追記について
お久しぶりです。
最近は頻繁に東京に行ったり何だりで記事の更新が出来ていませんでした。
さて、まずは記事の追記を行った件についてです。
追記を行ったのは先日の一連の東京記事の内、次の4つの記事です。
・日本橋、情け有馬の水天宮
・八大龍王社と八大龍王社元宮
・狸像が可愛い柳森神社
・『野望の王国』聖地巡礼
具体的には、
・水天宮の記事は安産子育河童について追記
・八大龍王社と八大龍王社元宮の記事は全体的に写真を見やすいものに差し替え
・柳森神社の記事は国会図書館で確認した『柳森神社略誌』の記述について追記
・『野望の王国』の記事は写真の追加
を行いました。
東大近くの富士浅間神社
社殿
この記事でも書いた通り、先日僕は『野望の王国』の聖地巡礼に行って来た訳ですが、その際に東大本郷キャンパスのすぐ近くに富士浅間神社を見つけたので参拝しました。
特に掲示等はありませんが、富士浅間神社なので御祭神は木之花咲耶姫命でしょうか。
境内の由緒書には以下の通り書かれています。
富士浅間神社
かつてこの地は明治5年(1872)から昭和40年(1965)まで「本富士町」という町名であった。
加賀藩本郷邸の跡地にたつ東京大学本郷キャンパスにおいて、その名残を今にとどめる赤門を入って右手に、かつて「椿山」と呼ばれる小丘があった。江戸時代、「椿山」は「富士山」「富士塚」などと呼ばれ、富士浅間神社が祀られていた。駒込富士神社(本駒込5-7-20)は、この本郷の富士浅間神社から勧請したという伝承を有し、そのことが「本富士町」という町名の由来ともなった。
明治4年、本郷の富士山やその一帯は国に接収され、祀られていた富士浅間神社は旧加賀藩邸の南西一角に屋敷を構えた前田家の敷地内に移転した。前田家が昭和3年に駒場へ移転したのちは、地元の町会である本富士会(現在の本富士町会の前身)の管理下に移された。
地域住民に守られるこの小さな社は、かつて本郷に「富士山」があったことを物語る唯一の場所である。
文京区教育委員会 平成29年3月