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<2022年8月 記事内容改訂>
はじめに
今回は「あらき」というエリアについて。
今までの稲荷山の記事はこちら。
マップは以下の通り。
番号が振ってあるのは、お塚の台座の番号だ。
(※画像が粗い場合は、クリックした先で「オリジナルサイズを表示」を選ぶと大きいサイズが表示される。)
あらき
あらきは、荒木神社とその境内のお塚が中心となっているエリアだ。
平仮名表記なのは、伏見稲荷大社によるお塚の調査記録である『続お山のお塚』に合わせている。
何故平仮名書きなのかは分からないが、もしかすると「荒木滝」というエリアと紛らわしいので、区別しているのかもしれない。
正一位花菊大神(倒壊)
このエリアに入って最初のお塚だが、ここは塚台が既に倒壊してしまっている。
扁額が置かれており、それを見る限りだと正一位花菊大神などが祀られるお塚だったらしい。
恐らくこの先10年20年と経つと、こうした管理されずに倒壊するお塚が増えていくことだろう。
なお、正一位花菊大神の横には金網で封鎖された場所がある。
金網の向こう側には何かしらの構造物があったようだが、今となっては残骸だけが草に埋もれている。
1913年(大正2年)発行の『伏見稲荷神社御山独案内』ではこの辺りについて、花丸明神、花菊明神、御年明神、豊姫明神、今熊明神が並んで描かれている*1。
恐らくこの場所から先にもお塚が並んでいたのだろう。
先述の『続お山のお塚』によれば、この今は亡き塚台には正一位金太郎大明神*2、熊重大神・熊𠮷大神(「熊」の字は共に「灬」が「火」で書かれた異体字)*3などのお塚があったようだ。
これらが何処かに遷されたのか否かは定かではない。
荒木神社
正一位花菊大神から50mほど進んだ先には荒木神社が鎮座している。
荒木神社社殿
荒木神社の御祭神は白砂大神・荒木大神・荒玉大神の3柱だ。
社伝によれば、和銅4年(711年)に伏見稲荷大社が鎮座した際に稲荷大神の荒魂を祀るために創建されたとのこと*4
今の3柱の御祭神とされたのは明治以降で、拝殿と社殿は京都御所から移築したらしい*5。
茨谷出世身守不動明王・三十六童子
修行大師像の左側には茨谷出世身守不動明王と三十六童子が祀られている。
茨谷出世身守不動明王は、名前からすると出世と身体守護の御利益がある不動尊だろうか。
三十六童子は、36柱の不動明王の眷属とされる。
塡燹稲荷大神
ここは塡燹稲荷大神(てんせんいなりおおかみ)の社だ。
塡燹稲荷大神は昭和16年(1941年)に建立された。
昭和16年の日本は日中戦争継続中かつ太平洋戦争開戦の年でもあり、平和を願って建立されたようだ。
藥一大明神(薬一大神)
境内に入って左側には、薬一大神のお塚がある。
横の説明書き曰く、病気平癒と縁切りの神様だ。
なお神名表記は、お塚の碑文では「藥一大明神」だが、荒木神社HPでは「薬一大神」となっている*8。
足利稲荷大明神
薬一大神の右側には足利稲荷大明神が祀られている。
ここはお塚のような石碑ではなく、石灯籠に神名が刻まれているのが珍しい。
かつては町屋の坪庭に鎮座していたらしいが、紆余曲折を経て現在地へ遷座。
今では腰痛を治す神様となっている。
駒大崇上・太郎坊大権現・海山崇上
社殿裏手のお塚には駒大崇上・太郎坊大権現・海山大崇上の3柱が祀られている。
駒大崇上と海山崇上については詳細不明。
太郎坊大権現は、滋賀県近江八幡市にある姨綺耶山長命寺の鎮守社に祀られるという天狗のことだろう。
金比羅大權現・比沙門天王・空鉢䕶法
荒木神社境内に鎮座するこのお塚には金比羅大權現・比沙門天王・空鉢䕶法の3柱が祀られている。
金比羅大權現は香川県琴平町の金刀比羅宮の神仏習合時代の御祭神だ*11。
比沙門天王は毘沙門天のことだと思われる。
空鉢䕶法は、奈良の信貴山千手院の空鉢護法堂(くうはつごほうどう)の御祭神・難陀竜王のことだろうか*12。
歎喜天・魔王大僧正・午頭天王 ほか多数
このお塚は、先述の金比羅大權現のお塚の右隣に建っていて、夥しい数の神名が刻まれている。
先頭には歎喜天(「歎」は「歓」の旧字「歡」の誤字か)とあり、歓喜天を祀っているのが分かる。
天照皇大神は言うまでもなく皇祖神として伊勢神宮内宮に祀られる神だ。
