三解社などのある場所から更に石鳥居をくぐり階段を上った先にも社が祀られている。
右側に鎮座するのは山神社だ。
特に由緒書は無いので御祭神は不明だが、山神社なのでもしかすると大山祇神かもしれない。
脚注
*4:社務所で頂けるパンフレット『京洛東那智 熊野若王子神社』による。
*5:田中緑紅『京のお宮めぐり その二』(緑紅叢書、1963年)9〜11頁
*6:京都市参事会『京華要誌』(1895年)255頁(新撰京都叢書刊行会・編『新撰京都叢書 第三巻』(臨川書店、1987年)収録)
*7:五大明王とも言い、不動明王・降三世明王・軍荼利明王・大威徳明王・金剛夜叉明王の5尊からなる。
*8:読みは「みとけしゃ」。
*9:藤田由章『京都神社誌』(社寺研究会、1934年)481頁
*11:碓井小三郎・ 編『京都坊目誌 上巻之二十七』(1916年)313頁(新修京都叢書刊行会・編『新修京都叢書 第十九巻』(臨川書店、1968年)収録)
*13:井手成三『京都案内記』(角川新書、1956年)15頁
*14:北尾鐐之助『近畿景観 第三編 京都散歩』(蘭書房、1954年)277頁