猿田彦大神は天孫降臨の際に先導役を務めた神だ。
魔王大僧正は御幸辺下エリアや二ノ峰エリアでは「鞍馬大僧正」、豊川エリアでは「鞍馬魔王」の名で祀られていたのと同じく、鞍馬天狗すなわち鞍馬寺に祀られる護法魔王尊のことだろう。
辨天大神は弁財天のことだろう。
八大龍王は仏法守護の龍神だ。
道通大神は玉姫エリアでも祀られていた神だ。
清滝不動と石見不動は不動尊ということ以外は詳細不明だ。
白龍大神と清瀧大神は清滝エリアの清滝社に祀られる神だろう。
末吉大神・お福大神・米黒大神・倉永大神・倉真大神・鞍大神・安喜大神・權兵衞大神は詳細不明。
午頭天王は祇園社御祭神の牛頭天王、つまり現在の八坂神社御祭神の素戔嗚尊のことだろう。
管原大神は菅原大神(菅原道真公)を祀っているのかもしれない。
他にも多数神名が刻まれているが、余りにも多く、また他のお塚の陰になりよく見えないため割愛。
豊川吒枳尼真天
荒木神社の境内を出て道なりに下って行くと、豊川稲荷吒枳尼真天の社が見えてくる。
大阪府大阪市天王寺区の豊川稲荷大阪分社(豊川稲荷大阪別院のことと思われる)の紹介が貼られていたので、ここはその関連の社なのかもしれない。
眼力、末玉
豊川の左側には眼力と末玉のお塚が並んで建っている。
それぞれ眼力大神・末玉大神の「大神」を略したものと思われる。
眼力大神はその名の通り眼力社の御祭神であり、眼病や商取引に御利益がある神として有名だ。
末玉については詳細不明。
七祠
豊川の右側は七祠というお塚が建っている。
七祠という神名については詳細不明だが、この次のエリアである茨谷エリアにも七祠大明神は祀られている。
『伏見稲荷大社 大祓御神徳記』のお塚一覧には「七祠の滝」という項目名があり、玉姬・荒木・白姬・白狐・末姬・割竹・末玉・長熊の8柱の神名が記載されているので、この関連のお塚かもしれない*13。
なお七祠滝という滝については、他の稲荷山関連の資料では名前を見つけることが出来ないので、短い期間だけ存在して、後に消滅してしまったお滝なのかもしれない。
末𠮷大神・荒熊大神
塚台の一番右側には末𠮷大神と荒熊大神を祀るお塚が建っている。
末𠮷大神は詳細不明ながらも縁起の良さそうな神名だ。
荒熊大神は詳細不明だが、このエリアの一番南にも荒熊大神を祀る社があり(後述)、また東福寺の五社成就宮裏手にも荒熊大明神の社が祀られている。
荒熊社
このエリアの一番端には幾つかのお塚が祀られており、その中に荒熊社もある。
ここは7柱の神名がお塚に刻まれている。
荒熊大神は上段中央に一番大きくその名がある。
右側の末廣大神は一ノ峰上社の御祭神で、大宮能売大神のこととされる。
左側の荒髙大神は詳細不明。
下段の一番右の黒辨天大神は名前からして弁財天であることは分かるが、詳細は不明。
末𠮷大神と日出◯家大神も詳細不明。
三釼大神は御劔社御祭神の御劔大神のことだろうか。
力松大神は御膳谷力松社に祀られる神だ。
白光大神は詳細不明。
小狐丸大神
荒熊社の右手には小狐丸大神が祀られている。
稲荷山は刀匠・三条宗近が小狐丸を打ったゆかりの地であり、御劔社の横には小狐丸を鍛えた際の焼刃の水の井戸が残されている。
なので小狐丸大神はその御劔社関連の神として祀られているものと思われる。
水玉大神・白髭大神
一番端には水玉大神と白髭大神のお塚が鎮座している。
水玉大神については詳細不明。
白髭大神は猿田彦大神、すなわち伏見稲荷大社本殿に祀られる佐田彦大神の別称とされる。
なお、このお塚の前の道を更に先へ進むと竹の鳥居が並んでおり、茨谷の末広神社へ行くことができる。
【荒木神社】
住 所:京都府京都市伏見区深草開土口町12-3
御祭神:白砂大神・荒木大神・荒玉大神
境内社:薬一大神(御祭神:薬一大神)
足利稲荷大明神(御祭神:足利稲荷大明神)
塡燹稲荷大神(御祭神:塡燹稲荷大神)
口入稲荷大神(御祭神:口入稲荷大神)
他多数
建 立:和銅4年(711年)
H P:https://arakijinja.jp/
【あらき】
御祭神:豊川吒枳尼真天、荒熊大神など
茨谷へ
あらきエリアの次は、茨谷エリアになる。
本来は荒木神社がある場所も茨谷の一部なのだが、先述の『続お山のお塚』では「あらき」と「茨谷」にエリア分けされて書かれているので、それに従うことにする。
今回は以上。